無事―――少なくとも物理的には―――メジオラ川を渡り終えたルルーシュたちは、台車に乗せた食糧と共にアディシェスへ向かった。イエモンは船を見るため残ることになり、バダックが食料を積んだ台車を引いてルルーシュたちがその傍らを歩く。アディシェスはメジオラ川を越えてすぐのところにあり、子供の足でも数時間もあれば着くはずだった。

「………? あれは………」

 もうすぐ街が見える―――そんな時分になって、ニーナが訝しげに首を傾げた。遅れてそれ(・・)に気がついたルルーシュが、息を呑む。

「煙………火事か? いや、あれは………!!」

 彼らの視線の先、街の方角から、もうもうと煙が上がっていた。その規模は明らかに焚き火や、ただの火事ではない。

「焼き討ちか!?」

 ルルーシュ同様『その可能性』に思い至ったバダックが、低く呻いた。そうする間にも風上から立ち込める煙が、炎が、見る見るうちに街を覆っていく。

「拙いな………火の回りが早い。油でも撒いたか?」

 恐ろしい速さで燃え広がる有様に、ルルーシュは舌打ちして呟いた。乾燥した土地柄ということもあり、炎の勢いを遮るものがない。街が飲まれるのも時間の問題だろう。

「そんな………母上!」

 半ば放心していたジョゼットが、何かに弾かれたように走り出した。向かう先は領主館―――彼女の母親がいるはずの館だ。

「待て! そっちは………!!」

 街の北西の高台に立つ領主館は、現在の風向きだと早々に火に飲まれるだろう場所だった。辿り着いた時には手遅れになっている可能性は高い。それどころか、ジョゼット自身も逃げ遅れるかもしれない。

 呼び止める声を振り切って走り出したジョゼットの背を、ルルーシュも必死に追った。武芸を嗜むジョゼットともやしっ子のルルーシュでは体力差は歴然としており―――そもそも11歳の女児と8歳の男児では、体格からして相当違う―――見る見るうちにその背が遠ざかる。荒い息を零し、縺れるように後を追うルルーシュだったが、その体が不意にひょいと持ち上げられた。

「ほわぁっ!?」

 追いついたバダックが、すれ違い様にルルーシュの身体を米俵のごとく担ぎ上げたのだ。小山のような筋肉を持つ巨漢の男は、子供とはいえ人一人抱えているとは思えない速度で危なげなく走り続けている。

「おい、下ろせ! 自分で走れる!」

「いいから黙って掴っていろ! 舌を噛むぞ!!」

 子供のように―――実際子供だが―――抱えられたルルーシュがじたじたと暴れるが、バダックは一顧だにしない。実際ルルーシュが自力で走るよりよほど早いのは間違いなく、不承不承ながらルルーシュは口を噤んだ。結果的に余裕ができたため、ルルーシュは担がれたまま周囲へと視線を巡らせる。

(………ニーナは―――ああ、あそこか)

 バダックが言い置いてきたらしく、ニーナは台車の横で不安そうな顔でこちらを見送っていた。それを確認した後、ルルーシュは周囲を見渡し不審そうに目を眇める。

(………人影が全くない。襲撃されたなら死体の一つや二つ、ありそうなものだが………)

 住民が餓死していた可能性も皆無ではないが、その場合は餓死者の遺体くらいは残っているのではないだろうか? 数人程度なら埋葬も間に合うだろうが、街ごと―――人影が全くなくなるほど―――大規模に餓死者が出たというのなら、生きている人間には遺体を埋葬する余力すらなかっただろう。そう考えると、閑散とした街は不自然すぎる。

 ルルーシュが思案する間もバダックはジョゼットの後を追い、やがて二人は領主館へと辿り着いた。しかしその入り口の異様な有様に、揃って息を呑む。

「これは………閉じ込められたのか!?」

 館の入り口は、外側から木板を打ち付けられ厳重に塞がれていた。扉だけでなく、窓という窓が同様に塞がれている。

「くっ、この………外れろッ!」

 既に辿り着いていたジョゼットは、釘で打ち付けられた板を外そうと躍起になっていた。しかし素手でどうにかなる強度ではないし、板を剥がしたところで、両の取っ手は鎖で雁字搦めにされている。

「ジョゼット、そこをどけ!」

 バダックの肩から転がるように飛び降りて、ルルーシュはジョゼットの下へと走り寄った。その間に唱えていた術を解き放つ。

「狂乱せし地霊の宴よ。―――ロックブレイク!」

 ルルーシュの詠唱に呼応し、扉の下の大地が大きく盛り上がった。地中から獣の咢のごとく牙を剥いた岩槍が、打ち付けられた木切れと周囲の壁を巻き込み、両開きの扉を破壊する。

「母上!」

 盛り上がった地面が平らかになるのも待たず、ジョゼットは開いた入り口から館の中へと飛び込んだ。ルルーシュとバダックも、その後を追う。

「母上! 母上!?」

 煙の充満する館の中を、ジョゼットは声を張り上げて見渡した。母がいる可能性が高いのは2階の居室か、庭に面した居間か―――そう考え階段の手摺りに手を掛けたところで、館の入り口同様、打ち付けられた扉が目に入る。

