「っつ………!」

 全身を襲う痛みと共に、ジェレミアの意識は覚醒した。反射的に身を起こそうとし―――その拍子に胸に激痛が走り、そのままの姿勢で硬直する。

(………拙いな。肋をやられたか………)

 痛みの場所、そして種類から肋骨が折れた事を察して、ジェレミアは顔を歪めた。他にも腕や足に多少の違和感を覚えたが、これらはおそらく打ち身程度だろう。もう一度、痛む肋骨を庇いながら身を起こし―――点々と横たわる部下たちの姿に、慌てて立ち上がる。

「おい! しっかりしろ!」

 手近に横たわる部下に声を掛けたジェレミアは、しかし苦々しい顔で唇を噛んだ。半身を火傷で爛れさせた部下の首は、不自然な方向に曲がっている。彼は既に、口の端から泡を吐いて絶命していた。

(………あの高さから落とされたのだ。無理もあるまい)

 意識を失う前の事を思い出し、ジェレミアは顔を歪める。

何者かの刺客であった情報部の奏長、裏切った部下たち―――仲間であった者からの不意打ちによって、ジェレミアたちは崖の下へと落とされた。ジェレミアは幸いなことに軽度の怪我で済んだが、落命した部下は受け身を取る余裕もなく頭から叩きつけられたのだろう。あの状況、そして切り立った崖の有り様を思えば、無理からぬことだった。

(………すまない)

 白目を剥いたまま絶命した部下の瞼を伏せてやり、ジェレミアはしばし目を閉じる。

 その眠りの安らかなることを、死後の安息を―――短い黙祷を終えた彼は、立ち上がってあたりを見回した。微かに上がる呻き声が、まだ息のある部下たちの所在を教えてくれる。

腰に吊った道具袋を探ってグミを確認しながら、ジェレミアは累々と横たわる部下たちを介抱していった。息のある部下たち全員を確認し、彼は暗い顔で嘆息する。

メジオラ高原に踏み入ったのは特務師団全52名、そのうち半数をキャンプに残してきた。つまり彼がここまで随行してきたのは半数に当たる約25名―――しかし生き残った部下の数はわずか7名だ。裏切った数人を抜いても、半数以上が命を落としたことになる。

 そして一命を取り留めた部下たちの容体も、決して楽観視はできなかった。ジェレミアを含む8名の中で最も軽傷なのが肋骨を折っただけのジェレミアであり、後は皆何か所も骨を折り、あるいは襲撃時の譜術で身体を焼け爛れさせていた。グミで応急処置はしたものの、元々魔物の討伐を終えてキャンプに帰還するところだった彼らは、持ってきたグミ類を全てとは言わずとも既に消費してしまっている。手元に残された分は決して多くはなく、重傷者から優先して治療したため、そこここを負傷したままの者もいた。

 中でも最も深刻なのがオスロー響長だった。彼は譜術による火傷もさることながら、受け身もとれずに叩きつけられたせいで、数えるのも馬鹿馬鹿しいほどの場所を骨折していた。岩か何かでできたと思しき裂傷もあった。

それだけでも十分に深刻だったが、頭を強く打ったらしい彼は一向に意識を取り戻さないのである。治療のためにグミを食べさせようにも、意識がないのではそれも不可能だった。やむをえず、租借したグミを口移しで含ませるという応急処置を取ったが(人工呼吸と同じだ)、それで摂取できる量などたかが知れている。ましてグミの数自体が心もとない状況では、それら全てを彼一人につぎ込むわけにもいかない。

 辛うじて血が止まった事を確認し、ジェレミアはぐったりした部下の身体を背に負った。傷に触らないよう、両手で抱きあげた方がよかったのだろうが、肋を負傷したまま―――グミが足りなかったためだ―――のジェレミアでは身体の前で人一人支え続けるのは難しい。ましていつ魔物が現れるかもわからない状況で、両手が使えなくなるのも拙い。

「………ッ、」

 担ぎあげる動作が自らの怪我に障ったが、歯を食いしばってジェレミアは呻き声を呑みこんだ。不自然な硬直の後、ゆるゆると立ち上がった上官の様子に、部下のうち幾人かがジェレミアの怪我に気がついて案じるような気配を見せる。

