音機関都市ベルケンド―――首都バチカルと険しい山脈を隔てて同じ大陸にある、キムラスカ領の都市である。バチカルとは陸路での行き来が困難であり、また他の主要都市とも海路を使わねば往来ができない。市街から少し離れたところにあるベルケンド港は、物資、人の流れのどちらをとっても、ベルケンドにとっての玄関口と言えた。

 この港と市街は徒歩で行き来するには若干の距離があり、日に幾度が馬車の便がある。午前の便―――朝一番で港に着いた船の乗客を乗せた馬車がベルケンド市街に到着したのは、あと一刻もあれば正午になるという時刻だった。馬車を降り立った者の幾人かが、少し早めの昼を取ろうと、食堂を探して大通りへと散っていく。

 そんな乗客たちの背を見送って、最後の一団が馬車から降り立った。一団と言っても、その人数はたったの2人だ。フード付のマントを着込んだ姿は旅装としてははさして珍しくなかったが、そのうちの一人が筋骨隆々のシルエットをしていることは特徴的と言えなくもない。最後に馬車を降りたのも、戸口につかえて他の乗客の邪魔にならないよう、最後尾で待っていたからだ。

 その2人のうちの一人、一般的な成人男性よりやや背が高い程度の人物が、街並みを注意深く見回して口を開く。

「ここがベルケンドか………」

 フードをずらして視界を確保した青年は、しみじみと呟いた。その表紙に、彼のこげ茶色(・・・・)の髪がさらりと肩口を流れてくる。

「お前はベルケンドは初めてだったか? アラン(・・・)

 彼の背後に立った巨漢の男が、フードをずらさないまま問いかけた。彼は諸事情につき、あまりキムラスカ領で顔を晒したくないのである。―――まあ13年も前の、それも一見しただけでは小さな事件のことを覚えている人間もそうはいないだろうが、念には念をという言葉もある。特にこのベルケンドは彼らが首都バチカルに次いで警戒している土地であり、用心してしすぎることはないだろう。『アラン』という名、そしてこげ茶色の鬘も、その一環だった。

「そうだな。必要に迫られなかったというのもあるが………まあ、やはり敷居が高いからな」

 苦笑交じりに頷いて、『アラン』―――ルルーシュは肩を竦めてみせた。

このベルケンドの領主は、王家とも姻戚関係にあるキムラスカ屈指の大貴族・ファブレ公爵家である。現当主である公爵自身、王家の血を引きその証たる赤い髪と緑の瞳を有するが、何より公爵の奥方が降嫁した王妹であり、二人の間に生まれた嫡子は国王の一人娘・ナタリア王女の婚約者―――次代のキムラスカ王の地位を約束された人物なのである。王家のお膝元バチカルに並んで、ベルケンドもキムラスカ王室の勢力が強い土地だと考えることができた。いまだ公になっていないとはいえ、キムラスカからの独立を志す身として、軽々に足を運ぶには少々敷居が高いと言える。

そんなルルーシュの言葉に頷いた巨漢の男―――バダックは、辺りを見回して怪訝そうに顔を顰めた。

「………。しかし神託の盾(オラクル)騎士団がやけに多いな。以前はこんなに多くはなかったはずだが………」

 言われてみれば、街の中にちらほらと神託の盾騎士団の軍服を纏った人間がいる。もちろんその数は地元住民と比べて多いということはないが、それでも教団お膝元のダアトならばともかく、キムラスカ領であることを考えれば少々不自然だった。

「ファブレ公爵家は近年ダアトと懇意にしているとは聞いていたが………予想以上だな」

「ああ、嫡子が誘拐されたという件か? 何でも誘拐された嫡子を見つけ出したのが、当時の神託の盾騎士団の師団長―――今の主席総長らしいな。『恩人』相手に強く出られん、ということか」

 ルルーシュの呟きに、バダックが皮肉げに唇を歪める。

「見つかったのは『ファブレ公爵家所有のうち捨てられた別荘』らしいが………案外、公爵家に取り入ろうとした『犯人』の自作自演かもしれんな」

キムラスカの公爵子息誘拐事件になぜか神託の盾騎士団の師団長がしゃしゃり出て、なぜか公爵家の別荘から救出してくる―――正直、怪しいことこの上ない。この先何がどう転ぶかもわからないし、ルルーシュたちとしても神託の盾騎士団、ひいては教団に対し手の者を潜り込ませる算段をしているところである。とはいえ彼らの側の人材は層が厚いとは言えず、長期の潜入になることを考えると人選に難航しているのが現実だった。腐っても大国であるキムラスカ、そしてオールドラントに深く根付いた預言の総本山・ダアトを敵に回すには、まだまだ人材も武力も財力も、何もかもが足りなすぎる。

