ルルーシュに保護されたロロは、丸2日間高熱を出して苦しんだ。幼い子供が憔悴していく様は、痛々しいほどだ。

 それにも関わらず、宿の紹介を得て呼んできた医者はろくに役に立たない有様だった。おそらくそれは、オールドラントにおける医療技術の発展度合いが酷く偏っていることが大きいだろう。

オールドラントには傷を癒す第七譜術が、そして同様に傷を治療するグミ類がある。第七譜術士は貴重な存在だが、グミならばほとんど全ての街で手に入るため、これらの分野の発展に関し、為政者たちはさして関心を払ってはいなかった。差し迫って必要なことではなかったからだ。資産のある者ならば、グミ類の入手も第七譜術士の手配も難しいことではない。

もちろん第七譜術は病には効かないため医者は存在するし、キムラスカ領・ベルケンドにある音素学研究所には医療研究室もある。おそらくマルクトにも、それなりに研究する機関はあるのだろう。

 しかしベルケンドの研究所はその名の通り音素学に特化しているし、外科手術が一般的でないことも手伝ってか、病理解剖などによる医療技術の発展も望めない。世間一般で『医者』と呼ばれる者とて、かつての世界の医療技術―――しかもブリタニアの医療技術は最先端の水準にあった―――を知るルルーシュたちの目からすれば、よくて藪医者というレベルだった。第七譜術が存在しなかった創世暦以前の方が、よほど進んだ水準にあっただろう。音素学以外のまともな医学書のほとんどが、創世暦時代の書物を写した物だという話も聞くほどだ。

 ルルーシュはロロの治療のために呼んだ医者の対応でまざまざとそんな現実を思い知り、結局ほとんどの看病を自分と咲世子の二人で乗り切ることとなった。

かつての世界でルルーシュは、ナナリーという障害を持った妹を支え、また育てていくためにかなりの医療知識を自主的に学んでいた。咲世子もそのナナリーの世話係だったのだから、それなりの知識はある。もちろん医者や看護師レベルには及ばないが、件の医者よりはましだという自信はあった。―――あるいは、患者であるロロが浮浪児以外の何者でもない容貌だったために、件の医者に敬遠されたのかもしれないが。

 医者を帰らせた後、ルルーシュたちは、ナナリーの看病で培った知識を総動員して―――当人の気質と負った障害ゆえに些細なことで寝込みがちだった―――ロロを看病した。それでも幼児の世話は勝手がわからないことも多く、宿の老婦人が近所に住む教団員の女性を紹介してくれた。女性には6歳ほどの娘がいるそうだが、その子供もロロのように、手を使わずに物を動かす能力を備えているとのことだった。その女性も詳しい原理は知らないそうだが、そうした能力を持つ者は稀にいて、長じた後には神託の盾騎士団に入団し、人形士という兵種につくことがあるというのだ。部隊での行動に向かないためマルクトやキムラスカの正規軍では持て余されがちだが、兵の編成に例外の多い神託の盾騎士団では、身を立てる余地があるのだろう。両親共に教団員であるというその娘も、あるいは将来的にはそうなるのかもしれない。

ともあれ、周囲の献身的な看病によって、2週間が経つ頃にはロロの容態はひとまずの落ち着きを見せた。それでも到底ベッドから立ち上がれるほどには回復していない。多忙なルルーシュはいつまでもダアトに留まるわけにも行かないが、それでもせめてロロに船旅に耐えうる体力がつくまでと、予定をやりくりして長期滞在の手はずを整えた。

 宿の一室を臨時の事務所代わりにして、ルルーシュは看病と仕事に奔走した。バダックやミレイたちのバックアップがあって始めて可能になったことだが、その甲斐あって、半年足らずでロロは壁伝いに歩けるようになっていた。まだ無理はさせられないが、ダアトからラーデシア大陸までの比較的短い距離なら、船旅も可能だろう。

