契約を終えて宿に戻ってきたルルーシュは、スカーフを緩めて息をついた。きっちりと着込んでいた上着のボタンを緩めると、じっとりと汗ばんだ肌に外気が心地よく感じられる。相手に舐められないよう―――ただでさえ十代半ばの若年だ―――隙のない衣服で契約に臨んだものの、今のダアトの季節は初夏である。火山島であることも手伝って、正直相当に暑い。

「お疲れ様です、ルルーシュ様。どうぞ」

 そんなルルーシュに、咲世子がグラスに入った水を差しだした。―――契約の場からずっと付き従っていた彼女とて、身に纏うのは襟の高いロングスカートと相当暑苦しいはずなのだが、涼やかな表情は暑さなど微塵も感じさせない。もちろんルルーシュ自身、宿の部屋に戻ってくるまで他人に気取られるような真似はしていないが、咲世子には敵わないだろう。特別な訓練でもしているのだろうか?

 内心で苦笑を噛み殺しつつ、ルルーシュは咲世子に礼を言ってグラスを受け取った。部屋に備え付けられていた水差しの水はあまり冷たくはなかったが、それでも含んだ水が喉に染みわたる。

 ようやく人心地ついたルルーシュは、部屋の中を見渡して眉宇を顰めた。

「………どうやら二人とも、まだ戻ってきていないようだな」

 シングルベッドが二つと備え付けの書き物机が置かれたシンプルな部屋に、彼ら以外の人間の気配はない。同じ部屋をもう一つ押えてあるが、そちらも同様だろう。

「聞きこみだけだと言っていたが………少し遅すぎないか?」

 スザクはもちろん、ユフィも自分の身くらいは守れる力量があるが、何分二人とも暴走しがちなタイプである。『生前』に比べれば大分考えて動くようになったとはいえ、ルルーシュの目から見ればまだまだ不安が残るところだった。ユフィに対しては妹補正が働くこともあり、起こり得る問題をシミュレートしたルルーシュは、心配そうに顔を顰める。

「そうですね。もう3時間は経っていますし………探しに行ってきましょうか?」

 咲世子の提案に、ルルーシュはわずかに思案した。これがケセドニア辺りなら、彼らは地の利にも詳しいし、そもそもあそこなら通信譜業で連絡が取れる。シェリダンの協力で開発したオリジナルの通信譜業は―――軍や国でも通信用の譜業自体はある―――傍受されることが万が一にもないよう、既存の物とはかなり違ったシステムを用いている。しかしその弊害として、親機に当たる本体から離れれば離れるほど、電波が届きにくくなるのだ。ケセドニアのギルド拠点にある物の有用範囲は精々ケセドニアの領内で、もちろんダアトで使えるはずがない。いずれ、ここの拠点にも親機を設置する予定ではいるが、それはまだまだ先の話だ。現時点では、彼らが持っている通信譜業は使えない。直接出向いて探してくるしかなかった。

 自身の所持する通信機にちらりと視線を向けたルルーシュは、咲世子に向き直って頷いた。

「………そう、だな。頼めるか、咲世子」

「はい、お任せ下さい」

 咲世子は一礼して、身を翻した。ドアノブに手を掛けようとした彼女は、しかし廊下を駆けてくる足音に手を止める。

 気配を殺すでもないその足音は、ルルーシュの耳にも届いていた。足音は一つ、おそらく体格もそれほどでない―――強盗などと考えるには不自然である。

 ルルーシュが思案する間に、咲世子は部屋のドアを開け放っていた。おそらく彼女には、気配の主がわかっていたのだろう。つまり、スザクかユフィのどちらかだ。

「ルルーシュ!」

 案の定、開いた扉から駆けこんできたのはユフィだった。一体どれほどの距離を走ってきたのか、彼女は荒い息を吐き、肩で息をしている。ルルーシュが同じ距離を走ったら、とっくに潰れているに違いない。

「どうした、ユフィ? 何か問題が、………スザクはどうした?」

 必死に呼吸を整えるユフィは一人きりで、スザクの姿も気配もない。さてはあいつが何かトラブルにでも巻き込まれたかと、半ば諦めに近い心境で促せば、ユフィはバッと顔を上げた。