そこまで考えてふう、とため息混じりに思考を切替えたルルーシュは、改めてベルケンドの街並みを見渡した。

シェリダンと並ぶ譜業都市(シェリダンは製造と開発が、ベルケンドは研究が主という違いはあるが)というだけあって、あちこちに工房や研究所が立ち並んでいる。それら物資の運搬のためか道は金属の板で覆われており、油の臭いがどこからともなく漂い、また路面には運搬中に転げ落ちた鉱石の欠片なども見受けられた。シェリダンとは若干違うものの、どこか似通った匂いがする。強いて違いを挙げるなら、シェリダンが住民―――すなわち職人たちの需要に応じて拡大されていった煩雑な街並みであるのに対し、ベルケンドは『研究所』を中心として整備されていったということだろう。

「………それにしても、もったいないな」

 どこか砂っぽく感じられる街並みを見、そして街の外に広がる光景を見て、ルルーシュは思わず呟いていた。

「何がだ?」

 唐突に飛んだ話題に、バダックが怪訝そうに聞き返した。ルルーシュはバダックを見上げて―――余談だが、既に生前の死亡時の年齢を超えたルルーシュでも、巨漢のバダック相手では見上げるほどの身長差がある―――皮肉げな笑みを刷く。

「この気候だよ。『緑の木々』なんぞ、キムラスカではそうそうお目に掛かれるものではないだろう? 譜業開発よりよほど有効に使えそうなものなのにな」

「………ああ、なるほど。そういうことか」

 ルルーシュ同様、メジオラ高原の集落を『運営する』側に位置するバダックが、その意図するところを悟って頷いた。食糧問題に何度も頭を抱えた身として、どうしてキムラスカはこの貴重な気候を農業に生かさないのかと言いたいのだ。

 何しろ世界を二分する大国キムラスカは、国土の大半を荒地や砂漠など、農業に適さない気候で占められている。そんな中、このベルケンドはルグニカ大陸南方のカイツール近郊―――すなわち敵国マルクトの動向次第で戦場となる可能性もあるごく一部の緩衝地帯を除けば、例外的に木々や草地の見られる土地柄であった。もちろん肥沃な農地であるルグニカ大陸には遠く及ばないだろうが、それでも手を掛けてやれば、最悪に近いキムラスカの食料自給率を多少なりとも上げることはできただろう。

 しかし現実には、ベルケンドは譜業・音素学研究にばかり金をつぎ込んで、農業の『の』の字も見られない。確かこの地に研究所が置かれたきっかけは、フォミクリーに必要なエンシェンド鉱石が入手しやすいという理由だったはずだが、その鉱石が取れるワイヨン鏡窟はラーデシア大陸の南方の海岸沿いにある。痩せて土地の有り余っているラーデシア大陸のシェリダンに研究所を設けたとしても、何の問題もないはずだった。

「長期的な計画より、目先の利を取ったということか? 大貴族の庇護する土地だからこそ、私財なり税金なりを投入して開墾もできるだろうに………」

 開墾事業など、初期には金も人手も掛かるものだ。大貴族であれば財もあるし、また議会や権力者を動かすこともできる。キムラスカの国情では農業用地を遊ばせておくことなどできるはずがないのだから、敵国マルクトに食糧事情を握られている現状を打破すべく大掛かりな開拓でもしていて当然だとルルーシュは思うのだが、どうやらこの国の上層部は違うらしい。

 そうして静かに憤るルルーシュを、バダックは苦笑交じりに眺めやる。ルルーシュ本人は冷徹であろうとしているようだが、その内面はかなり情が深いということを、バダックはすでに知っている。敵国―――彼らにとってのキムラスカの認識は紛れもなく敵国である―――のこととはいえ、民を省みないこの国の政策に怒りを禁じえないのだろう。

「………まあ、すぐに採算の取れるものでもないからな。それよりフォミクリーは軍事にも転用の利く技術だ。マルクトとの戦争に首っ丈のこの国では、領民の飢えを潤すよりも、兵器開発の方が優先なのだろう」

「そうだな………」

バダックの宥めるような口ぶりに、ルルーシュはため息をついて肩の力を抜いた。実際問題、ここで憤っていたとして何が変わるわけでもないし、この国の未来のために骨を折る義理も理由もルルーシュにはない。彼は彼の同胞たちを庇護するだけで手一杯だ。そもそもよりによってベルケンドの街中で、この地の領主の批判を話題にするのも得策ではない。

