彼らがようやく落ち着いたのは、微かに届く日差しがオレンジ色に染まった頃だった。ユフィたちがルルーシュと別れて貧民街に足を踏み入れてから、おそらくもう2、3時間は経過しているだろうか?

「ユフィ、そろそろ戻らないと。心配して探しに来ちゃうよ」

「………ええ、そうね」

 スザクに促され、涙を拭いながらユフィは顔を上げた。泣きすぎたせいで、目元どころか鼻も頬も真っ赤だ。早く冷やさないと、明日には酷いことになるだろう。

 それはノワールも同様で、彼女も鼻を真っ赤にしてぐすぐすと洟を啜っている。百年の恋も冷めるだろう有り様なのに、彼女たちの顔はとても晴れやかだった。

「ノア姉様、私たちと一緒にここを出ましょう? 私たち、仲間と一緒に新しい故郷を作ってるんです。まだ少ないけど、ホドやフェレスの生き残りの人もいるの。ノア姉様が無事だったと知れば、皆きっと喜ぶわ」

 積極的に各地を回って依頼をこなす『漆黒の翼(エル・デュ・ノアール)』の隠れた役目の一つが、ホドやアディシェスの生き残りを探すことだった。ホドの民は地理的な事情からケセドニアに辿り着いた者が多いだろうが、それはランペルージ商会がケセドニアに建てた工場の募集を通じてコンタクトを取っている。ユフィたちが探しているのは、それ以外の者たちだった。その中にはいまだ消息がしれないままの親族、そして生まれたばかりだった彼女の実妹の行方も入っている。そうした生き残りたちのうち、彼らの理想に賛同してくれた者はラーデシア大陸の拠点へ―――それ以外は、相応の暮らしができるようお膳立てしてきた。

ノワールに対しても本来なら事前に思想・信条を確かめるべきではあったが、故郷を見捨てたマルクトへの怒りと憎しみを抱いていた彼女なら、新しい国を作るルルーシュの思想に賛同してくれるのではないかとユフィは期待していた。新しい故郷という言葉を口にしたのはそのためである。

しかしノワールの反応はと言えば、ユフィが期待したほどに芳しいものではなかった。けれど彼女が渋るその理由もまた、ユフィが想像した物―――マルクトへの情―――などではない。

「………悪いけど、そういうわけにはいかないよ。この子たちを見捨てていくわけにはいかないんだ」

 首を振ったノワールは、不安そうに自分を囲む子供たちを見た。この子たちもまた、庇護もなく行くあてもない子供たちだ。―――偉そうなことを口にする自分だって、子供たちを養える甲斐性があるわけではないが、それでも置き去りにしていくことはできなかった。

皆、幼いなりに自分に出来ることを探し、小金や食べ物を調達してはここに戻ってくる。それが褒められたものではない手段―――スリなどに手を染めている可能性に気づいていたが、生きるために仕方ないと割り切るしかできなかった。ノワールとて、自分と子供たちの食い扶持を稼ぐため、夜になると隣のゴロツキたちの集まる区画に足を延ばしては、身体を売っている。その稼ぎと、子供たちが集めてくる小金や食糧を合わせても、まだ腹をくちくするには足りなかった。その状況で自分がいなくなれば、一体何人が生き延びることができるだろう。

 そんな懸念を抱えて首を振ったノワールに、スザクがだったら、と声を上げた。

「その子たちも一緒に来ればいいんじゃないですか? 多分、ルルーシュに相談すれば、便宜を図ってくれると思いますけど」

「………? あんた、もしかしてスザクかい?」

 そこでようやくユフィ以外の第三者に気がついたノワールが、まじまじとスザクを眺めてそう言った。仕方がない状況だったとはいえ、小汚い浮浪児同然だった子供の面影を残す少年に、ノワールは懐かしそうに目を細める。

「え………あ、はい。お久しぶりです」

 気づいてなかったのかよとか、口調が全然違いますねとか、色々と喉元まで出かかった言葉を堪えてスザクは頭を下げた。特に年上の女性に弱い傾向のあるスザクには、ただでさえ頭が上がらないユフィの血縁であるということも合わさって、下手に出るしかできない。

 まじまじとスザクを眺めて気が済んだノワールは、少し考え込むように首を傾げた。スザクの提案を検討しているのだろう。―――勇んで飛びつかないのは、上手い話に裏の事情を察せざるを得なかった生活のためだろうか? 信用していいものかと、そう考えているのだろう。

