セントビナーの一角にある勤め先の事務所で帳簿をめくっていたリヴァルは、不意に顔を歪めて手を止めた。

「またかよ………」

 険しい顔で見下ろした手元には、巧妙に改竄された数字がそこここに見て取れる。

 事務所に他の人間がいないのをいいことに、リヴァルはバサバサと帳面を積み上げて広げ始めた。気付いたのはここ数ヶ月だが、もう何年にも渡って帳簿を誤魔化していた形跡が見える。

(横領………とかでもなさそうだよな。旦那の承認が必要なヤツだし。………てことは脱税とか?)

 ブツブツと呟きながら帳面をめくるうち、リヴァルは『操作』されているのが売上金ではなく、仕入れた商品の量だと言うことに気付いた。

「………どうなってんだよ、これ。南ソレントから仕入れたヤツ、半分近くちょろまかされてねぇか………?」

 南ソレント産の商品―――それはセントビナーにおける重要産業の、材料となるものだった。

 オールドラントでは第七譜術の発達によって医療技術の発展が遅れており、外科手術という概念はほとんどない。第七譜術は怪我の治癒はできても内科系の病気には効果がないため、辛うじてそうした方面の研究は行われているが、どちらかと言えばフォンスロットやフォミクリーなどの音素学に特化しており、リヴァルがかつて暮らしていた世界のような医療水準とは程遠い状況にあった。その第七譜術にしても、素養がなければ術を行使することはできず、汎用性がない。

代わりに人々が怪我の治療などに使うのが、各種のグミだった。一見ただの菓子にしか見えないグミ類だが、セントビナー産の薬草とエンゲーブ産の果実を組み合わせて作ったグミには、不思議なことに傷を治癒する効果が備わるのであるのだ。他の土地で作られた同種の薬草や果実では効果がないか、弱い効果しか得られないということも実証されている。―――これに関しては、セントビナーに聳えるソイルの大樹と、エンゲーブ北方のチーグルの森にある同種の大樹によって、この近辺の土地に何らかの特殊な効果が齎されているのではないかという説もある。

それはともかく、セントビナー産の薬草とそれを精製しグミにする技術は、セントビナーにおける重要な産業の一つとなっていた。リヴァルが勤めているのはこの薬草を仕入れて精製し、グミの元にする商家であり、同業者の中では中堅どころに位置している。

(こんなん、製法知らなきゃただの草だろ。誤魔化した分、どこに卸してんだ………?)

 もちろん貴重な薬草ではあるが、ただ煎じて固めれば効果が得られるわけではない。それなりに知識のある人間でなければ、仕入れたところで持て余すだけだ。

 しかし現実に横流しは行われており、しかも最終的に帳簿のつじつまを合わせているということは、帳簿を誤魔化して横流しした分の損失を埋められるだけの利益、そして危険な橋を渡るに値するだけの利ざやを稼いでいるということになる。

「…………」

 得た情報をどう使うか―――リヴァルは難しい顔で考え込んだ。もちろん、馬鹿正直に雇い主に直談判するという選択肢はない。彼は件の雇い主の人間性など微塵も評価していないし、恨みこそあれ恩を感じる筋合いもない。

 元々、リヴァルはケセドニアの生まれだった。両親の顔はあまり覚えていないが、まだ若い、駆け出しの商人だったように思う。荷馬車を引いて世界(といってもおそらくケセドニアからエンゲーブにかけてだろうが)を旅して回るのを、リヴァルも両親にに連れられてついていっていた。

 しかし彼が7歳の時、父親が行商の途中で盗賊に襲われ落命した。その積み荷の中には高価な物があったらしく、客先に与えた損害を補填するため残された母親は事業を手放し、家財道具も売り払う羽目になった。借金こそなかったものの、家も家財も失い、幼い子供を抱えて―――途方に暮れたリヴァルの母親は、生きていくために、父と交流のあったセントビナーの商人・コルチャックの申し出を受け入れて彼の愛人になった。しかし後妻として正式な縁組みをしたわけではないため、リヴァルは何の庇護もなく、愛人の連れ子として物心ついた頃から散々な扱いを受けてきた。