「………ベルケンド市内の往来(こんなところ)でする話題でもなかったな。―――いい加減移動するか。約束の時間に間に合わなくなる」

「ああ。サヨコともここで合流するんだったな?」

「その予定だ」

 咲世子―――オールドラントの人間には、日本人の名前は上手く発音できないようだ―――にはとある頼みごとをしてあり、ベルケンド近郊にて合流する予定になっている。状況次第では、彼女と共にダアト辺りまで足を伸ばすことになるかもしれない。

 そうなった場合の動きを含め、バダックと今後の打合せをしながら、ルルーシュは大通りを目的地に向けて歩き出した。

 

 

 

「お久しぶりです、ルルーシュ様」

 ベルケンド市街の中心よりに立つホテルの一室で、ルルーシュを出迎えた女性はそう言って深々と頭を下げた。

「ああ。久しぶりだな、セシル」

 女性―――かつてセシル・クルーミーと名乗っていた女性は、ルルーシュの応えに微笑み返す。

 もっとも彼らの間に、他の者たちと交わしたような「生死を隔てた感動の再会」という様子はない。もちろん彼らはかつて主君と臣下であり、互いに個人的な情があったわけではないが、それにしてもあっさりとしすぎているのは、これが転生してから初めての邂逅ではないからだ。

 そもそも、彼女と最初に『再会』を果たしたのはスザクだった。ルルーシュは前述の理由からベルケンドに足を踏み入れてはいなかったし、セシルと関わりの深いロイドも、マルクトからとはいえ実験中の事故死を装って逃亡した身であり、そうそう出歩くことはできない。一方のスザクは今やギルドの構成員として世界中を飛び回ることも多く、たまたま訪れたベルケンドでセシルと鉢合わせしたのである。

 前世の記憶を取り戻した当初、当然ながらセシルは酷く混乱した。ベルケンド在住の彼女は、この街で生まれ20年以上の月日を過ごしてきており、前世の記憶が蘇った後にも、この地を故郷と思う心はあった。両親は既に亡くなっていたが、それでも親しくしている友人知人はいる。ルルーシュたちの側につくということは、その全てに背を向けるに等しい。

 しかし最終的には、彼女はベルケンドを離れてルルーシュ側に身を寄せることを決断した。そこには、ここ数年で変質しつつあるベルケンド―――特に勤め先である研究所への嫌悪、そして預言への疑念がある。

 

 ベルケンドの音素学研究所の職員、それも幹部格の研究員だった両親の間に生まれたセシルは、預言に『研究者となる』ことが詠まれたこともあり、当然のようにその未来を強いられた。彼女自身はフォミクリーや音素学を学ぶよりも、自宅の近所にあった工房(『い組』と呼ばれるその筋では高名な彼ら技術者集団の工房だった)で開発される譜業の方が好きだったし、譜業の玩具を弄って遊ぶのが大好きだった。ヘンケンという老人からは見所がある、見習いから始めないかと誘いを受けてもいた。

 けれど彼女の未来の展望は、『預言』の名の下に押し潰された。彼女が両親を説き伏せる材料を探している間に、彼女の意志とは別のところで見習いとしての入所が決まってしまっていたのである。どうやって手を回したのか、『い組』に弟子入り志願に行った時も、結局困りきった顔で首を横に振られてしまった。おそらく裏から何がしかの圧力が掛かったのだろう。『い組』の主要構成員の一人であるスピノザ氏は音素学研究所とも関わりが深いし、オールドラントでは預言に逆らうのかと恫喝されれば、強硬に反対できる者はほとんどいない。

そうして外堀を固められてしまったことで、当時10代前半だったセシルはしぶしぶ研究所に入った。フォミクリー関連の研究者の助手の真似事をしながら知識をつけていったが、その一方『趣味』という名目で譜業を学ぶこともやめなかった。

それが功を奏したと言うべきか―――頑強に彼女の研究者としての未来を強制してきた父の死後、彼女はフォミクリーに関わる音機関製作部署へと配属されることになった。実際の施工は外部に委託するため、基本的な設計などを行う部署である。彼女がここに配属されたのは今から2年前―――ND2010年、彼女が20歳のときだった。

配属された当初は当然下っ端からで、雑用ばかりで実務に関われることはほとんどなかった。それでも図面や運び込まれる譜業を目にする機会は幾度もあり、その機能や目的なども理解できるようになる。対象に様々な苦痛を与え、その際の音素振動数を計測する機能、電流を流して継続的な痛みを与える機能―――それがおよそ非人道的な実験設備であると気付いたのは、配属されて数ヶ月が経った頃だった。嫌悪感を覚えつつも動物実験だろうと思い込んでいられたのはわずかな間で、すぐに彼女は、それが人間を対象としたものだということに気がついた。そして定期的に、人目を憚るように研究所に連れてこられる子供が存在することにも。

