カランカラン、と入り口のベルが鳴り、少女はにこやかに振り返った。

「いらっしゃいませ〜」

 営業スマイルを浮かべて挨拶をすれば、酒が入ってほんのり顔を上気させたガタイのいい男たちがぞろぞろとやってくる。

「おっ、今日も美人だね〜ノアちゃん」

 常連と言っても差し支えのない男たちは、顔見知りの店員にへらりと相好を崩した。ノアと呼ばれた桃色の髪の少女は、セクハラ紛いのやり取りを笑顔でいなしながら、手際よく男たちを空いた席へと捌いていく。

 あちらへ呼ばれこちらへ呼ばれ―――ピーク時の混雑も下火になった頃、厨房からちょいちょいと少女を呼ぶ声がした。そろそろ上がりの時間だと促され、彼女は厨房の裏手にある事務所へと足を向ける。

身支度を整え(といってもエプロンを外したくらいだが)帰る前にあいさつしようと少女が厨房に顔を出せば、明日の料理の仕込みを始めていた料理人が、ああいたいた、と振り向いた。

「ノアちゃん、ちょうどよかった。裏に弟さんたち迎えに来てるよ」

 言われて目を向ければ、店の勝手口に二人の子供が立っていた。二人とも外套を目深に被っているが、背格好から知り合いかどうかくらいわかる。

 ()を心配して迎えに来た弟妹―――姉想いと言えば言えるのだろうが、時刻はとうに夕餉の時間を過ぎている。子供が出歩いていい時間ではない。

 これはお説教ですね―――内心そう呟きながら、彼女は知らせてくれた相手に礼を言い、弟妹を促し帰途に就いた。

 

 

 

「二人とも………こんな時間に出歩いてはダメだと言ったでしょう? 何かあったらどうするんですか」

 店が見えなくなるまで移動して、桃色の髪の少女(・・・・・・・)―――咲世子は弟妹と名乗った子供たちを見下ろした。咲世子の小言に、子供たちの片割れが縮こまって肩を落とす。

「ごめんなさい………。でも、サヨコさんまで何かあったらって思ったら………待っていられなくて」

「………」

 項垂れた拍子に外套から零れた桃色の髪に、咲世子は困ったようにため息をついた。

彼女―――ユフィの危惧していることも、そうなった経緯も咲世子は理解していたが、当のユフィ自身、これに関しては他人事ではない。むしろ咲世子のように護身の術を身につけているわけではない以上、幼少ということを除いても、ユフィの方が危険かもしれない。だから決して夜間に出歩いてはいけないと言い聞かせていたというのに。

「心配してくれるのは嬉しいですけれど、私なら大丈夫ですよ。これでも腕に覚えはあるんです。………スザクさんはご存知でしょう?」

前世の記憶がない―――もっとも前世のユーフェミアは咲世子と面識はないが―――ユフィとは違い、スザクは前世で共にルルーシュの臣下として戦った経験がある。今生でも、魔物や野盗の類と交戦し、咲世子に十分に身を守る力があることは理解していたはずだ。

 それにもかかわらず、ユフィの懇願に負けて連れてきただろうスザクに対して、咲世子はユフィに向けたのとは少しばかり質の違う笑顔を見せた。その笑顔を言葉に直すとしたら、なんでほいほい言うこと聞いていやがるんですかこのヘタレ、というところだろうか。

 その笑顔の迫力に腰が引けつつも、スザクは取り繕うようにユフィへと言葉を掛ける。咲世子に弁解しないのは、勝ち目がないからだろうか。

「………う、ほ、ほらね、ユフィ。咲世子さんは大丈夫って言っただろ?」

「スザクの大丈夫は信用できないもの! この間だって………」

「あーうー、あれはごめんって言ったじゃないかぁ………」

 しかしだからといってユフィに対してスザクが強く出られるわけでもなく、ユフィに反論されてたじたじとなった。いつぞやのスザクの悪行にまで話が及び、いつの間にか当初の件が有耶無耶になりつつある。

「二人とも」

 それを敏感に察した咲世子は、低い声で釘を刺した。殊勝に背筋を正した二人に、咲世子はとりあえずこの場での説教は思いとどまる。

「………まあ、いいでしょう。続きは帰ってからです」

往来でする話ではないし、この街は夜に子供が出歩ける場所ではない。まずは彼らの住処に戻るのが先だ。

そうして二人を促し今度こそ帰途についた咲世子だったが、いくらも進まないうち、つかず離れずの距離でつけてくる気配に気がついた。スザクも前後してそれに気づいたらしく、彼の顔からふっと表情が消える。