 その年の晩秋、ルルーシュたちは半年間滞在した宿に暇を告げることにした。礼儀正しく人当たりのよいルルーシュは宿の年老いた主人夫妻にも従業員にも受けがよく、比較的手の空く時間ということも手伝って、何人もが見送りに立ってくれた。ダアトを訪れることがあれば是非寄ってくれと、熱烈に乞われもした。

 そうしてロロと咲世子、護衛を兼ねて迎えに来たスザクたちと共に、ルルーシュは手配した馬車へと乗り込んだ。港からは、ランペルージの商船でシェリダン港へ、そこからシェリダンを経由してメジオラ高原の拠点へと向かうことになっている。―――ちなみにダアトに出す予定の店も既に内装の段階に入っており、ケセドニアとダアト、そしてシェリダンは自社の専用船の運航を開始したところだ。バチカルとマルクトは交渉段階で長引いたためもう少し先になるが、いずれこれらの都市とも行き来を始めることになるだろう。

 馬車に乗り込んでめいめいが居心地のいいようクッションを整えたところで、馬車が動き出した。有事に備えて出入口に最も近い席に腰を下ろしたスザクが、ふと思い出しように話題を振る。

「そういえばこの間、あっちでノワールさんと会ったよ。来月からダアトに行くって言ってたけど」

 彼の言う『あっち』とは、メジオラ高原に存在する彼らの拠点である。万が一にも外部に悟られないよう、地名や街の名前を口にしないよう徹底しているのだ。

 その拠点に、ノワールと彼女が庇護した子供たちは早々に移り住んでいた。最初にランペルージ商会の船がダアトを訪問した時だったから、再会してから1ヶ月ほど経っていただろうか。スザクは先日ギルドの仕事でシェリダンまで行き、そこで届け物を頼まれてメジオラ高原まで足を運んだのだが、その時ノワールに会って話を聞いたのである。

「ああ、その予定だ。あちらは今のところ、バダックが上手く切り盛りしてくれているからな。最初はケセドニアに行くことも考えたらしいが、あそこはランペルージの事務所があるし。それより手薄なダアトの方が、こちらとしてもありがたい」

 各地の拠点となる予定の店舗の人員は、末端の従業員は現地の人間を雇うとしても、やはり中枢にはこちらの意図を汲める人間を置かねばならない。そういう意味では、ノワールの申し出は渡りに船だった。子供たちの中でも年長の者も二人ほど、下働きとして同行するそうである。

「バチカルとグランコクマはどうする予定なの?」

「ああ、それなら………」

 アディシェスの人間のほうから数人回す予定だと、そう答えようとしたルルーシュは、ちらりと見えた光景に口を噤んだ。

「にぃ、さん? どした、の?」

 まだ上手く喋れないロロが―――早くに親に捨てられろくに教育を受けていなかった彼は、前世の記憶を取り戻してからも、オールドラントの言語に馴染みないこともあって上手く話せないのだ―――舌足らずな口調で問いかけた。

「ああ、いや、あれは………」

 弟を振り返ってその頭を撫でてやったルルーシュは、再び窓の外に視線をやった。彼らの後方―――ダアトから森へと続く街道沿いを、複数の騎馬が疾走してくるのが見える。その数はおよそ10人ほどだろうか。たちまち彼らの馬車に追いついた一団は、そのまま速度を緩めず街道を駆け抜けていった。

「………神託の盾(オラクル)だね。軍服の色が白じゃないから………正規の師団じゃないみたいだけど」

 神託の盾(オラクル)騎士団―――およそ3万人からなる、ローレライ教団の防衛組織である。主な任務は教団の総本山であるダアトの防衛、そしてキムラスカとマルクト間の紛争の解決だと言われている。また国境に阻まれず活動が可能という身軽さを生かし、魔物の討伐などの遠征に出ることもあった。―――少なくとも、表向きは。

 その神託の盾騎士団は、兵種や階級などによって違いはあるが、教団のシンボルカラーである白を基調とした装束を纏っている。白いローブや法衣などを着て戦場に出れば目立つことこの上なく、さらにすぐに汚れてしまうと思うのだが、合理性は二の次らしい。

