神託の盾(オラクル)騎士団―――ローレライ教団が抱える、およそ3万人の信者からなる戦闘集団は、第一から第六までの師団と、特殊任務等に当たることの多い特務師団、導師の護衛を行う導師守護役、そして情報部という計9つの部隊から構成されている。

神託の盾(オラクル)騎士団の名目上のトップは教団の次席指導者である大詠師だが、実際に情報部以外の師団の指揮・運営に当たるのは教団を運営する詠師会にも名を連ねる主席総長であり、教団における影響力という意味では、主席総長は実質的なbRと言うことができるだろう。

 当然ながら、この地位に就くには騎士団における経歴、実力―――そして教団内でのコネクションが必要だった。またマルクト・キムラスカ両国の間に立って動くことも多く、ローレライ教団という宗教団体の擁する騎士団ということで、その人と為りにもそれなりに重きを置かれて選ばれる。大抵は、いずれかの師団長を歴任した、壮年の騎士団員幹部から選ばれるものだ。

 しかしND2013年、病に倒れた主席総長の後任として新たに主席総長に任じられたのは、わずか22歳の青年だった。その経歴も異例のものと言える。

 彼は詠師の一人であるテオドーロ・グランツの孫であり、ND2006年に神託の盾(オラクル)騎士団に入団した後、祖父テオドーロの後見と後の大詠師モースの後押しを受け、異例の出世を遂げていった。そして3年前、20歳の若さで第一師団長になり、ついには史上最年少の主席総長就任となったのである。

 こうした『異例の人事』には、当然批判や反感も数多く存在した。彼の後ろ盾が後ろ盾だけに表立って批判する者は多くなかったが、例えば騎士団内での手合わせを装って、彼の主席総長就任に手厳しい洗礼を浴びせた者たちはいた。もっとも青年―――ヴァン・グランツは確かに抜きん出た力量の主には違いなく、彼らは公衆の面前で派手に返り討ちにされたようだが。

 

 それぞれの内心はどうであれ、晴れて主席総長となったヴァンは、騎士団の実権を掌握することに手を尽くした。

ヴァンは当時複数存在した師団長の中では最年少であり、彼以外に主席総長候補と目され、その地位を狙っていた人物も存在した。また地位に興味はなくとも、お偉方にあからさまに贔屓されるヴァンを不快に思っていた者も多い。むしろ、ヴァンの主席総長就任に納得した者など数えるほどしかいなかったに違いない。

当然、水面下では熾烈な権力争いが行われ―――これに勝利したのはヴァン・グランツであった。ある者は閑職に回され、ある者は駐屯軍として辺境に追いやられていった。

  そしてND2013年、晩秋。

新総長就任を契機に、神託の盾(オラクル)騎士団による大規模な魔物討伐の遠征軍が組まれることになり、各師団へと命令が伝わっていく。受け取った側に拒否権などあるはずもなく、遠征に組み込まれた各師団は、間近に迫った出立に備え、慌ただしく準備に追われていた。

 

 

 

      ※※※

 

 

 

 渡された資料を手に、難しい顔で廊下を歩いていたジェレミアは、聞き覚えのある話し声に気付いて顔を上げた。立ち止まって視線を巡らせた彼は、練兵所の片隅に、淡い金髪の少年を発見する。

「………オスロー響長?」

 聞こえてくる声、そして後ろ姿から判断するに、彼はジェレミアの部下であるマルセル・オスロー響長だろう。かつて、第五師団時代に部下だったジゼル・オスローの実弟でもある。ほんの2ヶ月前に士官学校を卒業して配属されたばかりだが、ほぼ毎日顔を合わせる部下を見間違えるはずがない。―――もっとも、途切れ途切れに聞こえてくる声は常よりも上擦って、興奮しているようにも聞こえるが。

一方、彼の会話相手はこちらからは柱の陰で見えず、ぼそぼそと低い囁き声が聞こえるだけだ。

(………? どこかで聞いたことがあるような………)

 引っかかるものを覚えつつ、ジェレミアは方向を変えた。自由時間ならばともかく、オスロー響長には先ほど、倉庫に行って携行品の補充をしてくるように申しつけたはずである。それを終えたという報告を、ジェレミアはまだ受けていない。

「オスロー響長! そこで何をしている!?」

 だからジェレミアは、練兵所の入り口から油を売っている部下に声を掛けた。

「だっ、団長!?」

予想外の相手から叱責を浴びせられたオスロー響長は、遠目にもわかるほどに肩を震わせて、勢いよく振り返った。そういう反応になる辺り、自分の行動が褒められたことではないと理解してはいるのだろう。上官の下へ駆けだそうとした彼は、しかし戸惑ったように柱の陰―――会話の相手を振りむいて、困ったように視線を彷徨わせる。