「ルルーシュは大丈夫ですわ、ノア姉様。私たちの大切な仲間です」

「今回も一緒にダアトに来てるんです。今は別件で市街の方にいて………あ、咲世子さんもルルーシュと一緒に行ってるんですけど」

「サヨコさんも?」

 覚えのある名前に、ノワールが表情を変えた。ケセドニアで過ごした2年間で、ノワールから咲世子への信頼はかなりのものになっていたのだ。10代半ばとはいえ、やはりまだ子供の域にあるこの二人よりも、こういった問題では信頼できる。ユフィやスザクが自分たちを騙すような真似をするとはもちろんノワールも考えていないが、その彼ら自身も騙されている可能性はあるのだから。

 しばし考え込んだ末、ノワールは頷いた。

「………そうだね、とりあえず、一度話を聞かせてもらえないかい? 返事はそれからだよ」

「ええ、もちろんですわ!」

 ぱっと顔を輝かせたユフィに、しかしノワールはそういえば、と眉根を下げた。

「………でも、一体どこで話すんだい? あたしのこのナリじゃ、ダアトの街中へは行けやしないよ」

 ノワールの言葉通り、彼女の風体ではまともな店にも宿にも行けないだろう。入口で追い払われるのが関の山だ。

「そっか………じゃあ、ルルーシュにここまで来てもらう?」

「そうね。それしかないんじゃないかしら」

 顔を見合わせた二人は、そう結論付けた。それから、ノワールの方へと向き直る。

「私たち、ここを拠点にノア姉様を探すつもりだったから、しばらく宿を取ってるんです。明日はルルーシュも手が空くでしょうし、一緒にここに来るようにします。もちろん咲世子さんも」

「そうだね、それがよさそうだ」

 ユフィの言葉にノワールも頷いた。

「じゃあ、明日また同じ時間に―――」

名残惜しいながらも立ち去ろうとしたところで、ユフィは背後からつんと引っ張られてつんのめる。

「………あら?」

 驚いて振り返ると、彼女がマントの下に掛けていた道具袋に手を伸ばす子供たちがいた。それを見たノワールが目を吊り上げる。

「こらっ、あんたたち! 何してるんだい!!」

 ノワールは子供たちが生きるために犯罪に手を染めている可能性は気づいていたが、それを『悪いことではない』と認識させるつもりはなかった。露店の売り子をしておすそ分けをもらってきた、賃金を貰ってきた―――苦しい言いわけを信じたふりをして、気づかない振りをする。スリをして得たものだと『気付いた』時には、返して来いとつっ返しもした。矛盾した、卑怯なことだと思わないでもなかったが、それはノワールにとって最低限の線引きだった―――子供たちに善悪を教えるための。だから、今目の前で他人の持ち物を漁ろうとする子供も、ノワールは叱り飛ばすのだ。

 子供たちの様子とノワールの叱責に事情を悟ったユフィが、ええと、と袋の中身を反芻した。グミやボトル類、武器や道具の類はあげられないが、非常用の食糧くらいなら今晩の分に置いていってもいいかと思ったのだ。しかし生憎、ユフィの持ち物の中には入っていない。カバンを取り返しながら、スザクに顔を向ける。

「スザク。保存食、持ってなかったかしら?」

「………ええと、ちょっとだけなら有るよ」

 ユフィ同様袋の中身を反芻したスザクが、そう頷いた。背負っていた道具袋を開いて、干し肉やドライフルーツなどの携帯食を別の小袋に移していく。

「あんたたち………」

 ノワールが困惑したように呟く。

「とりあえず、今晩の分くらいにはなると思います。明日また来ますから」

 そう言って子供たちに手渡すと、彼らはわっと歓声を上げて群がった。ちゃんと皆で分けるんだよと、スザクは慌てて言い聞かせる。

「………すまないね、貴重な食料を………」

「今は野宿中でもないですし、大丈夫ですよ」

 何でもない様子で首振るスザクに、ノワールは苦笑した。それから子供たちに向き直ると、両手を腰に当てて声を上げる。

「あんたたち、ちゃんとこの人たちにお礼言いな! 食べ物譲ってもらったんだからね!」

「え、いえ、そんな………」

 慌てて手を振るスザクに、ノワールはきっぱりと首を振る。子供たちへの躾の観点からも、ここはきちんとしておかねばならない。

 ノワールの指導を受けて一斉におにーちゃんありがとーありがとーと合唱しだした子供たちに、スザクはこそばゆそうな顔をした。まだ10歳にもならない子供たちは、こうした貧民街に暮らす子供にしては、あまりスレていない方だと言えるだろう。

「………あ、拙いよ、ユフィ。もう日が落ちる」

 頭を掻きながら視線を彷徨わせていたスザクが、オレンジを通り越して紫がかってきた空を見、焦ったように声を上げた。いい加減に戻らないと、ルルーシュたちが心配するだろう。