 しかしそれは第一から第六までの正規の師団に限った話であり、情報部や導師の護衛に当たる導師守護役、そして特務師団はそれとは異なった装束を纏う。女性のみで構成される導師守護役は白にピンクをあしらった装束で―――ピンクの軍服というのもどうかとルルーシュ辺りは思うのだが―――特務師団と情報部はこげ茶色の軍服だ。先ほど駆け抜けていった騎馬の一団は、このこげ茶の軍服を纏っていた。

「おおかた特務師団だろうな。情報部だったら、あの数で派手に移動する真似はしないだろう」

 情報部という名称通り、その任務は潜入による情報収集だの危険人物の監視だの、とにかく人目を憚る内容だ。そんな部隊が、軍服のまま派手に騎馬で疾走していくというのも考えにくい。

 それはスザクも同感だったようで、特務師団ということにはすんなり納得をした。

「………何だろうね。今のところ、キムラスカとマルクトは小競り合いとかはしてないはずだけど」

 しかし現在彼らが積極的に介入するような争いは起こっておらず、スザクは騎馬の去っていった方角を見ながら、怪訝そうに首を傾げている。

「そういえば、2日ほど前に北の森で魔物が異常発生したという噂を聞いたな。神託の盾(オラクル)が討伐に向かうと言っていたから、それじゃないか?」

 ダアトの宿で小耳に挟んだ噂を思い出して、ルルーシュがそう言った。

パダミヤ大陸にはあちこちに石碑が点在しており、それを順に巡る巡礼という慣習がある。北の森はダアトからは離れているとはいえ、巡礼者が襲われては拙いということなのだろう。また生態系が荒れてしまえば、他の魔物の暴走を招く可能性もゼロではない。

「ああ、そっか。………ってちょっと遅くない? 噂を聞いたのが2日前なんでしょ?」

「上役の承認やら何やらで時間が掛かったんだろう。それに内部の派閥争いも相当なものらしいしな」

 聖職者たちによって運営されるローレライ教団においても、派閥争いというものは存在する。彼らは有力な詠師や預言士、そして騎士団員を巻き込んで、政争を繰り広げているらしい。色々と足の引っ張り合いもあると聞く。―――そのしわ寄せが民草に及ぶというのが業腹だが、残念ながら強大な組織になればなるほど、そうした争いは深刻かつ複雑になっていくものなのだろう。

 そう言って肩を竦め、ルルーシュは話題を打ち切った。教団の本拠地であるダアトで神託の盾(オラクル)を見かけること自体は不思議でもなんでもない。

 ―――だから、その駆け抜けていった一団、互いの顔を見ることすらなかった一団の中に、彼らに縁ある者がいたことに、ルルーシュたちは終ぞ気づくことはなかった。

 

 

 

 

「ジェレミア隊長!」

 任務を終えてダアトにある神託の盾本部に戻ってきた彼は、背後から自身を呼びとめる覚えのある声に、立ち止まって振り向いた。

 小走りで近づいてきたのは、20歳前後と思しきうら若い女性だった。怜悧な容姿の美女だったが、金の髪を一つに結ってきびきびと動くその様は、間違いなく軍人のそれである。

「おお、オスロー響長………いや、昇進したんだったな。おめでとう。元気そうで何よりだ」

 見知った人物との邂逅に、青年―――ジェレミアはわずかに頬を緩めた。目の前の女性は、彼にとってはかつての部下に当たる。

およそ3年前、彼女が士官学校を卒業して初めて配属されたのが、当時彼が在籍していた第五師団だった。ジェレミアが小隊長を務めていた隊に配属され、上司と部下として2年程の時間を共にした。今はジェレミアの所属が変わり滅多に顔を合わせることもなくなったが、かつての部下が息災な様を目にするのはやはり嬉しいものだ。

 そして彼女―――ジゼル・オスローにとっても新兵時代の上官は特別なものだったようで、黙っていればクールビューティで通るだろう冷たい美貌をわずかに紅潮させている。―――あるいはそれは、かつての上官に対するだけのものではなかったかもしれないが。