「団長………」

「………いや、大したことはない。それより、どうだ? 登れそうな場所はあったか?」

 自分が、と自身も怪我人のくせに言いだしそうな部下を制して、ジェレミアは問いを口にした。彼らはメジオラ高原内部の地理には明るくなく、ここから崖の上に続くルートなど当然把握していない。そのため軽傷の部下に周囲の様子を見に行かせていたのである。

 遭難した時には動き回らず救助を待つというのが定石だが、彼らの状況で助けが来る可能性は限りなく低い。そして魔物の跋扈する環境で、このままここに長居をするのは得策とは言えなかった。血の臭いをかぎつけた魔物が襲ってくる可能性が高いからだ。

 それは命じられた部下も理解していたから、彼は姿勢を正して探索の成果を報告する。

「登れそうな場所は目に着く限りでは見つかりませんでした。身を隠せそうな洞窟も。………ただ、転落したと思われる馬車の残骸がありましたので、古い毛布などは辛うじて」

 野宿するにも、毛布が1枚あるとないとでは大違いだ。また身を隠す物も、ないよりはあった方がいい。

「馬車? ………先ほど見えたあれか。近いのか?」

 不意打ちされる直前に、崖の上から見えた光景を思い出してジェレミアは呟いた。あの馬車の残骸が比較的近いのなら、現在地を図る大まかな指標にはなる。

「そこの岩陰を進んだ先です。一台ではなく、複数で行き来していたようです。遺体はほとんど白骨化しておりましたが」

 報告した青年はその遺体のほとんどが年端もいかない子供だということにまで気づいてはいなかったが、馬車の不自然さには気づいているのだろう。どうしますか、と判断を仰ぐように視線を向けてくる。

「………遺体の状況はどうだった? 魔物に襲われた形跡はあったか」

 馬車の残骸が身を隠すのに都合がいいというのは、ジェレミアたちだけでなく、この地に棲息する魔物にも当てはまる。身を隠しに行った先が魔物の巣穴でしたなどという事態になったら目も当てられない。

 上官の問いに遺体の状況を思い起こした青年は、遺体の纏っていた衣服、それどころか馬車のそこここに付いていた爪痕を思い出して表情を曇らせた。

「そういえば………遺体や馬車に魔物の爪らしき痕が」

「最近のものではなさそうでしたが………」

 共に偵察に出ていた部下も、その情景を思い出すように口にする。馬車が転落した頃に魔物に蹂躙されたとして、今もその魔物はそこ辺りにいるのだろうか―――難しい顔で、ジェレミアは考え込んだ。魔物の数も強さもわからず、またこちらも満身創痍に違い状況では、判断を誤れば全滅の危機となる。不用意な真似はできなかった。

 ―――そして結論から言うならば、彼はその判断を下すことはできなかった。それよりも早く、彼らが懸念する『それ』が、忍び寄ってきたからだ。

 グルル、という低い唸り声に最初に気がついたのは、周囲の警戒に当たっていた師団員の一人だった。

「団長! あれを………!!」

 緊迫した声、そして遅れて耳に届いた獰猛な唸り声に、誰もが事態を悟った。

 素早くめいめいの武器を構えて睥睨した先―――崖の側面に穿たれた裂け目からのそりと這い出してきた魔物の姿に、彼らは思わず息を呑む。

 それは巨大な魔物だった。大人を5、6人は乗せられるのではないかという背には、古びて朽ちかけた剣や槍がいくつも突き刺さっていた。強靭な後ろ足と、半ば退化したように小さな前足。身体に対して小さな頭部には、鋭く張りだした角のような物が見える。おそらくこの魔物の武器は角か、後ろ足か―――あるいはごつごつと棘の付いた強大な尾か。どちらにせよ、この地に踏み入って以来屠ってきた魔物たちとは段違いに強いはずだ。浴びせられる敵意からもそれがわかる。

 ゆっくりと首を巡らせた魔物は、ジェレミアたちへと視線―――もっとも人間と同様の視界を持っているかは定かではないが―――を定めると、ガルルル、と唸り声の質が変わる。警戒から敵意、害意へと。