「そうね、宿まで戻りましょう。ノア姉様、じゃあまた明日来ますね」

「ああ、そうしとくれ」

「じゃあまた、」

 口々に言葉を交わしながら来た道を戻ろうとして、ユフィは足を止めた。

「どうしたの、ユフィ?」

 不思議そうに首を傾げるスザクに、ユフィが困ったような顔で振り向く。

「スザク………貴方、帰り道覚えてる?」

「え、………あー、」

 スザクの返事も芳しくはない。

「あんたたち、どうやってここまで来たんだい?」

 呆れたような顔でノワールは首を傾げた。ユフィとスザクは少しばかりバツが悪そうな顔で弁解する。

「その、歌が聞こえたから、辿ってきたんです。………夢中だったから、道を覚えてなくて」

「僕はユフィが急に走り出したから、慌てて追いかけてて―――」

 二人の返答に、ノワールはあはは、と声をあげて笑った。こんな風に笑うのは久しぶりだと、そう思いながら。

「仕方がないね。大通りの近くまで送ってあげるよ。………明日はまた同じ時間に、歌っててやるからさ」

 それを辿ってここまでおいでという言葉に、二人はこくこくと頷いた。願ってもない話だ。

 年長の子供たちに2、3点の注意をすると、ノワールはユフィやスザクと共に歩きだした。数か月とはいえここで暮らしているだけあって、入り組んだ小道を迷うことなく歩いてく。明日のためにと、いくつかの道に目印すら残してくれた。

 その道中、じき大通りに出るというところまで来て、ノワールはふと足を止めた。

「ノア姉様?」

 ユフィが不思議そうに首を傾げると、ノワールがああ、と振り向いた。

「………あそこにね。いっつも放置されてる子供がいるもんだから………」

 言われて覗き込むと、確かに何らかの塊が見える。しかし薄暗いことも手伝って、ユフィやスザクの目にはボロ切れの塊と区別がつかなかった。

「………まだ3、4歳なんだけど、ちょっと難しい子でね。ほとんど喋らないし、反応もしないし………とはいえ、あのまま放っておくわけにもいかないしね。帰りにでも連れて戻るよ」

「喋らないって、人見知りってことですか?」

 スザクが何とはなしに問いかけた。悼ましいことだが、それが珍しくもなんともないのが、今のこのオールドラントという世界だった。8年前のホド戦争の傷跡は、今も世界の各地に残っている。中立を謳っていたダアトですら例外ではない。

「ん? いや………どうだろうね。親もいないし、誰かと喋ってる所も見なくって………名前だけ、何とか聞き出したんだけどね。ロロって言ってたよ」

 悼ましいと思いはしても、それが珍しくもない世の中で―――知りえたその子供に関する情報をぽつぽつと口にするノワールだったが、その最後に彼女が口にした名前に、スザクは目を見開いた。

「………え?」

「………どうしたんだい?」

 その驚きぶりに驚いたノワールが問い返せば、スザクは顔色を変えて彼女に詰め寄った。

「今、ロロって言いました!?」

「え、あ、ああ、確かに言ったけど………」

「髪は………目の色はどんなでした!? 栗色で、紫の目の!?」

「………知り合い、なのかい? 確かにそんな色をしてたけど………」

 半ば以上気圧されながらのノワールの返答に、スザクは即座に地を蹴った。

 髪の色、目の色―――ロロという名。

 決して親しくはなかったし、むしろ険悪ですらあった相手だ。

 けれど彼が―――ルルーシュの監視者であった彼が、ルルーシュを兄と慕い、彼を守りとおして死んでいったことを、今のスザクは知っている。

「ロロッ!」

 薄暗闇でも視認できるほどの距離を駆け抜けることなどスザクには容易く、彼はたちまちロロ―――と思しき布の塊―――の元へと辿り着いた。焦りと興奮で気遣いを欠いていたスザクは、いささか乱暴な手つきで塊を持ち上げる。

「―――ッ!?」

 ボロ布に包まっていた子供は、恐怖と驚きに目を見開いた。―――その赤味がかった紫色に、スザクは確かに見覚えがある。彼の知る頃とは10年は幼かったが、子供のその顔立ちにも。

「ロロ………やっぱり、」

 君だったのか―――そう言いかけたスザクは、わし掴んだロロの表情が、恐怖から怒りにとって変わったことに気づいていなかった。

「スザクッ!」

 背後から飛んできた焦った声音と共に、何か(・・)が空を切る音がする。

「なっ!?」

 見れば、先ほどは地面に無造作に転がっていたはずの、瓦礫の残骸だった。

「何が―――」

 すわ襲撃かと警戒も露わに振り返れば、悲鳴を上げる寸前の表情で立ち尽くすユフィと、青い顔をしたノワールの姿―――そして、突然に地面から浮きあがり、こちらに目掛けて降り注ぐ複数の瓦礫が目に入る。