「………スザク?」

 ただ一人、ユフィは戸惑ったように首を傾げた。彼女はスザクたちのように気配を読むことはできなかったが、会話していた相手の様子ががらりと変われば不審を抱くのも無理はない。下手に誤魔化すよりはきちんと話すべきだと判断して、咲世子は抑えた声でユフィに囁いた。

「そのまま、落ち着いて歩き続けて下さい。………後を付けられています」

「………ッ!」

 ユフィはひゅっと息を呑んだが、咲世子にそっと背を押され、慌てて何でもない風を装って歩き出した。明らかにガチガチになっていたが、遠目ではそれほど不自然でもないだろう。そもそも後を付けてくる相手の目的が彼らの睨んだ通りなら、それに気付けるだけの注意力があるかも定かではない。―――彼らが、女子供を浚っては売り飛ばす、ゴロツキであったなら。

 ホドが陥落した後―――イスパニア半島に逃げ延びたスザクと咲世子は、行く宛てもなくケセドニアへと辿り着いた。同じく故郷を失い、行く宛てのないノワールたちと共に。

成り行きで行動を共にしていた彼らのうち、壮年に差し掛かった従者を除けば、15歳のノワールが最年長、その次が12歳の咲世子―――スザクが8歳、ユフィに至ってはたった6歳である。ましてノワールたちは貴族ではないとはいえ、良家の子女であり、教養はあっても生計を立てるための技術はない。今日の食べ物にも事欠く面々だったが、ここで生活力を発揮したのが咲世子とスザクであった。

彼らは二人とも、かつての世界で『イレブン』として戦後の混乱と貧困を生き延びた過去があり、また今生でもスザクは孤児として自分の食い扶持を稼ぎ、咲世子もさほど裕福ではない家庭の子供として、家計を助けてここまで暮らしてきた。さらに子供とは言いがたい身体能力を誇る彼らならば、砂漠や付近の山野に分け入っては魔物と戦うことも可能だった。難民としてケセドニアに逃れてきた者たちの中で、彼らは食に関しては不自由していない部類だっただろう。あくまで、難民の中での話ではあったが。

―――そうして2年ほどの間は、彼ら5人は何とか暮らしていた。

最初の頃はスザクと咲世子に頼りきりだったノワールたちも、ケセドニアに住みついて1年も経つ頃には、自分のすべき役割を持つようになっていった。主に咲世子とスザクが食糧調達に出かけ、ダレット家の従者がケセドニア市街の商家で細々と雑用をして金銭を得る。その収入で糸や布を買い、ノワールが刺繍や編み物をしては従者と共に露店商に持ち込んだ。その間、ユフィが家の中の雑用をする。

夜になれば、従者やノワールがユフィ(とついでにスザク)の教師役を務め、基本的な読み書きなどを教え込んだ。第七譜術士でもあったノワールは、ダレット家に伝わる譜歌と共に、譜術の手ほどきもした。

―――彼らにとって幸いだったのは、ノワールが『お嬢様』として傅かれるだけの少女ではなかったことだろう。腹を括った彼女は、お嬢様にそんな真似をさせるわけにはいかない、自分にお任せ下さいと懇願する従者を叱り飛ばして、せっせと労働に勤しんでいた。ユフィもそんな従姉に倣って、幼い子供なりに働いて、少しずつ出来ることを増やしていった。時には失敗することもあったが、ノワールも咲世子も根気強くそれに付きあった。ホドとフェレスが健在であった頃とは比べ物にならない生活だったが、それでも助け合い、支えあいながら、彼らは家族のように過ごしてきた。

1年前のあの日―――彼らの『家族』が奪われるまでは。

あの日、いつものように市街に近い露店まで小物を納めに行ったノワールとその従者は、それきり戻ってくることはなかった。あまりに遅すぎる二人を心配して探しに出た咲世子が見つけたのは、ノワールが身につけていた外套を握り締めたまま、海に浮かんでいた従者の姿だった。それきり、ノワールの姿はおろか、遺体すらも見つかっていない。散々探しまわったが、結果は芳しいものではなかった。

この頃になると、咲世子もスザクも、ノワールがどんな意図で連れ去られたのか、薄々察し始めていた。

行方不明になった当時彼女は17歳―――上流階級出身の上品な物腰の美少女だった。薄汚れた衣服を着ていても、その美貌は明らかである。まして彼女はフェレス島民に特有の鮮やかな桃色の髪をしており、それだけでも非常に目を惹く特徴だった。その筋の人間に目をつけられ、連れ去られたのだろう。―――おそらくは、娼館にでも売るために。