 ―――彼女がその子供の正体を知ったのは、それからわずか数ヵ月後のことだ。ファブレ公爵の領地であるベルケンドから、その嫡子である公爵子息が誘拐されたのである。その背格好は、セシルがわずかに垣間見たあの子供に一致した。公爵子息が定期的に『検査のため』―――表向きは、病弱な母を持つがため、次代のキムラスカ王候補として健康状態を厳しく管理していたということらしいが―――にベルケンドを訪れていたという情報も、実験体と思しき少年の来訪頻度と重なっている。

 その実験が何を目的としていたのか、セシルは知るよしもなかったが、誘拐された後見つかったという少年が再びベルケンドに連れてこられることはなかった。そして研究員たちが危惧したように、公爵子息誘拐の責が研究所員やその警備体制等に及ぶこともなく―――代わりに、じわじわと研究所が教団の勢力に侵食されていった。

 そもそも研究所自体の設立は数十年前に遡れるが、当然当時概念すらなかったフォミクリー研究などが行われているはずもなく、先代ファブレ公爵による譜業の私設研究所だったのだそうだ。しかしフォミクリーが発表されその軍事転用などの有用性が認識されるに至り、一部の研究者たちがフォミクリーへとシフトしていった。それが段々と規模が大きくなり、後援である公爵家やキムラスカ王家、軍部の意向もあり、ついには譜業とフォミクリーの比率が逆転して今のような形になったというのである。

 その過程で、研究所は公爵家のみならずキムラスカ王家、ひいてはキムラスカという国家の意向を強く受けるようになっていた。後にセシルが探りを入れたところによると、件の公爵子息と思しき人物への人体実験は、国の意向によるものだったようだ。この頃にはファブレ公爵家は研究所の運営に形ばかりでしか関与していなかったらしい。我が子が実験体として扱われているのに薄情と言うか―――あるいは、後ろめたさに見ない振りをしていたのかもしれないが。

 そして公爵子息の帰還後、キムラスカの中枢は研究所に対して口出しすることはなくなったが、かといって公爵家が以前のように管理するかといえばそうでもない。研究用の機材の確保など、とかく研究という物は金が掛かるというのに、そのスポンサーが次々と疎遠になってしまったのである。

 そこに付け込んだのがダアトだった。不足する研究資金の工面などをエサに、じわじわと研究所を私物化していったのである。漠然と不安を覚えて公爵家に上申した者もいたようだが、教団側から上手く丸め込まれたのか、取り合ってもらえなかったそうだ。あるいは研究所の動向と疎遠でいたい公爵家にとって、渡りに船ですらあったのかもしれない。

 2年が経つ今では、研究グループの半数近くが教団の息の掛かった状態になってしまっていた。教団の金を受け取らねば研究資金に困窮するわけだから、兵糧攻めに等しい。完全にダアトの影響下に入るのも、そう遠いことではないだろう。

 しかしそもそも自身の未来設計を大いに邪魔してくれた預言、ひいては教団をセシルは快く思ってはいなかったし、例え教団に何がしかの意図がなかったにしても、周囲がじわじわと乗っ取られていくのはいい気分はしない。年端もない子供に対する不穏な実験のこともあり、研究所そのものへの不信も拭いがたく存在し―――スザクとの再会はそんな矢先のことだった。キムラスカとの敵対という件がなければ、セシルは何の葛藤すらなくシェリダンに移り住んだだろう。

 しかし今こうしてルルーシュと面会しているセシルは、既にその決断を終えている。再びルルーシュを主君に戴くこと―――彼の抱いた理想を実現する、その一助となることを。

 だから今回ルルーシュがベルケンドを訪れたのは、セシルを説得するためではない。研究所を辞すという彼女と共に、シェリダンへの移住を希望する人物の面談をするためだ。

「それで、そちらが?」

 セシルの後方に佇む男性を視線で指して、ルルーシュはそう問うた。彼女は頷いて、背後を振り返る。

「こちら、音素学研究所に所属しておられるシュウ先生です。シュウ先生、こちらはランペルージ商会の代表、ランペルージ氏です」

 セシルの紹介に、ルルーシュはにこやかに微笑みながら手を差し出した。

「初めまして、ルルーシュ・ランペルージと申します」

「ご紹介に預かったシュウと申します」

 そのルルーシュの手を握り返したのは、四十絡みの壮年の男性だった。ルルーシュや、下手をすればセシルくらいの年の子供がいてもおかしくないだろう。

 両者を紹介したあと、セシルはルルーシュに対してシュウ氏の経歴について付け加えた。ルルーシュに関しての情報は、ランペルージ商会代表という言葉で差し当たっては事足りる。