そんなオスロー響長の言動に不審を覚えつつ、ジェレミアは重ねて問いかける。

「………? どうした、もう備品の補充は済ませたのか? 出立は明日の早朝だ。昼までに済ませるよう言っておいたはずだが?」

 今回の遠征には彼ら特務師団も組みこまれており、彼らは明日にはキムラスカのイニスタ湿原へ向けて出立する。個人の装備品や手荷物は各々準備するが、それとは別に団の荷物として、グミやボトル類、携帯食糧なども用意せねばならない。どこの隊でもそのような雑用は新兵の仕事となっており、オスロー響長にリストを渡して用事を申しつけたのが、今朝の話だった。

50名しかいない特務師団では備品の数はさほどではなく、午前中だけでも十分に終わると踏んでいたのだが―――気がつけばもうすぐ正午である。補充を終えて報告に来るところだったのだと好意的に解釈しようにも、改めて眺めた響長の様子は、誰かと手合わせをした後のような汗塗れの格好である。どう見ても、言われた仕事を放り出して、自主訓練でもしていたようにしか見えない。

「………」

腕を組み、橙色の瞳を眇めて、ジェレミアは部下を睥睨する。

「………何か言うことはあるか?」

 事情があるなら聞こうと問いかければ、オスロー響長はしおしおと項垂れた。

「申し訳ありません………」

 保身のための言いわけをしないのはいいとしても、それだけではジェレミアには全く事情がわからない。生真面目な性分だと思っていただけに、仕事を放棄して遊び呆けていたとも思い難いのだが―――。

「オスロー響長―――」

「それくらいにしてやってくれないか」

 もう一度、事情の説明を促そうとしたジェレミアの言葉は、柱の陰から現れた人物に遮られた。

「総長………」

 灰がかった栗色の髪を後頭部で括った、20歳そこそこの青年―――主席総長ヴァン・グランツである。なぜここに、あるいはどうしてオスロー響長といるのか―――そんな疑問をありありと浮かべたジェレミアに、ヴァンは苦笑交じりに肩を竦めて見せる。

「私が彼を呼びとめたのだ。以前士官学校を訪問した際、彼に剣の指南をしたことがあってな。どれほど上達したかと、つい手合わせを申し込んでしまったのだ」

 だから彼を責めないでやってくれと、そう告げるヴァンに、ジェレミアは呆れ混じりにため息をついた。同時に、先ほどのオスロー響長の不自然な言動にも合点が行く。本来上官であるジェレミアの下に駆けつけるべきだったが、柱の陰にそのジェレミアよりも上位のヴァンがいたことで、とっさにどうするべきか決めかねたのだろう。そうした事情を理解したことで、オスロー響長への叱責は呑み込んだものの、ヴァンに対しては皮肉の一つでもぶつけてやらねば気が済まない。

「………指導熱心なのは結構ですが、時と場合は選んで頂きたいものですな。訓練中にご指導下さるのは大いに歓迎いたしますが、何も用事を言いつけられて移動中の団員を捕まえることはありますまい? 遠征を明日に控え、団内全体が慌ただしいことは総長も無論ご存知でしょうに」

 今回の遠征はヴァンの主席総長就任を機に計画されたものであり、また最終的には導師の承認あってのこととはいえ、騎士団内での割り振りや裁可を下したのはヴァン自身である。どの師団がどこへ向かうのか、いつ出立するのか、おおよそのところは把握していて当然だった。ヴァンとオスロー響長がどのような会話の末に『手合わせ』をすることになったのかはジェレミアにはわからないが、彼の所属なりを確認していれば、彼が特務師団所属で、明日の早朝に出立することはすぐに分かっただろう。慌ただしく準備に奔走している人間を捕まえて手合わせもないだろうにと、自分本位に過ぎるヴァンの言動に、ジェレミアは苛立ちを滲ませて首を振る。

「いや、配慮が足りずにすまなかった。任務前ということは知っていたのだが、その分実戦訓練になるかと思ったのだが………」

 そんな皮肉を向けられた側のヴァンはと言えば、すまなそうに眉を下げてそう言った。しかしどうにもその謝罪が薄っぺらく、おざなりに聞こえるのは、ジェレミアがヴァンに対して含むところがあるからだろうか。