それから6年が経ち―――扱いこそ下働きのままだったが、上役たちが体よく仕事を押し付けるため、リヴァルはすでに相当のノウハウを手にし、また帳簿などを目にする機会を手に入れていた。ミレイと再会して前世の記憶を取り戻したことで復讐などに人生を費やす気持ちはなくなっていたが、だからといってこのまま気付かなかった振りをするのももったいない。

「………南ソレントから仕入れて、一度東の工業区の倉庫に入れてんのか」

 リヴァルは広げた帳簿を片付け、代わりに物資の動きを追っていった。

精製した状態ならともかく、仕入れたばかりの薬草などかさばって仕方がない。そのかさばる薬草の半分近くをどこぞに運び出すなど、秘密裏に行うのは難しいだろう。十中八九、別の名目でカモフラージュしているに違いない。

 そういう目で見ていけば、不自然な点が目についてくる。

(精製工場から出る廃棄物が異様に多いってことは、こっから別のところに横流ししてんのか? 廃棄場所の近くには………あー、これ見よがしに怪しい廃工場発見。一応道挟んでっけど、この辺りって全然人気なかったよな? やりたい放題じゃん)

 地図や書類を見比べながら、リヴァルはおおよその見当をつけた。一体どこに横流しされ、何に使われているのか―――自力で調べるべきか、どこぞにタレ込みでもするべきか、リヴァルは逡巡する。

「………ちょっと見てくるくらい、いいよな?」

 そこを確認しなければ、リヴァルとしても今後の方針が決めづらい。

 正直、帳簿の改竄程度のことに国や軍は介入しないのだ。軍事機密に抵触する、あるいは明確な犯罪行為に加担しているのでなければ、これらを罰する法がない。その場合、下手に通報してしまえば、上役たちが罰されることはなく、タレ込みをしたリヴァルだけが割を食う羽目になる。また、逆にあまりにも悪質すぎる場合に、加担していなかったリヴァルまでも共犯として裁かれては堪らない。

(今度の廃棄日は………4日後か。2時間くらいなら時間取れそうかな)

 よし、と自分を奮い立たせて、リヴァルは勢いよく立ち上がった。

 

 

 

      ※※※

 

 

 

「で、何でこうなってんすかね」

「なぁーに言ってんのリヴァル、このミレイさんの目を盗んでそんな面白いことしようなんて、そうは問屋が卸さないわよ!」

 がっくりと肩を落としたリヴァルの傍らで、ミレイが自信満々に胸を張る。

 帳簿改竄に気付いた日から4日後の今日―――遣いに出る振りをして事務所を出たリヴァルは、道を曲がったところでポンと肩を叩かれた。後ろ暗いこと(少なくとも雇い主に知られるのは拙い)をしようとしている自覚があるだけに、飛び上がらんばかりに驚いたリヴァルの言動に、背後から忍び寄った人物―――ミレイが気がつかないはずがない。

 にんまりと笑ったミレイによって根掘り葉掘り、勘弁して下さいとリヴァルが音を上げるまで質問攻めにされ、彼は洗いざらい白状させられた。もちろんそれでミレイが収まるはずもなく、彼女も便乗しての潜入調査となったのである。『前世』のミレイなら危ない橋を渡ろうとするリヴァルを止めただろうが、かつてのように守りに入る必要がないせいか、むしろ率先して動くようになってしまった。彼女自身、本家とのゴタゴタから、セントビナーにいるのも潮時だという考えがあるからかもしれない。

「とはいえ、どうやって潜り込もうかしらね?」

「そうっすね。なんか、結構大掛かりっぽくないっすか?」

 物陰からこそこそと様子を伺いながら、ミレイとリヴァルは首を捻る。いざ辿り着いてみると、廃工場のはずのそこは明らかに稼働中であり、もくもくと蒸気を上げていた。

「………何だかちょっと、ヤバそうな雰囲気ね。一体何やってんのかしら」

 入り口にはさりげなく腕の立ちそうな男たちが配されており、こっそりと忍び込んで証拠を握る、などという真似は到底できそうになかった。そもそも、堅気でない臭いがプンプンする。