しかしそうなると、探し方を変えなければ容易には見つけられない。

咲世子は食糧調達をスザクとユフィに任せ、ケセドニアの市街の外れにある、商人から柄のよくない傭兵まで幅広い層の集まる酒場に給仕に出るようになった。ただし普段の彼女の姿ではなく、ユフィの髪で作った桃色のカツラを被り、草や花の実から染料を工面して、少しでもノワールに似るように化粧を施して、である。ノアと名乗った咲世子は、『ホド戦争で生き別れた、自分と同じ桃色の髪をした姉』の情報を求める一方で、ノワールを連れ去ったと思われる輩に対し、エサの役割も果たしているのである。

 今、自分たちの後を付けているのが、その成果が実ってのこのこと現れたゴロツキたちなのであれば、上手くすればノワールの行方に関する手がかりが掴めるかもしれない。

「………で、どうします?」

 注意深く背後の気配を探りながら、スザクが小声で呟いた。咲世子がそうですね、と思案する。

「彼らが『その手の輩』なら、こちらの思惑通りではあるのですが………少々タイミングが悪いですね」

 咲世子とスザクだけならともかく、今はユフィも一緒にいる。年齢性別を考えれば生活力にもサバイバル能力にも長けているユフィだが、さすがに大の大人を相手に立ち回りが出来るほどではない。

「一度撒いて、私が後をつけましょうか。どちらにせよ、末端を抑えただけでは意味がありませんし」

「それがよさそうですね」

 咲世子の提案にスザクも頷いて、二人は背後の集団との距離を慎重に測る。彼らの住処へはこのままもうしばらく真っ直ぐに進まねばならないが、次の角を曲がれば、三叉路へ続いていたはずだ。そこを利用すれば、上手く撒くことができるだろう。

 後わずかというところまで近づいた曲がり角を視線で示しながら、二人は次の行動の算段をする。変わらぬ素振りで角を曲がりきった直後、咲世子がユフィを抱えて駆けだした。スザクも咲世子に続いて走りだす。

 三叉路の先の入り組んだ路地の奥に入りこんだ3人は、物陰に隠れて息を殺して男たちの動向を見守った。角をまがった途端に『対象』を見失った彼らは、一転して慌ただしく怒鳴り合いながら辺りを捜索する。

「おい、いたか!?」

「こっちにはいねぇ! ………どうするんだよ、見失ったなんて言えねぇぞ!!」

 道の端に積んである木箱や板を引っぺがし、蹴り飛ばしては怒鳴り合う男たちだが、この辺りは咲世子が徹底的に把握済みの区画である。そう簡単に見つかるような隠れ方はしていない。

「ちっ、どうする? 今からでも別の女探すか?」

「こんな時間にか? 日ぃ変わる前に連れて帰んねぇと、キングさん戻ってきちまうだろ」

「ただでさえ、こないだの女横取りされて以来、機嫌悪いからな………。女用意出来てませんなんて言えねぇよ。かといって商売女は嫌がるし………」

 ぶつぶつと愚痴を零す男たちの会話を聞きながら、スザクと咲世子は唇の動きだけで言葉を交わす。

(キング、って言ってましたよね?)

(確か、今のケセドニアの商人ギルドの元締めが、そんな風に呼ばれていましたね。まあ、どこにでもありそうな呼び方ではありますが)

 貧民街に住む彼らがケセドニアの実質的なトップの顔を知っているはずなどないが、正直今のケセドニアの商人ギルドの上層部は叩けば埃の出るような輩ばかりと聞いている。キングと呼ばれる男が、陰で人身売買に絡んでいたとしても驚くほどでもない。

 しかし相手がケセドニアのトップとなると、下手を打つわけにはいかない。彼ら自身はいつケセドニアを離れてもいいような身軽な身の上だが、貧民街の粛清などに走られては困る。

 自然、難しい顔で視線を交わす二人だったが―――そこに新たに聞こえてくる声がある。

「旦那方、女をお探しですかい? イッヒッヒ」

 男にしてはやけに甲高い声―――いや、笑い声だった。ただでさえ気が立っていた男たちは、口々に恫喝するような罵声を上げる。

「ああ?」

「何だテメェは?」

 柄の悪いゴロツキたちの恫喝に怯んだ様子ながら、男はいやね、と口を開いた。

「あっしはしがない商人でさぁ。ちょっとばかり、器量のいい娘っ子に心当たりがありましてね、イッヒヒヒ。………いやなに、怪しいモンじゃありませんよ。ただね、ちょっとばかり、お偉いさんに口利きしてもらいたいことがありやしてね………」