「ル、ルルーシュ、あのっ、ル、………ロロ? さんがいたんです!」

 自分の死後の事情はCの世界での断片的な知識しか持たないユフィは、当然ロロと面識はない。とっさに名前が出てこなかったほどだが、スザクが口にした名前を思い出して言い直す。

「………え?」

 一方のルルーシュは、唐突に出てきた名前に虚を突かれた。目を見開いて固まってしまったルルーシュに、ユフィが腕を掴んで言い募る。

「力が暴走してて危険なんです! 早く説得して、止めさせないと………随分弱ってるから、あのままじゃ………ッ!」

「………ッ!」

 ユフィの言葉に、ルルーシュの脳裏に弟の最期の光景がフラッシュバックする。

 騎士団の裏切り、銃弾から自分を守った蜃気楼―――そして、追手から逃れるため、幾度もギアスを使い、弱っていった弟。ギアスによる停止状態が解ける度、ロロの顔色は悪化し、憔悴していった。どれだけ制止を訴えても聞き入れられることはなく、その呼吸が止まるのを見届けた。

(ロロ――――)

 冷たくなった身体、二度と開くことのない瞼。

 最期まで自分を慕い、愛してくれた弟。

「ッ、ユフィ! 案内してくれ!」

 そこまで考えた瞬間、ルルーシュは扉に向かって駆けだしていた。慌ててそれを追ったユフィが、ルルーシュを追い越して先導する。

「こっちよ、ルルーシュ!」

 行きかう人々の合間をすり抜け、あるいはぶつかりながら、彼らは貧民街に続く裏路地へと滑りこんだ。咲世子はともかく、既に同じ距離を走って呼びに来た後のユフィ以上にルルーシュは息を切らせていたが、それでも大通りに比較的近いその場所へ、彼らはほどなく辿り着く。

「………ルルーシュ!」

 鞘に入ったままの剣を構え、建物の隙間の小道を険しい顔で凝視していたスザクが、到着したルルーシュに表情を緩めた。けれどそれは一瞬のことで、すぐに難しい表情へと戻ってしまう。

「スザ、どう、いう………ことだ、ロロが、ロロがいるって………」

 肩を大きく上下させながらの問いだったが、それを揶揄する余裕などあるはずがなく、スザクは視線で小道の奥を指示した。

「………ロロ、か? だが、あれは………」

そこにルルーシュの記憶の中の弟の姿はなかったが、ボロキレに包まるようにして、ぐったりと蹲る幼い子供がいた。随分と薄汚れて定かではないが、微かに見える髪の色は、弟のそれと同じようにも見える。

 けれどそれ以上にルルーシュを驚かせたのは、ロロの周囲に瓦礫の欠片や木の破片が、まるで彼を守るように浮遊していることだった。少なくともルルーシュの知る限り、このような現象を引き起こす譜術はない。

「………気を付けて。君が相手なら、大丈夫かもしれないけど………あれ、ロロがやってるみたいなんだ。近寄ろうとすると飛んでくる」

 明らかに弱っているのに、ロロはこちらへの警戒を緩めることはなかった。むしろ弱っているからこそ、本能的にそうしたのだろうか。いっそ当て身で気絶させてしまえばと思わなくもなかったが、一歩足を踏み出しただけで瓦礫が飛んでくる有り様だ。気絶させれば収まるという保証もなく、強引に踏み切ることはスザクにはできなかった。

「………」

 そんなスザクの説明にわずかに目を見開いたルルーシュは、慎重に足を踏み出した。すぐさま飛んできたレンガの塊は、しかし途中で何かに気づいたようにぴたりと制止する。

「ロロ………わかるか? 俺だ。ルルーシュだ」

 ルルーシュは一言一言、噛んで含めるように、そう呼びかけた。

それに対する返答が幼子の口から零れることはなかったが、彼に向って飛んできていた瓦礫が、ごとんと音を立てて地面に転がった。それが引き金になったように、彼の周囲に浮かんでいたいくつもの瓦礫が、まるで糸の切れたマリオネットのように一斉にガラガラと落下する。