「………ッ、」

 緊迫する空気を破ったのは、魔物の放つシャアア、という威嚇音だった。その巨大な後ろ足で地を蹴った魔物は、巨体に似合わぬ俊敏さで脆弱な獲物たちへと襲いかかる。

「くっ!」

 自身の武器で魔物の突進を受け止めた―――受け止めようとした部下は、舌打ちして飛び退った。巨大な体躯とそこから繰り出される膂力は、とてもではないが普通の人間で受け止めきれるものではないと悟ったのだろう。彼は突進に合わせて後方へと飛び、衝撃を殺すようにして着地する。

「「うぉおおおおお!」」

 獲物を見失ってたたらを踏んだ魔物の背に、幾人かが襲いかかる。見るからに硬そうな表皮はなまくらな刃など容易く跳ね返してしまうだろうが、彼らが手にしていたのは斧と槌だ。切りつけることでなく、力任せに叩きつけて骨を砕くことがその真骨頂と言える。彼らは突進の主軸となる後ろ足を目掛けて、強大な獲物を振り下ろした。

「! 下がれ!」

 ジェレミアが叫ぶと同時に、バランスを取るようにピンと伸ばされていた魔物の尾が、ブン、と音を立てて旋回した。それは尾と言うより棘の付いた肉厚の団扇のような形状をしており、風を切って迫りくる一撃を彼らは大きく足を踏み込み、身を低くすることで回避する。

「ぐぁっ!」

 しかし身を沈めたところに、無造作な後ろ足の蹴りが叩きこまれた。強靭なバネを活かした一撃によって吹き飛ばされ、さらには追い打ちのように旋尾の返す一撃を食らい、辛うじて彼らにできたのは受け身を取って転がることだけだった。立ち上がろうとしたところで、おそらくは軽い脳震盪でも起こしたのだろうか、額を抑えて蹲る。

 部下たちが魔物と交戦している間に、意識のないオスロー響長の身体を岩陰に横たえたジェレミアは、自身も武器を構えて駆けだした。

「おおぉおぉおおお!」

 魔物の注意を引きつける意味もあり、ジェレミアはあえて正面から挑みかかった。盾であり囮でもある、最も危険なポジションだ。

 魔物の頭部から生えた2本の角を、ジェレミアは愛剣を巧みに翳して受け止める。それが片刃の剣やレイピアなどならばへし折られかねない一撃だったが、ジェレミアの扱う武器は両刃の長剣である。突くこと、切ることよりも叩きつけることを前提とした獲物は、魔物の強力な一撃にも耐えうる強度を有していた。

「くっ!」

 それでもそれを振るう『人間』と『魔物』とでは、膂力が違いすぎる。ジェレミアは魔物の喉元を蹴りつけるようにして後ろへ飛ぶと、今度は迂回するように回りこんで首の付け根を狙った。ジェレミアが魔物の注意をひきつけているのを幸いと、部下たちもまた畳みかけるように魔物へと襲いかかる。

 けれどそのどれもが、魔物に効果的なダメージを与えることは叶わなかった。魔物の表皮の強度は彼らの予想以上で、文字通り歯が立たない。背に突き刺さった古びた武器は、あるいはまだこの魔物が幼生だった頃の物なのかもしれない。あるいは幾度もの交戦を経て、弱点を補うために進化していったのか。

 チッと鋭く舌打ちしたジェレミアは、部下たちのうち数名に術を使う布陣を命じる。ジェレミアを始め、斧や槌などの叩きつける戦闘スタイルの者が前衛に立ち、後衛から術を浴びせるフォーメーションだ。それ自体は効果的ではあるのだろうが、問題は生き残った部下たちの中に、譜術に長けた者がいないということだった。後衛に下がらせた者たちが使えるのは精々が下級から中級の譜術だけだ。上級譜術を使える数名の部下たちは、裏切りに加担しその術を味方へと浴びせていた。その後の彼らがどうなったのかなど、もちろんジェレミアが知るはずもない。

 だから彼らは彼らに許される武器、そして術だけでこの局面を乗り切らねばならず、そしてそれは酷く困難なことだった。先ほどから放たれるどんな術も、魔物にろくに傷を付けられずにいた。ジェレミアが剣技と連携させて放った第五譜術など、焼け焦げ一つ作れずに霧散したほどだ。これはジェレミア自身の譜術攻撃力の低さもさることながら、魔物が生息地に適応した結果、火や風、そして土属性に耐性を持つようになったせいかもしれない。まともに術が術として機能するのは水と光程度―――闇属性は使い手がいなかった―――しかし中級譜術のスプラッシュでは魔物にシャワーを浴びせてやった程度にしかならず、また光の譜術も目潰し程度にしかならない。こちらが効果的な攻撃を加えることはできず、一方魔物はたった一撃で自分たちに少なからぬ衝撃を与えることができる。傷を治癒するグミも既になく、彼らのおかれた状況は絶体絶命に近かった。