「ちょっとこれ、忍び込むのは無謀すぎないっすか? もうちょっと情報集めてからにしましょうよ」

「そうね………」

 リヴァルの提案に、ミレイも反論はしなかった。何の後ろ盾もなく、何の力もない―――そんな状況の彼らが手を出していい領域ではなさそうだ。下手を打てば、明日の朝には近くの川面にぷかぷかと浮かんでいる、といったことも十分にありうる。

「………とりあえず、出直しましょうか。私、あの土地の持ち主について調べてみるわ」

「じゃ、俺ももっぺん物資の管理担当者のへん洗ってみます」

 一通り様子を伺った二人は、潜入を断念することにした。もう少し証拠を掴み、相手の情報を得ないことには迂闊に手を出せない。

 そう結論付け、そそくさと立ち去ろうと振り向いて―――そして彼らは目を見開いて凍りついた。

「………え?」

柄の悪い男たちが待ち伏せをしていたから―――ではない。

少し離れたところに、見覚えのある人影が立っていたからだ。

「お二人とも、お久しぶりです」

 路地に溶け込むようにひっそりと立っていたのは、咲世子だった。記憶にある彼女よりも年若く、また見慣れたメイド服でもないが、間違いない。咲世子はミレイとリヴァルに向かって丁寧に―――ある意味空気を読まず―――頭を下げる。

「さ、咲世子さん!? どうしてここに………」

 一瞬の放心の後、ミレイは弾かれたように咲世子へと駆け寄った。リヴァルも慌ててその後を追う。

「ルルーシュ様のご命令であちらの工場の監視をしておりましたところ、お二方を発見いたしました。あのまま忍び込むようでしたら、力ずくで止めさせて頂くつもりでしたが」

 さりげなく不穏な発言を、咲世子はほわほわと言い放った。実際、ミレイたちが工場に潜入しようとした場合、当て身を食らわせてでも制止しただろう。

 しかし咲世子の腕力上等な発言以上に、彼らの意識を引きつけるものがあった。咲世子の言葉を反芻して絶句したミレイに代わり、リヴァルが恐る恐る問いかける。

「さ、咲世子さん………今、ルルーシュって………」

 リヴァル自身も皆まで言えずに口篭ったが、もちろん咲世子には通じていた。にっこりと頷いてみせる。

「はい。ルルーシュ様は現在南部地区の宿にいらっしゃいます。お会いになるようでしたら、ご案内いたしますが」

 如何いたしますか―――咲世子の問いに、否やがあろうはずもなく。

「行くわ!」

「行きます!」

 ミレイもリヴァルも、勢い込んで頷いた。

 

 

 

 咲世子に案内されて宿の一室に辿り着いた二人は、扉を蹴破らんばかりの勢いで駆け込んだ。

「ルルーシュ!」

「ルルちゃん!」

 突然の闖入者に、備え付けのテーブルに地図や書類を広げて打合せをしていた面々が椅子を蹴立てて立ち上がった。その中にはもちろん、名前を呼ばれたルルーシュ当人の姿もある。

「会長!? リヴァルも………」

 目を見開いて凝視した後、やがてルルーシュの表情が痛ましげに歪められた。

「………すまない。お前たちも、巻き込んでしまったんだな………」

彼らが今ここにいるということは、あちらの世界―――かつて過ごした世界で死を迎えたということだ。自分たちの死後に起こっただろう混乱で、あるいはシュナイゼルが落としたであろうフレイヤによって。

自分が汚名に塗れて死んだ後も、彼らには幸福であってほしい―――そう願っていたルルーシュにとっては忸怩たる結果だったが、ミレイたちにしてみれば冗談ではない。友人が悪魔と罵られ、世界中がその死を踏みにじる声を聞きながら幸福に浸れるほどに、彼らは薄情ではなかった。ミレイがロイドから聞き出した『未来予想図』には、目の前が真っ赤になるほどの怒りと、呆れの感情を覚えたものだ。ミレイが思わず目の前でへらへら語るロイドをボコにしたのも無理はない。

だから悔恨の表情を浮かべるルルーシュに、ミレイはキッと目を吊り上げる。

「冗談じゃないわよ、ルルちゃん! ………貴方がそういう人だってことくらい、知ってたけど! でも、これはないわ!! ふざけてるわよ!!」

「は?」

 ルルーシュの至近距離まで詰め寄って、ミレイは相変わらず細いルルーシュの両肩をガクガクと揺さぶった。二人の現時点での身長差はほとんどなく、ルルーシュはほぼ真正面からミレイの鬼気迫る形相での叫びを耳にする羽目になる。