「くっ、この………ッ!」

 ロロを抱え、スザクは飛来する瓦礫を交わし、あるいは叩き落とした。けれど落ちた端から浮き上がった瓦礫が、尽きることなく降り注ぐ。一体何かの譜術か―――術者を潰さなければダメかと、そう考え出したスザクの耳に、ノワールが必死に叫ぶ声が届いた。

「ロロ! もう止めな! こんなこと、しちゃいけないよ!」

「え………まさか、ロロがこれを!?」

 ノワールはロロにもうやめろと訴えた。つまりはこの現象は、精々幼児でしかないロロがやっていることになる。

「ああ、もう………スザク! ロロを離しておやり!」

「で、でも………」

「いいから早く!」

 ノワールに急かされて、スザクはロロを地面に下ろした。向かってくる瓦礫や木箱を鞘に入った剣で叩き落としつつ、スザクは慎重にユフィたちの元へと戻ってくる。

 距離を取って以来、瓦礫が飛んでくることこそなくなかったが、いまだに彼の周囲にはいくつもの石や木の固まりが浮いたままだ。

 慎重に周囲の気配を探りながら、スザクは問いかけた。

「あれは………ロロがやってるんですか?」

「ああ、そうさ。どういう仕組みかはあたしも知らないけど、あの子の感情が昂るとああなるんだ。………多分、親が捨てたのも、そのせいだろうね………」

 泣くたびに物が飛び交う赤子を扱いかねたとしても、不思議はない。

 そこでふと、ノワールは思い出したようにスザクに問いかけた。

「それよりあんた、あの子を知ってるのかい? 親に心当たりでも?」

 その場合でも、彼を捨てた親兄弟など、大した力にもなりはしないだろうが。

 しかし今生でのロロの親兄弟などスザクも到底知ってはいなかった。ただ、かつての彼が愛し、そして彼を悼んでいた人を知っている。

「………いえ、そういうわけでは………」

 もごもごと口籠ったスザクは、ふとロロの様子がおかしいことに気がついた。地面にへばりつくように座り込んで、肩を大きく上下させている。微かに聞こえてくるのは、えづくような泣き声だ。

「………弱ってる………?」

「力を使いすぎたのかしら………?」

 一体どういう理屈で起こっているのかは分からないが、幼い子供が行使するには大きすぎる力なのだろう。ましてまともな保護者もなく路地裏で蹲っていた子供が、健康な体をしていたとも思い難い。尚更に、負担が大きすぎるのではないだろうか?

「ロロ………」

 保護しなければと、思わず一歩踏み出せば、浮いていた塊の一つがスザク目掛けて飛んできた。それ自体は容易く叩き落とせたが、ロロの様子はますます酷くなる一方だ。早く保護しなければいけないのに、そのために近づけば近づくほど、ロロが力を使って消耗する。

「どうしたら―――」

 逡巡したのは一瞬で、スザクははっと息を呑んだ。

「―――ユフィ! ルルーシュをここに呼んできてくれ!」

「っ、わかったわ! すぐに戻るから!!」

 状況の拙さを理解していたユフィは、問答を重ねることなく駆けだした。ここまでくれば大通りまで辿り着くのは容易いし、この時間ならルルーシュたちも宿に戻っているだろうから、ほどなくユフィはルルーシュたちを連れて戻ってくるだろう。

 しかし彼を待つ今この間にも、ロロはぜいぜいと荒い呼吸をし、明らかに状態は悪化している。

(ルルーシュ、早く――――!)

 間に合わなくなる前に辿り着いてくれと。

 ギリギリと、睨むようにロロの方角を見据えながら、スザクは拳を握りしめた。




Darkest before the dawn

縒り合う糸・3


 

※※※



ノワールさんと再会&ロロ登場です。兄さんと再会は次回に持ち越し。

実は当初の予定ではロロはここで合流させる予定はなかったんですよね。
拍手の返信か何かで書いた気がしますが、ロロ合流には案が2つあったんです。、ダアトの孤児なのは最初から決定してたんですが。で、結局ここで合流させずにまた後で〜と思ってたんですが、某サイトさんの人形士ルークを呼んで人形士なロロが浮かんじゃったので、変更になりました。ゲーム本編時に人形持ち歩いてもあんまり不自然じゃない年齢、ということで当初の年齢から−5歳くらいされたりもしております(笑)。
ちなみに人形士なロロの人形は悪ノリしたミレイさん+αのせいで、可愛い物てんこ盛りになってると思います。チーグル人形とかブウサギ人形とか。あと兄さんの愛情のこもった手作りゼロ仮面人形もあるかと。無印のアーサー仮面強奪事件を知ったミレイさんの入れ知恵で、仮面アーサーマント付きとかでいいんじゃないでしょうか。でも多分、知らない人からはアビスマン人形と勘違いされてロロが怒ってそうな………。だって仮面に全身タイツですよ? マントつけたら無印のゼロじゃないですか。特にアビスブラック(中身ティアだけど)
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