「隊長に扱かれましたから。それに比べれば、試験の方がずっと気楽です」

「それは随分だな。そんなに私は鬼教官だったか?」

 ジゼルの口調がからかうようなものだったから、ジェレミアも苦笑交じりに肩を竦めるだけにとどめた。そして実際、任務中はそれこそ鬼教官と呼ばれてもおかしくない厳しさだったが、一度任務を外れれば案外気さくで面倒見がいいということで、ジェレミアは部下たちからなかなかに慕われていた。そうでなければ、ジゼルも廊下で遠目に見かけただけの元上官に、わざわざ声を掛けには来ないだろう。

 ひとしきりかつての話で盛り上がった後、ジゼルはふと思い出したようにジェレミアを振り仰いだ。

「ところで隊長、魔物の討伐に向かったと噂で聞いていましたが、もう任務は完了したのですか? アラミスの辺りで魔物が異常発生したと………」

「ああ、なんとかな。洞窟に棲みついていたウォントの一体が突然変異を起こして、次々と繁殖していったらしい」

「突然変異?」

「うむ。死骸を持ち帰ってきたから、原因に関しての調査はこれからだろう」

「そうですか。………一過性の物だといいのですが」

「まったくだ」

 こんな騒ぎが度々起こるようでは堪らないと、ジェレミアは重々しく頷いた。ウォントというのは手足の生えた魚のような魔物で、素人ならともかく訓練を受けた軍人ならさほどの脅威ではない。しかしそれはあくまで単体でのことで、今回のように異常発生などされては厄介だ。譜術で吹き飛ばそうにも、洞穴の中ということで周囲に配慮せざるを得ず、大本の変異体を探しだして倒すまでに丸2日も掛かってしまった。彼はかすり傷で済んだが、ウォントの鎌で背中をざっくりとやられた団員もいた。その場はグミで凌いだが完治には至らず、ようやく別師団の第七譜術士の治療を受けたところである。

 そんな経緯を思い出して、ジェレミアは不快そうに顔を顰めた。

(………せめて、団内に第七譜術士がいてくれればな………)

 ジェレミアは基本的には剣士であり、第五音素の術も使えるが、第七譜術には適性がなかった。他の団員たちも、皆示し合わせたように治癒術を使えない者ばかり―――いや、間違いなく意図的にそのような編成になっていることは、ジェレミアも他の団員たちも知っている。

 そうして重苦しいため息を吐いたジェレミアに、ジゼルが心配そうに顔を曇らせた。

「隊長?」

「………いや、何でもない」

「ですが顔色があまり………お疲れなのではないですか? すみません、私が呼びとめてしまったばかりに………」

 任務帰りのところを呼びとめて話しこんでしまった自分を振りかえり、ジゼルは恐縮したように小さくなった。ジェレミアは笑ってそれに首を振る。

「いや、気にしないでくれ。これくらいでへたばるような訓練はしていないからな。………それより、いい加減隊長はよしてくれないか。今の私はしがない一兵士だぞ」

 そう言って大げさに肩を竦めて見せれば、ジゼルは呆れたような表情を作って見せる。

「御冗談を。隊長こそ、先日響士に昇進されたと聞いてますよ。今の特務師団長が謡士ですから、実質的なbQではありませんか。次期師団長候補だともっぱらの噂です」

 神託の盾(オラクル)の階級は、奏・謡・響、そして将・士・長の組み合わせによって定められている。名目上のトップである大詠師の奏将を筆頭に、主席総長である謡将、現在は空位だが、総長不在時には神託の盾を纏める次席総長である響将が続く。そしてその下には奏士、謡士、響士(女性の場合は士の代わりに手を充てる)が、さらにその下には奏長、謡長、響長が存在する。

 このうち、響から謡へ、謡から奏への階級を上げるのは比較的容易だが(あくまで長から士、士から将への場合と比較してのことである)、将・士の階級は原則欠員が出ない限り新たに任命されることはない。神託の盾のトップと次席である将はもちろんのこと、士クラスは師団長や副団長などの幹部級の人間に与えられる階級だからだ。幹部の席に限りがある以上、無差別に昇進させるわけにはいかないのである。