「ロロ………」

 ルルーシュの背後でそれを見守っていたスザクが、噛みしめるようにその名を呟いた。―――本当に、彼は兄を愛していたのだろう。

「………あ、」

 同じく小道の入口あたりで立ち止まって心配そうに見守っていたユフィが、微かに声を上げた。ノワールも目を見開いている。

遠目には布の塊でしかないロロは、這いずるようにして必死にもがいていた。弱り切って思うように身体が動かないのだろう―――小さな、がりがりに痩せた手を彷徨わせ、何かを探すように。

「………ッ、ロロ!」

 居ても立ってもいられずに、ルルーシュは駆けだしていた。大した距離ではなかったが、大小様々な瓦礫が転がり、ところどころにゴミの山の詰まれた小道は平坦とは言い難い。何度も転びそうになりながら、ルルーシュはようやく弟の元へと辿り着く。

「ロロ――――」

 布に包まっていたのは、酷く痩せた子供だった。ボサボサの髪は汚れと元の髪色との違いもわからないほどで、本来ふくふくとしているはずの小さな手は、筋が浮いて見えるほどに細い。おそらく腕も足も大差なく、身体だってアバラが浮いて見えるほどだろう。

 それなのに、彼はこんなにも全身で、自分を求めている。

「………ッ、」

 こみ上げてきたものが喉の奥に詰まって、ルルーシュは声にならない呻きを零した。上質な衣類が汚れるのも構わず、彼はロロの目の前に膝をつく。

「ロロ………ロロ、」

 抱き上げようと伸ばした手に、痩せた指が絡んだ。ぎゅうぎゅうと握りしめる力は存外に強く、浮き出た骨が痛いほどだったが、それすらも『生きている』ことの証のようで、ルルーシュの胸を熱くする。

「ロロ………」

 抱き上げた体は酷く軽かった。ルルーシュ自身いまだ16歳の少年に過ぎないが、まだ出来上がっていない彼の身体でも、軽々と持ち上げられるほどだ。

「ロロ、わかるか? 俺だ。もう、大丈夫だからな。一緒に行こう」

 左手で彼の身体を支え、右手でそっとその頬を撫でた。いつ切ったのかもわからない伸び放題の髪を掻き分ければ、痩せこけた頬と、不釣り合いなほどに大きな瞳が現れる。

 自分よりわずかに赤味の濃い紫の瞳―――とても懐かしい色だった。

 その瞳が、見る見る内に盛り上がる雫で濡れていく。

「にぃ、た………」

 兄さんと、そう呼びたいのだろう。

 けれど弱った身体―――それ以前に、ろくに言葉を発することをしてこなかった身体では、思うように言葉を紡ぐことも出来ない。それがもどかしいのだろうか、彼は何度も何度も掠れた声を絞り出す。

 それにゆるゆると首を振って、ルルーシュは弟の身体を抱きしめた。

「もういい、もういいんだ………ロロ」

 彼がどれほど自分を愛してくれているのか、もう十分すぎるほどに知っている。

「………愛してるよ、ロロ」

 髪を掻きわけ、現れた額に、頬に、ルルーシュは口づける。顔中が泥と垢で汚れていたが構わなかった。

「………っふ、ぅえ、……ふぇえ………」

 抱きしめた幼い子供は、ルルーシュにしがみついたままぼろぼろと泣きだした。大声を上げて泣き喚く体力もないらしく、その嗚咽は弱々しい。

「………ルルーシュ様、早くロロ様を休ませてさしあげた方が………」

 兄と弟の再会を見守っていた咲世子が、ロロの容体の悪さを察して進み出る。つい持ってきてしまったルルーシュの上着を着せかけながら覗きこめば、素人目にも明らかに容体は悪い。