 男は聞かれてもいないことをべらべらと捲くし立てた。それでもゴロツキたちの不審げな視線が緩和されることはなく、彼は慌てたように背後にいた人影を押し出してくる。

「ほっほら、どうです、滅多にいない上玉でしょ!? 戦争で身寄りがなくなったって話だから、後腐れもないですぜ」

 男に無理やり押し出されたのは、それぞれに趣の違う二人の美少女だった。一人は淡い金髪をした十代半ばの少女で、もう一人はやや幼いながら、後の美貌を窺わせる黒髪の美少女である。大きな紫の瞳は怯えたように伏せられていたが、それが少女の美貌に儚い風情を添えていた。

「「「………」」」

 少女たちの容貌を見て、不審な男を警戒していたゴロツキたちが考え込むような表情になった。

彼らの雇い主に幼女趣味はないし悠長に女を育てるような気が長い性質でもないが、それでもこの美貌を見れば手に入れようとするかもしれない。それにもう一人の金髪の方も、少々気が強そうなのが難点だが、かなりの美少女ではある。なかなか発育もいい。この年ならば守備範囲内だろうから、最悪でも今日捕まえ損なった獲物の代わりにはなるのではないか。

「ふ、ん………まあ、悪くはねぇかもな」

「おいお前、名前は?」

「へい、あっしは北の方で事務所を構えてやして………」

 遠くでどんどんと進んでいく会話―――彼らの位置からは声が聞こえるだけで、彼らの姿までは見えていない―――を聞きながら、スザクと咲世子は顔を見合わせた。

(………拙いですね。このままだとあの二人、連れて行かれてしまいます。………キングとやらは夜半に帰ってくるようですし、悠長にしていると手遅れに………)

(………ですね。今回はアジトは諦めましょう。手掛かりは十分掴めましたし)

 キングと呼ばれる男が、商売女を嫌い、素人の女を集めさせている―――それだけでも、何の手がかりもなかった頃に比べれば十分すぎる。今日のところはあの少女たちを助けて、男たちを始末しよう。

 そう結論付け、咲世子は潜んでいた物陰からそっと抜け出した。あちらからはまだこちらは見えないだろうが、自分たちからは男たちの、そして今まさに売られていこうとしている少女たちの姿がはっきりと見える。

「………え?」

 その少女の顔に、咲世子は見覚えがあった。遅れてそれに気がついたスザクが、茫然と呟く。

「………ルルーシュ………?」

 艶やかな漆黒の髪、紫の瞳―――初めて『日本』で出会ったときの彼がそのまま抜け出してきたようだった。懐かしさが、蟠りが―――暖かく、それでいてドロドロとした感情が溢れ出て、それ以上の言葉が出てこない。

 ―――動揺していたのはスザクだけでなく咲世子も、なのだろう。常の彼女ならばふらふらと歩き出したユフィを止めることができただろうが、彼女が我に返った時には、既にユフィは夢遊病にでもなったかのように、路地の隙間から抜け出してしまっていた。




Darkest before the dawn

運命の輪・2


 

※※※



ようやくちびっと話が進みました。それでも再会シーンまでは辿り着きませんでしたが(汗)。ほんとはユフィが状況その他をブッチしてルルーシュにタックルかましに行くところまで進む予定だったんですけどね。とりあえずその辺は次回かな。あとルルーシュサイドの動向も入れたいです。


でもってノワールさんはこんなことになっちゃってました。思いっきり行方不明中です。再会する頃には肝っ玉系の姐さんになってる………かな。
あと余談ですが、最後まで名前のなかった従者さん、実はヨーク(※漆黒の翼のメンバー)にしようかずっと悩んでたんですよね。適当な名前を付けなかったのはそのためです。ヨークにした場合、瀕死の重傷で生きてて〜となる予定だったんですが、従者とお嬢様という力関係が根底にあった場合、原作の彼らみたいなやり取りが違和感有りまくりだったので断念しました。


あと後半で美少女(笑)二人を売っぱらおうとしてるイヒヒ商人、笑い声でアレ?と思った方もいるかもしれません。多分ご想像の通りです。ちなみに喋り方は演技/笑い声だけが素です多分。どう見ても悪人笑いですよねぇアレ。
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