 そしてジェレミアは先だって、奏長から響士へと昇進した。それが何を意味するのか、神託の盾騎士団員ならわからないはずがない。

 そう賛辞の言葉を送るジゼルに、ジェレミアは苦い物を噛み殺して曖昧に笑って見せた。

 特務師団長―――いや、特務師団員であることは、今の神託の盾内では決していい状況ではない。まださほどあからさまではないため気づいている者も少ないだろうが、団員であるジェレミアや仲間たちは、薄々気付き始めている。

 ―――神託の盾内の不穏分子。特務師団に集められたのは、上層部にとって素性、思想が都合の悪い者ばかりだった。ジェレミア自身積極的に口にしたことはないが、預言などクソ食らえだと思っている。もう顔も忘れた彼の両親は、預言に傾倒した挙句に身代を傾け、幼いジェレミアを連れてダアトに移り住んだ。神託の盾に入団したのだって、最低限の衣食が保証されるから―――つまりは生きていくためだ。預言などという物をありがたいと思ったことはない。

 そんなジェレミアのような不信心な者、あるいは力のある教団員に煙たがられているような者―――そんな人間ばかりからなる特務師団は、遊撃を担うという性質上頻繁に遠征に出されるというのに、団内に治癒術を使える術士が一人もいない。かといってグミなどの物資も潤沢に与えられているということはなく、あわよくば、任務中に死んでくれと言わんばかりだった。いつか本当に、逃れようのない死地に追いやられるのではないかという危惧もある。

(こんなところで死んでたまるものか。私は、私は――――)

 あの方の下へ。

 無意識にそう考えて、ジェレミアは眉を寄せた。途端にツキンツキンとこめかみの辺りを襲ってくる痛みに、緩慢に首を振る。

「………また、か」

「隊長?」

 様子のおかしいかつての上官に、ジゼルが怪訝そうに首を傾げる。しかし今のジェレミアの意識の中に、彼女の存在はない。

 いつからか―――あるいはもう、この世に生まれおちた時からか、彼は目的のない使命感に支配されていた。

何かをしなければならない、何かを、誰かを守らなければならない。―――今すぐあの方の下へ駆けつけねばならないと。

 けれどそれが何なのか誰なのかを量りかねて、動くことも出来ずにいた。何かをしなければならないのに、何をすればいいのかがわからないのだ。

 自分がこうして神託の盾に居続けるのも、あるいはそのせいかもしれない。生と死の挟間で戦い、生を強く望むたびに、『何か』を覆う霧が薄くなる。白く霞むその向こう、求める真実に近づける気がするのだ。

「………長、隊長!」

「ッ!」

 強く呼びかけられて、ジェレミアははっと顔を上げた。気がつけば、酷く心配そうな顔をしたジゼルが、自分の腕を掴んで覗きこんでいる。

「………あ、ああ、すまない」

「隊長、本当に大丈夫ですか? 顔色も良くないですし………」

 重ねて案じるジゼルの言葉に、ジェレミアはかつての部下に無意味に心配を掛けてしまったと眉を下げた。心の奥の『何か』を探る度にこうなるのだが、第三者から見れば酷い体調不良に見えることだろう。

「………そうだな、少し疲れたのかもしれん。今日は早く休むことにするさ」

 これ以上心配を掛けることもないだろうと、当たり障りなくそう言った。心配し、また呼びとめた事を謝罪するジゼルに気にするなと手を振って、自室のある方へと歩き出す。

 

 ―――白い闇、目を焼くような目映い霧。

大切な『何か』を覆って剥がれない、忌々しい光の膜。

 それが、かつての生で最期に刻んだ光景―――()の主君を呑みこみ、彼自身をも消し飛ばした女神の光槍(フレイヤ)であることを、今の彼は知る由もなかった。

 

 

 

      ※※※

 

 

 

