「あれは………?」

 路地裏を駆け―――途中壁をよじ登るようなこともあったが―――市街地を抜けたスザクたちは、街の外れで一台の馬車を発見した。一瞬、街の人間が逃げるに当たって馬車を乗り捨てていったのかと思ったが、どうやら無人ではないようだった。御者台にいたらしい男が焦ったように降りてくる。

「スザクさん、こちらに………」

とっさに二人は物陰に身を潜め、じっと相手の動向を観察した。

「………馬車の格からして、それなりに身分のある方のようですね」

 馬車との間は距離があり、またそろそろ日が暮れだす時間帯だが、咲世子の目には向こうの様子がしっかりと見えているらしい。彼女はぽつりとそう呟いた。

視力でだけならスザクもかなりいいほうだが、かつての世界で隠密としてのスキルを磨いてきた咲世子と比べれば、観察力や注意力というものが決定的に足りていない。それでも咲世子に言われて改めて見れば、確かに件の馬車は荷馬車や辻馬車ではなく、貴族や裕福な商人が使うような作りのしっかりした物だということはわかる。

「ガルディオス家か………宴の招待客かな?」

「おそらくは」

 宴には近隣の名士などが多く招かれていたが、ホドに来るには皆船を使わなければならない。船に馬車を乗せてくるわけがないのだから、港からガルディオスの屋敷の行き来にはガルディオス家所有の馬車が使われていただろう。過去に開かれた晩餐会などでは、ガルディオス家の所有する馬車だけでは足りず、何台か民間から借り上げた事もあったというが―――この日にこんな馬車を使っているのなら、ガルディオス家の関係者と見るのが妥当だった。

「………あの様子だと、馬車が故障したのでしょうか」

 御者らしき男が車輪の側に屈みこんで、何やら手を動かしている。馬車の足回りが破損して動けなくなったのかもしれない。

咲世子の呟きにつられるように、見るともなしに馬車へと視線をやっていたスザクは、次の瞬間はっと目を見開いた。

 スザクの視線の先―――馬車の中から、ドレスに身を包んだ少女が降りてくる。

(あれは………!)

御者の手元を覗き込むように腰を折る少女の後ろ姿―――高く結い上げられた髪の色、その鮮やかな桃色が意味するのは。

「………っ、ユフィ!」

 叫ぶなり、スザクは身を翻した。

「スザクさん!」

 慌てて咲世子が呼び止めるが一足遅く、まるで小猿のような俊敏な動きで、スザクは地を蹴って走りだしていた。

(ユフィ………!)

 かつての、そして最初の主―――スザクが守らなければならなかった人。守る事ができなかった人。

 清らかな彼女の手が罪に塗れ、血に濡れていく様を、その命の息吹が失われていく様子を―――絶望と共に今も鮮明に思い出せる。

 手のひらから零れ落ちた命を惜しむように、そして取り戻そうというように、スザクは必死で手を伸ばしていた。

 

 

 

 

 屋敷に向かう途中で襲撃に気がついたノワールたちは、馬車を駆って北にある港に向かっていた。距離だけなら来たときに使った東の港の方が近いのだが、古くからある北の港には、ガルディオス家の地下から伸びる隠し通路の出口があるのだ。脱出のための小船ももちろん置いてある。

ホドの領主として島と領民を守る義務のある伯爵自身は、もちろんキムラスカ軍を迎撃するため脱出するわけにはいかない。しかしガルディオス家の存続とその真なる使命のため、伯爵令嬢や子息は先に脱出させた可能性が高い。同様に、ユリアの子孫であるフェンデ家やダレット家の者たちも。

上手くすれば彼らと合流できるかもしれない―――そう考えた彼らは、あえて北への進路を取った。しかしその道中、馬車の不調のため彼らは立ち往生する羽目になってしまったのである。