「リ、リヴァル………」

 ルルーシュは思わず悪友に助けを求めるが、今回ばかりはリヴァルも助け舟を出してはくれなかった。元々ミレイ相手では強く出れないところはあったが、それでも大抵何かしらのフォローを入れてくれていた悪友は、今はミレイに負けず劣らず険しい顔でルルーシュを睨んでいる。

「そうだぜ、『ゼロレクイエム』とか………俺らがどう思うか考えもしなかったのかよ!? 悪逆皇帝? お人よしのお前が馬鹿言ってんじゃねぇよ!!」

「いや、別に俺はお人よしじゃ………ではなくて! お前、一体どうしてそれを知っている!?」

 悪ぶりたいお年頃のルルーシュは『お人よし』発言に反論しかけ、それどころではないことに気付く。

少なくとも、あの富士の決戦の時点でルルーシュは『ゼロレクイエム』を匂わせることはしていなかった。騎士団でもダモクレス陣営でもなく、まるっきり蚊帳の外にいたリヴァルたちが、それをどうして知ることができたのか。

その答えは、ミレイによってあっさりと返された。

「ロイドさんから聞き出したのよ」

「………ロイド………あいつ、」

 ロイドまでいたと驚くべきか、それとも口が軽すぎると怒りを覚えるべきか―――なんとも言えない脱力感に、ルルーシュはため息をつく。

「ロイドさんならマルクト軍の基地にいるわよ。軍人の養子にされちゃったとか………何だか、色々とあるみたいだけど。多分、ソイルの展望台に行けば、そのうちふらふら脱走してくると思うわ」

「ロイドさん………相変わらずなんだ………」

 ルルーシュと共にテーブルを囲んでいた面子のうち、当事者であるはずがすっかり眼中外の扱いをされていたスザクが、渇いた笑いと共に呟く。かつてのロイドはランスロット命のためか特派から脱走などしなかったが、それでも軍属とはとても思えない言動の主だった。その点だけを見れば、確かに相変わらずと言えなくもない。

 しかし思わずもらしたスザクの呟きに、ミレイの青い瞳がギロリと向けられる。

「スザァアァアアク!」

「はいっ!」

 ビシッと人差し指を突きつけられて、スザクは思わず直立した。

「さっきから他人事みたいな顔してるけど、あんたも同罪よ? 今すぐ! じっっくりと!! あんたがやらかしたことを洗いざらいぶちまけてもらいましょうか!!」

「イエス、マイ・ロード!」

 スザクは条件反射で上官に対する答礼を取り、その横でルルーシュが頭を抱えて項垂れる。

 その様子をぽかんと見守っていたバダックは、やれやれとため息をついた。




Darkest before the dawn

赤き灯火・2


 

※※※



リヴァミレ合流の巻。あんまり詳しく書くと話が進まないので、ここはさらっと流しました。多分この後修羅場だったと思います。
ちなみにこの場にいるのはルルーシュ・スザク・咲世子・バダックくらい。ユフィはケセドニアでお留守番中で、ジョゼットさんは出稼ぎ中。………ていうのは嘘ですが、もうこの頃はキムラスカ軍に入隊してます。前回の閑話で書こうと思って書きそびれたのがそのあたりのやり取りでした。スパイ&アディシェスの生き残りに関する情報収集のため、という感じですね。なのでフリセシの芽はまだ出ません。フリングスさんはちょこっとくらいは出番があるかなーと思ってるんですが。




ちなみに、無言でやり取りを見守ってたバダックの心境は↓のような感じだと思われ。尻に敷かれまくりだよね………。




「………ユフィといいその娘といい。お前たち、とことん女に頭が上がらんのだな………」

「………別に、そういうわけではない(むすっ)」

「あー………」(うーん、確かにセシルさんとかにも頭上がらないしなー)

「………まあ、女が強いほうが家庭が円満とも言うしな。そう気にすることもないぞ」

「「………」」

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