 ND2011年、バチカル、グランコクマ、そしてダアトにレストラン『暗闇の夢』がオープンする。

 ケセドニアにある『暗闇の夢』の1号店はケセドニアにあるホテル・ランペルージの別館1階に入っており、この年にオープンしたのはその2号、3号、4号店だった。ケセドニアにおいては譜業の導入による作業の効率化を武器にコストダウンを図り、比較的安価に味のよい料理を提供することで、中流家庭を中心に高い支持を得た。

しかし『暗闇の夢』を経営するランペルージ商会はそれをそのまま他の都市に持ち込むことはせず、各都市の特性を研究し戦略を練ってきた。バチカルやグランコクマはどちらも大国の首都であり、一部のスラム街を除けば、中流から上流の家庭が圧倒的に多い。安価であるに越したことはないが、それだけでは彼らを取り込むには弱かった。これらの店舗では、惣菜のテイクアウトサービスに始まり、週に1度のサービスデーなど、様々な趣向を凝らして集客に努めた。肝心の味の方もレベルは高く、着実にリピーターを増やして顧客を取り込んでいった。

ダアトに出した店舗も同様に客層の研究を重ねており、昼間は巡礼者を相手に食事や休憩場所を提供し、夜にはバーという二つの顔を使い分けていた。立地が比較的ダアトの外縁部に近いため、教団内に住居を持つ教団員がバーを訪れることはあまり多くはなかったが、月日が経つうちに口コミで評判は教団内にまで及び、酒の種類の豊富さとつまみ、そして店の雰囲気を好んであえてここまで足を運ぶ士官もぽつぽつと現れ始めた。

中でも有名どころでは、グランツ謡将旗下で六神将となった『魔弾のリグレット』が挙げられるだろう。かなりの酒豪だった彼女は、しばしば男でも敬遠するような強い酒を上機嫌に口にしており、同僚である『鮮血のアッシュ』、そして『烈風のシンク』らを連れて訪れた折りには、勝負を挑んだアッシュを軽々と酔い潰し、ずるずると引きずって帰っていったという逸話がある。―――余談ではあるが、仮面で顔はわからずとも背格好から明らかに十代前半であるシンクは、酒を出してもらえずに女主人の特製ジュースを出され、不貞腐れた様子で口にしていたそうである。

 この酒場の女主人は、鮮やかな桃色の髪をした艶冶な美女だった。さばさばとした、それでいて情に厚い人柄で慕われ、彼女目当てに通い詰める者もいるほどだ。

 その女主人―――ノワールという女性は、とても素晴らしい歌声の主でもあった。

 最初の頃は、鼻歌交じりに歌いながら立ち働いているだけだった。店内に流れる音楽に合わせてある時は即席のメロディーを、ある時は不思議な響きの歌を―――またある時は、誰でも知っているような童歌を歌うこともあった。

 そんな彼女の歌声に聴き惚れた客の一人が、とある歌をリクエストしたことがあった。以前にノワールが少しだけ口ずさんだ童歌だが、それをもう一度聞きたいというのだ。

 最初は躊躇ったノワールも、重ねて乞われ、また他の客からも後押しされて、その歌声を披露した。伴奏も何もない歌だったが、誰もがうっとりと聞き惚れた。酒や会話を楽しみに来たことも忘れ、2度3度とアンコールしたほどだ。

 それからもノワールに歌を乞う客はぽつぽつと現れた。中には楽器を持参した者もいる。

 そんなことが幾度も続けば噂にもなり、また『暗闇の夢』のオーナーであるランペルージ商会の耳にも届いた。ノワールの歌を目当てに通い詰める者も出始めている状態で、これを咎める理由もない。それどころか、店舗に少し手を入れて、彼女が歌うため簡易ステージと楽器を用意するほどだった。

 しかし噂になればなるほど、四六時中歌をせがまれるようになり、本来の仕事に支障をきたし始めた。これに困惑したノワールは、一晩に二度ほど、時間を決めてショーのような形式で歌うことにした。この際に伴奏を専門にする二人の男性を雇い、彼らはユニットのような形で扱われるようになる。時折そこにノワールとよく似た桃色の髪の少女が飛び入りで参加し、二人で歌声を唱和させることもあった。