 もっとも謝るだけ謝ったヴァンはさっさと話を切り上げて立ち去ってしまっており、相当にこちらを軽んじているのは間違いない。まあ、教団内でも微妙な立ち位置の特務師団、その師団長であるジェレミア程度、どうとでもなるということなのだろうが。

 毛先を揺らして遠ざかっていくヴァンの背中を見送って特大のため息をついたジェレミアは、こめかみを揉みほぐしながら背後を振りかえった。そこには師団長であるジェレミアと総長のヴァンとの間で板挟み状態だったオスロー響長が、酷く居心地悪そうに立ち尽くしている。

「団長、その、申し訳ありません………」

 一兵卒である彼が主席総長直々の手合わせを断れるはずがないが、それでも命じられたことを期限内に遂行できなかった事に違いなく、オスロー響長は恐縮しきりの様子で項垂れる。

「………いや、もういい。午後の打ち合わせの時間を2時間ずらすから、それまでに終わらせるように」

「はいっ!」

 姿勢を正して敬礼したオスロー響長は、今度こそ用事を済ませるべく、目的地に向かって駆けだしていった。他の団員達に周知するため、もと来た道を引き返そうとしたジェレミアは、最初に彼らを見かけた辺りに視線を止める。

(………そう言えば、総長のように強くなりたいと言っていたな………)

 ヴァンに対する興奮したような態度は、憧れの人に対する物だからだろう。確か最初の任務後の打ち上げの席で、士官学校時代にヴァンに剣の指南を受けたこと、全く歯が立たなかったことを、どこか誇らしそうに語っていた。ヴァンの強さと、そして自分も彼のようになりたいのだという目標と共に。

「………、」

 暗澹たる気持ちになったジェレミアは、思わず重いため息をつく。

前途有る若者、希望に瞳を輝かせる若者に、この特務師団はあまりに過酷な配属先だった。預言に懐疑的な者、教団に批判的な者ばかりが集められ(正直、ごく一般的な思想の騎士団員であるオスロー響長がここに配属になったのが、不思議で仕方がないほどだ)、死んで来いと言わんばかりの任務ばかりを押し付けられる。幸か不幸か、個々人の能力が高いため最悪の事態は回避されているが、それもこのままでは時間の問題だろう。

(やはりヴァンの誘いに乗るべきだったか………?)

 総長就任の話が出始めた頃、ヴァンは密かにこちらに接触を持ってきた。

彼はジェレミアに、教団への不満や預言頼り現状への疑念の有無を問うた。もちろん不満など掃いて捨てるほどに存在したが、よりによって詠師や大詠師の子飼いと評判だったヴァン・グランツ相手に、馬鹿正直に答えられるはずがない。彼が暗に匂わせた『改革』とやらもあまりにも漠然としすぎて、とてもではないが賭けに乗る気にはなれなかった。―――あるいは、一人陶酔するように語っていた相手の様子に興冷めしたせいかもしれないが。ヴァンの言葉や振る舞いには、ジェレミアを動かすだけの『何か』がない。どこかこちらに媚びるような言い回しも、鼻につくだけでしかなかった。

そこまで思い出して、ジェレミアは首を振った。

「………どちらにしろ、今さらの話だな」

 ジェレミアは一度ヴァンの申し出を断った。そしてそのヴァンが主席総長となり、暗に教団への不満を匂わせて見せたことのあるジェレミアは、ヴァンにとっては不穏分子でしかない。その彼が師団長を務める特務師団の境遇は、かつて以上に過酷なものとなるだろう。彼らを巻き込まないよう、いっそのこと除隊するか、戦死を装って出奔するか―――そんなことを考え始めた折の遠征だった。正直不安な要素しかない。

 だからこそ、少しでも被害を減らすため、細心の注意を払わねばならない。物資も情報も、集められるだけ集めなくては。

 そのための最善の手を尽くすべく、ジェレミアは早足で歩きだした。




Darkest before the dawn

鋼の忠義・1


 

※※※



ここからベルケンド編に突入です。まだダアトですけど。おっさん’ズしかいないけど。
内容の方はそのまんま、ジェレミア+αの合流編ですね。多分これ、5話じゃ終わらないだろうなー。あとこの話の後に閑話が来る予定なので、それも合わせて結構長引くかもしれません。
あ、ちなみにタイトルはもろジェレミアを意識してるんですが、当初『忠義の炎』にしようかと思ったんですが、アニメの台詞まんま過ぎてやめときました。


………それにしても微妙にスランプっぽい感じです。文章が纏まらない………。
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