キムラスカ軍との戦いがどうなっているのか、ガルディオスは、ホドはどうなるのか―――あまりにも少ない情報しか持たないノワールは、焦燥に胸が潰れそうなほどだった。大人しく馬車の中で待っていることもできず、馬車を降りて様子を伺いに出て―――。

「………ユフィ!」

「きゃぁっ!?」

 叫び声と共に腕を引かれたノワールは、心臓が咽喉から飛び出るかと思うほどに驚いた。

 キムラスカ軍に追いつかれたのか―――冷静に考えれば、彼らが『ユフィ』の名前を知っているはずがないのだが―――恐れと驚きを湛えて振り向けば、そこには予想していたような鎧の兵士も、物々しい一団も存在しなかった。

「………こど、も?」

 代わりにそこにいたのは、10歳にも満たないだろう幼い子供だった。その身なりはお世辞にもいいとは言えず、あちこちが擦り切れ、くたびれている。くるくると跳ねる栗色の髪、一杯に見開かれた瞳は若葉の色をしていて―――期待と希望にキラキラと輝いていたその瞳が、ノワールの姿を認めるなり、驚愕に見開かれた。

「ユフィ………じゃ、ない?」

 まじまじとノワールの顔を見つめ、子供がぽつりと呟いた。子供は傍目にもわかるほどに落胆し、今にも泣き出しそうに顔を歪める。

「………ユフィを知って、るの?」

 その落胆振りがあまりにも大きくて、ノワールは思わずそう問いかけていた。よくよく見てみれば、目の前の子供とユフィはさほど年も違わないだろう。今までフェレス島から出ることのなかったユフィと目の前の子供が知りあいという線は薄いだろうが、それでも万が一ということもある。―――実際はそこまで冷静に考えられたわけではなく、無意識に呟いてしまっただけだったが。

 しかし、問われた側の反応は劇的だった。

「ユフィ………ユフィを知ってるんですか!?」

 子供は血相を変え、掴みかからんばかりにノワールに詰め寄った。

「こ、こら、そこのお前! お嬢様に何を………!」

 ようやく騒ぎに気付いたのか、馬車を挟んで反対側に移動していた従者らしき男が、慌てて駆け寄ってくる。不審者を大事なお嬢様に近づけまいと、彼は両者の間に割り入るように立ちはだかった。

「お下がり下さい、お嬢様! こやつはわしが………お嬢様は中に!」

「え、ええ………」

 従者の剣幕に気圧されながらも、ノワールは頷いた。開いたままの馬車の扉に手を掛けたところで、馬車の中にいたもう一人の『お嬢様』―――ノワールの従妹が、恐る恐る顔を出す。

「のあ姉さま………?」

「ユフィ! ダメよ、中に入っていなさい!」

 『ユフィ』の名を呼ぶ不審者に従妹の姿を晒すまいと、ノワールは慌てて怒鳴りつけた。ユフィは優しい従姉の常にない様子に怯え―――助けを求めるように彷徨った視線が、不審な闖入者のそれと交じり合う。