 彼らは次第にケセドニアなどの他の店舗に出張して歌を披露するようになり(この頃にはダアト店の主人は別の人間が務めるようになった)、彼女の歌声は『暗闇の夢』の第二の名物にもなっていった。店舗の照明を暗く絞り、その中で伸びやかに歌う彼女の姿は、その赤味の強い桃色の髪と相まって、朝焼けに例えられるようになる。

 その二つ名を、彼女はどこか擽ったそうに聞いていた。

 幸福だった少女時代、故郷と家族を失い、それでも助け合って暮らしていたケセドニアの日々。

 ―――貧しくても暖かだった時間は瞬く間に過ぎ去り、暗い夜に付き落とされた。いつ明けるともしれない闇は暗く、どこまでも冷たかった。

 けれどそれを乗り越えたからこそ、今の彼女がある。

 『暁の歌姫』ノワール―――それが夜の闇を越え、ようやく彼女に訪れた、朝焼けの名前だった。




Darkest before the dawn

縒り合う糸・5




※※※



………あれ。何かラスト、そんな予定は全くなかったのに、シリーズタイトルのオチ的な流れになってるんですが(汗)。Darkest before the dawn=夜明け前の闇が一番濃い、というのから転じて『明けない夜はない』となるそうで。ラストのノワールさんの辺り、まんまそれなんですけど………。



まあいいや、書いちゃったもんは仕方ない(おい)。
取り合えずダアト編はひとまずこれで区切りです。ノワールさんは今後はそんなに出張ることはないかな? コメント返信でちらっと書きましたが、彼女ゲームの時間軸は諸事情であんまり動けないので。

あと真ん中辺りで出てきたオレンジ君、実はこんなところにいたんです。神託の盾の騎士団員。現在24、5歳くらいですね。本編時には三十路越えてます。
で、一緒にいるのは若かりし頃のリグレットです。ジェレミアと5歳違いの設定なので19歳くらい。彼女にとってジェレミアはかつての上官で今でも慕ってて、という相手なので、ゲーム時とは似ても似つかない対応です。一応ティアのリグレットに対する口調とかをモデルにしたつもり。
過去作品では、髭陣営が手薄になりすぎると話が動かせないため髭の部下のまんまにしてましたが、今回は仲間に引き入れてみました。てかまだフラグ立てただけですけどね。彼女の淡い思慕は髭でなくジェレミアに向いているので、髭に惚れて盲信なんぞさせませんとも。………あ、ちなみに基本的にアビスとギアスでクロスしたCPはなし、あるいは管理人の脳内設定限定で描写はしない予定なので、彼らがくっついたりする展開はありません。てかジェレ咲世と迷ってるってのもありますが。


あと文中で神託の盾の階級とか装束とかに触れてますが、捏造&勝手な補完が多々見られます。
階級ですが、モースが奏将で>ヴァン@謡将。奏長アニス>響長ティアらしい。ということで奏>謡、奏>響が確定で、謡と響の上下が微妙。ただシンク(=参謀総長)、ラルゴ(第一師団長)の謡士がアッシュやディストやアリエッタの響士、響手より低いとは思えないので、謡>響だろうなと。あと髭がただの総長じゃなくて主席総長とあえて『主席』を入れてるんなら、次席総長がいてもいいんじゃね? ということで次席総長=響将、も設定してみました。まあ設定だけなのであんまり影響はないですが。この辺の妄想アレコレは設定ページに載せてあります。
でもって装束に関しては、ザコの神託の盾騎士が白基調が多かった気がするんですが、攻略本見直したら結構黒装束もいましたね。ティアも情報部所属ですが、こげ茶色着てますし。なので↑みたいなこじつけにしてみました。六神将(−特務師団長のアッシュ)のイメージは後半のバージョンでご想像下さい。リグレットは上着白系に塗り替えて。………ところで3DSの攻略本見てたら、人物名鑑の後半ver.六神将の名称が『超シンク』とか『超リグレット』とかになってて地味に吹きました。超ってなんだよ………。
inserted by FC2 system