「シュウ先生の専門分野は人体音素学―――人体のフォンスロットによる日常的な音素吸収が、人体の形成や健康の維持にどのように関与しているかを調べる学問ですが、その延長で医療にも造詣が深くていらっしゃいます。退職の挨拶に伺った際、シェリダンに新設される予定の研究所の話に大変興味を持たれたようで」

 セシルはシュウ医師と親しく、研究所を辞める報告をした際に今後の身の振り方を聞かれている。もちろん彼女の今後を案じる気持ちから問うたのだろうが、それが結果的にセシル同様現在のベルケンドに不信を抱いていたシュウ医師の希望を満たし、そしてルルーシュ側にとっても利のある話に繋がったのだから、何がどう転ぶかわからないものだ。

 一通りの紹介を済ませ、ローテーブルを挟んでソファに腰を下ろした後、シュウがおもむろに口を開く。

「………先ほどセシル君からは学問の延長で医療をと紹介されましたが、私自身はフォミクリー研究者であるよりも、医学研究者でありたいと思っております。………残念ながら、医療のみの研究ではスポンサーを集めるのも一苦労なのですが」

 オールドラントでは、第七譜術の発達により医学の研究が軽んじられる傾向にある。特にキムラスカでは譜業や音素学に重きが置かれており、この音素学が医学と密接に関わりあうせいで、研究者がそちらに流れがちなのである。

 もちろん第七譜術が病に効かない以上、医者も研究者も存在するし、軍医も看護兵も王室御用達の典医もいる(もっとも彼らは同時に第七譜術士でもあるのだが)。しかし譜業や音素学等に比べると研究分野としてはいまいちパッとせず、必然的にスポンサーを得て研究を続けていくことが難しい。譜業などのように短期的に成果が出るものでないのもこうした傾向に拍車を掛けている。

「医学を志し医者となったものの、資金難ゆえに本来の研究を続けることが難しく………音素学分野の片隅で、医療を絡めて研究している有様です。それすらも、昨今の研究所の状況ではできなくなるかもしれません」

 スポンサーがつかなければ研究は続けられず、しかし資金を出すとなれば当然スポンサーも研究内容にも口を挟んでくる。スポンサー側としても自らに利のある研究をさせたいに決まっているのだから、下手な相手を選んでしまえばおのずと研究の方向は限定される。彼にしてもジレンマを覚えずにいられない状況だった。

「そんな折、セシル君からランペルージ商会が私費を投じて医療研究所を開設するという話を聞きまして。譜業関連で飛ぶ鳥を落とす勢いで成長を続けておられる御社ですから、新規分野への参入を見越した先行投資ということかもしれませんが―――そこでなら、研究を続けていけるかもしれないと思ったのです」

 穏やかかつ真摯に語るシュウを、ルルーシュはじっと見つめた。真っ直ぐに伸びた背、その眼差しは、自分の目標に誇りを持つ人間のものだ。そういう人間が、ルルーシュは嫌いではない。

 ふっと微笑を口の端に乗せ、ルルーシュは居住まいを正す。

「………私には年の離れた弟がおりましてね。今年5歳になるのですが、少々事情があって幼い頃の栄養状態が悪く、今でも頻繁に寝付くのです。引取ったばかりの頃には、生死の境を彷徨ったこともあります」

 唐突に変わった話題に、シュウはわずかに戸惑ったように相槌を打った。そんな相手の困惑に気づき、ルルーシュは肩を竦めて見せる。

「あの時掛かった町医者は、ろくに何もしてくれませんでしたよ。結局のところ栄養状態が悪く衰弱していたわけですから、栄養をつけさせるしかない。ところが本人は自力で食べ物を摂取するのも難しい状態、それどころか呼吸すらも弱いんです。外部からの補助が必要なのは間違いないのに、医者は諦めるしかないと言うんです。怪我でも病気でもないのだから第七譜術も薬も効かない、自分にできることは何もないと」

 それでも『あちら』の世界なら、点滴で栄養を取らせることもできただろうし、呼吸器で呼吸を補助することもできた。できることが何もない、などという事態ではなかったはずだ。

 けれどそのどちらもがオールドラントには存在せず、衰弱していくロロを前に、ルルーシュはひたすら無力感に苛まれた。できることはあるはずなのに、それを彼らは知っていたというのに、それを実現するために手段―――機材も、薬剤もない。おそらくこのオールドラントでは、これまで何人もの人間が、ルルーシュたちの感覚では助かるはずの症状で、呆気なく亡くなっていったのだろう。