(撤退すべきか? だが、この状況では………ッ)

 足止めし、ここから撤退することですら困難だった。こちらは満身創痍に近く、また万全の状態であったとしても、魔物の足から逃げおおせるのは容易なことではない。

 けれど、誰かが足止めをしていれば、残る者だけでも助かるかもしれない。

 ―――その者の命と、引き換えに。

 ジェレミアがその計算に要したのは一瞬だった。

次の瞬間、彼は声を張り上げていた。

「………撤退しろ! ここは私が食い止める!」

「………ッ、団長!」

「な、何を………!」

 荒い息の中、上官の言葉に部下たちは驚愕したように口々に声を上げる。

「いいから引け! 上官命令だッ!!」

「団長………ッ!」

 逆らうことは許さんと、命令なのだと―――そう告げる言葉の裏に、決死の覚悟を読み取って、彼らは言葉を失った。

「行けッ!」

 ジェレミアの怒号に、硬直したように動けなかった部下たちが、雷に打たれたように身を震わせた。先ほどまでの奮戦が嘘のように、のろのろと踵を返しかけ―――しかし視界に映った光景に目を見開く。

「がぁああっ!」

「「「団長ッ!」」」

 彼らの視線の先、ジェレミアは左目を抑えて膝をついていた。そして、鋭い角にはたった今えぐり取られたばかりの肉片―――ジェレミアの眼球が突き刺さっている。激痛に襲われ、堪らず膝をついたジェレミアに、魔物の更なる猛攻が繰り出された。死角となった左側から襲いかかった角が、ジェレミアの左手を串刺しにする。

「団長!」

 命令に従い撤退しようとしていた部下たちが、上官の下へと駆ける。敵わないと、逃げるべきだと理解していながら、ジェレミアの下へ。―――それだけの信頼関係が、彼らの間にあったから。

「ダメだ、来るな!」

 弱々しい制止の声は届かず、魔物がひときわ高い咆哮を上げた。ジェレミアの貫いた角が肉を裂いて引き抜かれ、蟻のように群がる目障りなえ者たちへと振り上げられる。

「逃げろ………ッ!」

 串刺しに、あるいは蹴散らされる部下―――けれど、ジェレミアが危惧した光景が繰り広げられることはなかった。




Darkest before the dawn

鋼の忠義・4


 

※※※



やっぱり再会まではいきませんでした。ルルーシュたち登場は次回かな。

ちなみに↑で出てきた魔物、メジオラ高原で戦ったブレードレックスのつもりで書いてます。というかホド戦争時にルルーシュたちが遭遇した魔物と一緒。ただ書いてた当時、きちんと攻略本確認しなかったんで、何となく四足の獣型だと思ってたんですよね。改めて確認してみたら恐竜タイプでした。なので微妙に違和感があるかもです。




あと全然関係ないけど自分的覚書というか。
ジェレミアの剣の流派はアルバート流に似た流派、ということにしてます。神託の盾騎士団の制式採用している流派。名前は決めてませんが。
アルバート流はホド独特の流派ということになってるみたいですが、創始者のフレイル・アルバートが教団の導師になってますから、所縁のある剣術を神託の盾に採用しててもおかしくないかなーと思うんですよね。アルバート流は盾を持たない流派だそうですが、攻略本で確認したところ、神託の盾兵って盾持ってないタイプが結構多いみたいですし。少なくともマルクトとかキムラスカと比べると。なので盾を持ってる神託の盾兵は我流の剣術です(おい)。
てかそれならヴァンがアルバート流使ってても、ホドとの関連を疑われずに済むでしょうしね。ゲーム中とか、自分の素性隠したいんなら、ホド独自の剣術とか結構危険ですよね………。ガイのシグムント派に至っては、ガルディオス家とそれに連なる者しか使えないとか、それ何て身バレフラグですかと。
まあそういうわけなので、ルーク合流後はジェレミアがお稽古付けてあげればいいんじゃないでしょうか。

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