「ユフィ………」

 不審者―――スザクは、呆然と呟いた。

今度こそ、間違いない。

ユフィ―――ユーフェミア。

守りきれなかった、彼の主―――。

「ユフィ!」

 叫ぶなり、スザクはユフィに向かって駆け出した。途中、捕らえようと伸ばされた従者の腕を掻い潜り、ノワールを押しのけるようにして、スザクは馬車の入り口に縋り付く。

「ユフィ………!」

 菫色の瞳を大きく見開いて、ユフィはスザクを凝視していた。スザクは緑の瞳に涙を一杯に湛え、必死に手を伸ばし――――。

 次の瞬間、バチン、と乾いた音が響き渡った。

「………へ?」

 スザクは音の発生源―――叩かれた頬を押さえ、呆然と立ち尽くす。

「………ばかぁっ!」

 スザクが、そして同じく呆然とするノワールたちが我を取り戻すよりも早く、耳を劈くような叫び声が当たりに木霊した。

「は………?」

 ぽかんとするスザクに詰め寄ったユフィは、両手を滅茶苦茶に振り回して殴りかかる。

「ばか………ばかばかばかばかばかっ!!」

「え、ちょ………ゆ、ユフィ!?」

 今生のスザクも体力馬鹿と呼ばれたかつてのように頑丈な体の持ち主ではあったが、存外にユフィの力は強く、両手を翳して必死に防戦する。

「っちょ、痛………ちょ、待ってってば………!」

 これが明確な敵であったなら対処のしようもあっただろうが、自分よりも幼いだろう少女、それもひとかたならぬ思い入れのある相手となれば、手荒な真似ができるはずもない。

「ユ、ユフィ! 一体どうしたの!?」

 ようやく我に返ったノワールと従者の男によって半ば引きずるようにスザクから引き剥がされたユフィは、わんわんと泣きながら、尚もスザクを睨み付けている。

「ユフィ………」

 密かに感動の再会を期待していたらしいスザクは、叩かれた頬を押えてただただ放心する他ない。

 そんなスザクを尻目に、ノワールはユフィを抱きしめながら必死に宥めている。

「一体どうしたの、ユフィ。あの子、知ってる子なの?」

「ふぇ………しらないもん………しら、ユフィ、しらない………でもばかだもん………おばかさんなんだもん………」

 あんな子知らない、でも馬鹿だもん―――しゃくりあげながらそれだけを繰り返すユフィにノワールたちは困惑し、そしてスザクも肩を落とす。

「ユ、ユフィ………」

 咲世子と再会してすぐに記憶を取り戻したスザクは、きっとユフィも自分と再会したことでかつての記憶を取り戻してくれるだろうと思い込んでいた。

 ところが当のユフィは思い出さず、それどころか―――。

 暗雲を背負って項垂れたスザクの背後、いつの間にか近くに来ていた咲世子が、落ち込むスザクに追い討ちを掛けるようにぽつりと呟く。

「………つまりユーフェミア皇女に前世の記憶はないけれど、スザクさんの顔を見ると記憶がなくても無性に殴りたくなるくらい、怒り心頭な心境だった、ということでしょうか?」

「咲世子さん………」

 恨みがましげな視線を向けるスザクに、咲世子は朗らかな微笑で小首を傾げてみせる。

「何か間違っていたでしょうか?」

 悪気がないのかわざとなのか―――ため息混じりに追求を諦めたスザクは、がっくりと膝を落とした。




Darkest before the dawn

亡失の島・3


 

※※※



元主従の感動的でない再会編。スザクってかなりユフィに夢見てると思うので(捏造ユフィでなく、アニメ中でも)、その分落胆も大きそうです。
ちなみにユフィはギアス世界で死んでから結構時間が経ってるので、ちょっとした知り合い(……)と再会した程度では記憶は戻りませんでしたという設定。ルルーシュクラスじゃないとダメでしたということで。ただ漠然とした感情だけが湧き上がってきたので、Cの世界での苛々だけが蘇ったようです(爆)。




↓多分今後の二人はこんな感じ




「何だか理由はわからないんですけど、その顔見ると無性にイラっとするんです。………というわけでスザク、これを背中に張って裏通り一周してきてくださいな」

「何これ………『おホモだち募集中』? ってこんなのつけてあんな道歩いたら襲ってくれって言ってるようなものじゃないか!」

「あら、武者修行にちょうどいいでしょう? このところ鈍ってるって言ってたじゃないですか」

「だったら魔物倒したほうがよっぽどマシだよ! なんで貞操掛けてまでそんなことしないといけないの!!」

「まあ残念。せっかく裏通りのおじ様たちにお声を掛けておきましたのに。皆さん楽しみにしてらっしゃいましたよ? 私にはわからない趣味ですけど、あの界隈の方々にはスザクは魅力的なんですって。世の中は広いですね」

「ユフィ!!」



※2011/12/17 一部改稿しました
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