「幸い弟は必死の看護で持ち直しましたが、依然として健康体とは言えず安心はできません。しかし正直、あのレベルの医者では呼ばない方がマシだというのが率直な感想です」

「………」

 容赦なく扱き下ろすルルーシュに、シュウは複雑な表情で黙りこむ。医者のレベルにもよるのだろうが、医者と名乗る者の中には底辺レベルの者も存在するのも確かだった。医者を育成する機関や認定する資格、そう言った基準となる部分がかなりあやふやだからだ。王立や施設の医者の養成所のような施設はあるにはあるが、それこそそのレベルはピンから錐まであり、中には相当酷いところもあるらしい。それでもそこを出てしまいさえすれば『医者』なのである。

 そんな現実を思い返し項垂れるシュウに、ルルーシュは苦笑する。

「次に何かあった時、同じように奇跡が起こるとは限りません。その時に後悔したくはないのです。………要は私情ですよ。弟を、助かるはずの人間を、失いたくない。ただそれだけのことです」

 それでもその『私情』に端を発した事業が周囲に認められたのは、それが単なる私情に留まらないからだ。第七譜術の及ばない分野における医療技術の向上と、医者の養成―――最終的には、その知識と技術という名の利益は、民へと還元されるものである。

「草案を作ったのはもう2年近く前のことですが、各方面の折衝から施設の設計、機材の調達に人員の収集と、随分と難航いたしましてね。それでもようやく施工に入り、目途が立ってきたところなのですよ」

 2年―――ルルーシュたち転生組の感覚ではその倍ほどの月日を掛けて、ようやくそこまで漕ぎつけた。その過程で、キムラスカの役人やらを相手に随分と衝突する羽目にもなっている。いっそケセドニアにでも建設すれば話は早かったのだが、将来的な事を考えると、重要な施設を『国外』―――ラーデシア大陸の外に建設するのは得策ではない。いっそ計画を前倒ししてシェリダンからキムラスカ勢力を追いだしてやりたいと、何度思ったことだろう。

「計画では、半年後には研究所が開設できる見通しです。シェリダンのめ組の方々とも話は付いておりまして、セシル女史には彼らと提携して医療用譜業の開発等に携わって頂く予定です」

 前述の呼吸器や介助用の譜業など、あちらの世界での知識とオールドラントの譜業の知識の双方を備えた人間が最適だった。条件だけならロイドやニーナでもいいはずだが、ロイドは潜伏中の身だったし、最近は浮遊機関の研究に誘われて首ったけである。ニーナも商会の案件と、あとは隠れ家用の設備開発に忙しい。

 その点、セシルは言い方が悪いが『新参』であるため、そちらの方に回されたわけである。―――もちろん裏ではロイドらと一緒に独立を視野に入れた開発にも参加する予定だが。

 そんなルルーシュの説明にじっと耳を傾けていたシュウは、でしたら、と口を開く。

「そこに私を加えて頂ける余地はありますかな? 人体フォンスロットの外部制御による、健康状態の管理―――理論だけは組み上げたものの、その後の資金繰りに難航していたものです。実用化されれば、広範囲の病状に応用の効くものと考えております」

 検証とそのための譜業機器を製造するには相応の資金が掛かり、しかしスポンサー次第では研究の方向性を歪められかねない。表に出さずに温めていたその理論を、シュウは持ち出した。

 セシルというシュウにとっての知己の保証があるとはいえ、悪用を恐れて公開せずに来たその研究を口にしたことに、ルルーシュはシュウからの無言の信頼を感じ取り―――いや、むしろ一か八かの賭けなのだろうか。それほどに、ベルケンドの研究所の状況が悪いということだろうか?

 それでも、シュウの申し出を断る理由はない。他に選択肢がなかったにしろ、彼はこちらを選んだ。それに応える用意が彼らにはある。

 にっこりと、極上の微笑を浮かべ、ルルーシュはシュウの申し出に頷いた。






 シュウとの話を切り上げ、ルルーシュたちが泊まる予定の宿―――シュウたちと会った宿とは別である―――に辿り着いたのは、じき日が暮れるという時刻だった。受付で部屋の確認をし、割り当てられた部屋の扉を開けたルルーシュたちを、恭しく頭を下げたメイドが出迎える。

「お帰りなさいませ、ルルーシュ様」

この宿は主に中流層が利用するレベルで、決して粗末ではないが、手厚いサービスを期待できるものでもない。もちろん部屋付のメイドなど以ての外だ。従って、彼らを出迎えたのは宿の従業員などではなく、ルルーシュ個人に仕える人間である。