 それはルルーシュ自身よくわかっていたようで、上着ごとロロを抱き込むように抱えながら、彼は咲世子に向き直る。

「………すぐに宿の方に連れていく。咲世子、すまないが先に戻って医者を呼んできてくれるか。それから宿に言って、お湯や消化にいい食べ物の用意をしてくれ」

「かしこまりました」

 一礼した咲世子は、身を翻して駆けだした。ノワールと目があった際には会釈をしたが、言葉を交わして再会を喜ぶ余裕はないと判断してのことだろう。

「あ、咲世子さん、お医者様は僕が呼んできます!」

 ロロの容体をここまで悪化させてしまったことへの罪悪感もあり、スザクは慌てて声を張り上げた。ダアト在住の医者の居場所など当然スザクは知らないが、それは咲世子も同様である。宿の人間に聞き、呼びに行ってくるくらいなら、スザクでも事足りた。咲世子にはそれより、看病などに必要な物を用意してもらったほうがいいだろう。

「………ノワールさん、すみません、また後で!」

 咲世子の後を追って駆けだしたスザクは、後方のノワールに対して声を張り上げた。小猿のように身軽な身体は、たちまち薄闇に紛れて見えなくなる。

 それに手を振ってやっていたノワールに、ルルーシュは向き直る。

「ノワールさんですね。ルルーシュ・ランペルージと申します。ユフィから貴方のことは伺っています」

「え、あ、ああ………どうも」

 そう言って頭を下げたルルーシュに、ノワールは多少面食らいながらも頷いた。

「本来ならばきちんとご挨拶すべきところですが、何分こういった状況ですので、申し訳ありませんが今日のところは失礼させて頂きます」

 やや早口でそれだけを言いきると、ルルーシュはもう一度頭を下げた。顔を上げた彼は、踵を返すと早足で駆け去っていく。

目まぐるしい展開に密かに混乱していたノワールだが、ロロ―――目の前の少年の弟らしい―――が楽観視できない状況であることは理解している。ここでルルーシュの態度を横柄だの無礼だのと考えるはずがなく、彼女は心配そうな顔で駆け去る後ろ姿を見送った。

 その傍ら、ただ一人残っていたユフィが、ノア姉様、と声を掛ける。

「ユフィ?」

「私にもできることがあるかもしれませんし、私も一度宿の方に戻ります。明日は………ルルーシュと話すのは難しいかもしれませんが、私か、最悪でもスザクが同じ時間に来るようにしますから」

 ロロの容体が落ち着くまでは、ルルーシュは動けないだろう。いくらなんでも、明日の午後にノワールと会談するためここを訪れられる可能性は低い。そうなると彼らの移住の話なども、しばらくは凍結せざるを得ないだろう。水と食料、できれば毛布などの寝具を差し入れた方がいかもしれない。

 そんなことを考えながらユフィが切り出せば、ノワールは首を振った。

「あたしらの方は心配しなくても大丈夫だよ。多少の食糧はあるし、凍死するような季節でもないからね」

 一週間やそこらでどうなるわけでもないと、気丈に笑って見せる。

 手を振るノワールに自身も大きく振り返して、ユフィもまた宿への道を駆けだしていった。




Darkest before the dawn

縒り合う糸・4


 

※※※



ようやくロロと再会できました。っていってもロロ3歳&かなり衰弱してる、という状況なので、意志の疎通もろくにできてないですけどね。多分今後はおんぶ紐で幼児を背負ったルルーシュが各地を飛び回るんじゃないでしょうか(笑)。7、8歳くらいまではルルーシュが連れ歩くんじゃないかなぁ。その後は、ぼちぼち商会の仕事の手伝いだとか、できることを探していくと思います。オールドラントって全体的に子供が社会に出るのが早そうですしね。
あ、ちなみにND2010年なので、ルルーシュ&スザクが16、7歳、ユフィがその2つ下。咲世子さんが21歳くらいで、ノワールさんは23歳くらいです。………うん、数え間違えてないよね、自分。正直あんまり自信ないです。特に脇キャラ。


でもってルルーシュとノワールさんの会談はロロ回復まで延期ですが、多分そのシーンは書きません。ダアト編は次回で終わりのつもりなんですが、いつもの如くまとめっぽい一節+α、という感じです。………実はその+αがダアト編のメインになるはずだったんですけどね。ま、私のプロットなんていつもこんなもんですよ………(泣)。
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