「すまない、遅くなった」

 メイド―――この宿で落ち合うことになっていた咲世子に、ルルーシュはそう声を掛けた。本来ならばもっと早くに戻ってこれるはずだったのだが、シュウたちとの話が思いのほかに長引いてしまったのである。おそらく数時間、彼女はここで待ち惚けしていたことだろう。

「いえ、ご無事で何よりです。バダック様も」

 ルルーシュに続いて部屋に入ってきたバダックにも、咲世子は声を掛けた。『バダック様』などと呼ばれるのに慣れない彼は若干居心地悪そうな顔をしていたが、それ言ったところで咲世子が改めないのは既に思い知っている。ルルーシュを主君と仰ぐ彼女は、その主君がそれなりに一目置いて重用するバダックに対しても、相応の礼儀を持って接している。これはバダックだけでなく、今生でのルルーシュの縁戚であるジョゼットに対しても同様である。

 その彼女は、服装こそメイドのそれであったが、いつものようにメイドとして立ち働こうとはしなかった。代わりに、幾分緊迫した様子で、急ぎお耳に入れたいことが、と口を開く。

「………何があった?」

 咲世子にはここしばらくダアトの動向を探ってもらっていた。そこで何か動きがあったのだろうか?

「はい、ジェレミア卿の消息が判明いたしました」

「………!」

 端的に告げられた言葉に、ルルーシュは目を見開いて咲世子を見る。

 ホド組に始まり、ロイドやミレイ、リヴァル、セシル―――さすがにこれだけ生前の知己が集まってくれば、他にも生まれ変わった者がいるかもしれないという考えに至ってもおかしくはなかった。どういう原理かはかは定かではないが、どうもあのフレイヤ投下の際、そしてそれ以前にあちらの世界で落命していた者たちが生まれ変わっているらしい。ならば、忠義の臣であったジェレミアや、共犯者たるC.C. ―――セントビナーで幻のような邂逅を果たした彼女―――らも、オールドラントのどこかで生きているのかもしれない。

 特にC.C.には色々と聞きたいこともあり、ルルーシュは咲世子に各国の情報収集の傍ら、可能ならば彼らの消息も探るように命じていた。ジェレミアの行方がわかったというのなら、その甲斐あっての事なのだろう。

「………それで、ジェレミアはどこに?」

「はい、神託の盾(オラクル)騎士団に所属しておられるようです」

「………」

 咲世子の返答に、ルルーシュは難しい顔になる。キムラスカ程ではないが、ダアトと神託の盾(オラクル)騎士団に対しても、ルルーシュたちは決していい感情は抱いていない。

「ジェレミア卿は特務師団長の地位におられるようです。ただ、特務師団は現在騎士団内で微妙な立ち位置にあるようですが………」

「微妙とは?」

「教団に批判的な人間ばかりが集められているようです。任務の内容も過酷なものが多く、一部には騎士団内の不穏分子を始末するための捨て駒ではとの噂も」

「………」

 咲世子の報告に、ルルーシュは顎の辺りを抑えて考え込んだ。なるほど、神託の盾騎士団と一言で言おうとも、決して一枚岩ではない。食い詰めて騎士団員となった者や、任務に携わるうち教団に不信を抱くようになった者とているだろう。特務師団に集められているのは、そう言った者たちなのかもしれない。

「その特務師団ですが、新主席総長の就任に当たって編成された魔物討伐の遠征において、メジオラ高原に派遣されるそうです。予定通りならば、特務師団は既にダアトを出立しております」

「メジオラ高原だと!?」

 考え込むルルーシュの傍らで、バダックが声を上げた。そこには驚愕と焦りが滲んでいる。彼らの隠れ家―――本拠地はメジオラ高原の遺跡址を利用して築かれており、万が一にもそこを発見されては拙いと考えてのことだ。咲世子にもバダックの懸念は理解できたため、先回りして情報を口にする。

「魔物討伐の予定地はメジオラ高原南部ですので、シェリダン近郊から高原入りすると思われます。上手く案内人を付け、北部に近寄らないよう誘導できればよいのですが………」

 シェリダン近郊から高原入りするのであれば、メジオラ川河口付近の岩棚の切れ目から入ることになる。そこから高原北部よりにある彼らの隠れ家まではかなりの距離があり、偶然で辿り着けるとも思えないが、それでも万が一ということもあるだろう。間違っても、その存在を教団―――ひいては外部に知られるわけにはいかない。

「ルルーシュ」

「ああ、わかっている」

 緊迫した表情でバダックがルルーシュを見遣れば、彼もやや硬い表情で頷いた。

「咲世子、特務師団は既にダアトを発ったのだな?」

「はい。当初予定では今日の午前に船に乗り込んだはずです」

「そうか………。だったら明日にはシェリダン港に着くな」

 ダアトのあるパダミヤ大陸と、シェリダンのあるラーデシア大陸は距離にして非常に近い。乗り込んだ船の航路にもよるが、ダアトとシェリダン港を直接行き来する連絡船だったとすれば、翌日の昼までにはシェリダン港入りしているだろう。おそらくそのまますぐに高原入りすることはないだろうが、一晩シェリダンで、あるいは野営で過ごしたとしても、明日には高原入りしてしまう。

 素早く脳内で予測を組みたてたルルーシュは、指示を待つ咲世子を振りかえった。

「咲世子、今すぐシェリダン行きの船を手配してくれ。連絡船が無理なら、個人の船を借り上げてもいい。明日の午前にはシェリダン港に着きたい」

「かしこまりました」

 一礼した咲世子は、ルルーシュの命を果たすために踵を返した。その背が完全にドアの向こうに消えるのを待たず、ルルーシュは通信譜業を取りだして暗号文を打ち始める。シェリダンのイエモンらの下へ情報を送り、注意を喚起するとともに、可能であれば足止めを依頼するつもりだった。

「バダック、今あそこで動かせるのはどれくらいいる?」

「………あまり多くはないな。2、3………ああ、確かスザクがいるはずだぞ」

 ギルドの面子を思い出していたバダックは、ちょうど隠れ家にいるはずの顔を思い出して付け加えた。そうか、と頷いたルルーシュは、イエモンへの暗号文を打ち終えた通信譜業から、改めてスザクの通信機へと繋ぐ。音声を送るのは親機が遠いため難しいが、簡単なメール機能程度なら問題ない。ギルド員を数人率いて、高原移動用のバギー(物資の運搬用にロイドに設計させた物である)を数台用意してシェリダンに待機しているよう指示を送る。特務師団は徒歩で行軍するだろうから、バギーで追いかければすぐに追いつけるだろう。

 全ての指示を出し終えたところに、船の手配を終えた咲世子と、宿のチェックアウトをしに行っていたバダックが戻ってくる。

 無言で頷きあった彼らは、茜色に染まり始めた街並みを、足早に立ち去った。




Darkest before the dawn

鋼の忠義・2


 

※※※



 長かった………。書いても書いても終わりませんでした。何か事件があったとかでもない展開ですが、その分説明文が異様に増えちゃったんですよね。分量的に普段の倍くらいですが、切るところがなかったので1話でアップします。




 で、ジェレミアの前にちゃっかりセシルさんが合流です。再会シーンとかが抜けてるのは、当初と設定が変わったからです。ほんとは今回のシュウ先生ポジになってもらおうと思ってたんですよ。でもやっぱり彼女は技術者ですから、医者ポジにしちゃうのは強引すぎるよなーと思い直して訂正しました。役柄的にラクシャータ辺りが一番しっくりくるんですが、彼女斑鳩組なのであっちで生きてるはずなんですよね。死ななきゃ転生できないですし。別に思い入れがあるキャラでもないので、無理に引っ張ってくるのはやめました。
 その分シュウ先生がまるでオリキャラも如く出張る羽目になりましたが、こういう役柄の人が流れ的に必要なだけで、実際の出番はあんまり多くないと思います(おい)。や、だってあの世界将来的に各分野がガタガタになりますからね。譜術だってろくに使えなくなるでしょうし。その時慌てて医療技術が〜とかやったって遅すぎますから。

 実際、オールドラントでここまで医者が軽んじられてるってことはない気もしますが(アクゼリュスにも医者がいたはずですし)、ただあの世界の学問とか、ぶっちゃけ医者の養成の仕組みとか研究者の経歴とかってどうなってんの? と思うわけですよ。高名な研究者のはずのジェイド、ディストは私塾出身で、その後多分軍の研究室とか入ってますよね。で、瘴気中和とかそもそも外殻大地降下の時とか、そりゃPTにジェイドという(なんちゃって)科学者がいたわけですけど、でも他の研究機関とか有識者とか、そう言う機関に意見を求めたケースが一切ないですよね。学校とか大学とかどうなってんの、というかあるの? 神託の盾で子供が軍役についててもどこからもツッコミないんでオールドラントは就業が早いと考えると、初等教育みたいなのだけ国なり何なりが学問所を立てて、それ以上の学問は金のかかる私塾とか、弟子入りして学ぶとか、そういうルートなのかなぁと。貴族とかだと家庭教師付けるでしょうし。
 と、色々考えだしたらこんな方向に暴走してしまいました。後々修正する可能性もある………かもしれないです。


4/29 一部追記。

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