「あれは………」

 同じく不自然な扉に目をつけたバダックが、眉宇を顰めて扉を睨む。扉の向こうは館で一番広い場所で、領民を集めて話し合いをするときなどに使われていたはずだ。子供たちを逃がす際、大人たちが話し合いを行ったのもこの場所である。

「ルルーシュ、扉を!」

「わかった!」

 バダックの短い要請に、ルルーシュは頷いて術を放った。

先ほど同様吹き飛ばされた扉の向こう側―――そこに広がる光景に、ルルーシュたちは息を呑む。

「「………ッ!」」

「どうして………っ!?」

 そこには、床一面に倒れ伏す人々の姿があった。最後に見たときより随分とやつれ、痩せ衰えていたが、間違いなくアディシェスに残った大人たちである。

 一瞬の驚愕から冷めたルルーシュは、横たわる人々の一人に走りより、抱き起こして揺さぶった。しかし筋が浮いて見えるほどに痩せた女性は既に事切れており、ぴくりとも動かない。

(外傷はないか。死因は一酸化炭素中毒………か?)

 音素から構成されるオールドラントで一酸化炭素があるのかも怪しいところだが、少なくとも野盗等に襲われたような形跡は見られなかった。そもそも、外部から襲撃を受けたとしたら、館の一室に外側から閉じ込められているはずがない。

 女性を横たえ、立ち上がったルルーシュは、幼い顔を険しく歪めて広間の中を見渡した。目に付く限りでは、皆外傷もないまま事切れている。

「母上! しっかりして下さい、母上!!」

 悲鳴のような声に気がついて、ルルーシュは振り返った。横たわる人々の中から母親を見つけたジョゼットが、必死に呼びかけている。けれどその顔色は蝋のように白く、その唇から応えが返ることはない。

「………ット……お嬢、さま………」

「ッ!!」

 か細い囁きを聞きつけて、ジョゼットは振り返った。広間を回って生存者を探していたルルーシュとバダックも、駆けつける。

「ばあや………!」

 ジョゼットを呼んだのは、彼女の母の乳母だった。ジョゼットの母親がバチカルからセシル伯爵家に嫁入りした際、共にアディシェスに移り住んだ女性である。じき60歳に届くという老齢だったが、ぴんと背筋の伸びたかくしゃくとした老女だった。しかし今の彼女は、骨と皮ばかりの変わり果てた有様になっている。

「ばあや、一体何があったの!? 母上は………皆は!!」

「バチカル、から………食糧、持ってきたと………。皆、集められて………そうしたら………閉じ込め、られて………気がついた時には……もう………」

「そんな………!」

 苦しい息の間に、途切れ途切れに告げられた内容は、あまりにも悪辣だった。ルルーシュはギリギリと唇を噛み締める。

(バチカルからだと? 軍か、それとも貴族か………。自国の領民を飢饉に追い込んだなど、外聞が悪すぎるからな。証拠隠滅に動いたのか)

 おそらく食糧のことなど口からでまかせだろう。仮に荷物を持ってきたとして、中身は石か藁の束に違いない。

それでも飢餓に喘いでいた者たちには、食糧を持ってきたという知らせは天の助けに見えたことだろう。食糧を受け取るために言われるままに広間に集まり、閉じ込められて。非力な女ばかり、それも痩せこけ弱った者たちなど、赤子の手を捻るように扱えただろう。あるいは荷の中に眠り薬でも仕込んでおいたのかもしれない。

そうして窓という窓、扉を外側から塞がれて、逃げ場もないまま火を放たれて―――。

「………ッ、」

 怒りのあまり、ルルーシュは目の前が赤く染まったかのような錯覚を覚える。

(彼らが一体何をした? 自国の………守るべき民だろう! どうしてこんな、虫けらのように殺されなければならない!?)

 ジョゼットの慟哭を、バダックの怒りの声をどこか遠くに聞きながら、ルルーシュは視線を巡らせた。折り重なるように倒れる人々―――その中に、ルルーシュは8ヶ月前に分かれたきりの母親の姿を見つける。

「…………」

 歩み寄り、傍らに膝をついた。

閉じられた瞼は青白く、既に命の気配を失っていた。その手は胸元から零れた組み紐を握り締めている。小さな手縫いのお守りの中に、父が戦場に赴く前夜、その髪の一束を忍ばせたことを、ルルーシュは知っていた。自分の髪を縫いこんだ同じお守りを父に持たせたこと―――そして自分の荷物の中にも忍ばせたことも。ただ一人、死を覚悟してアディシェスに留まった母にとって、おそらくそれが家族を想う支えであったのだろう。

「母さん………」

 愛情深い人だった。間違いなく自分を―――自分などを、愛してくれていた。

 それを得がたいものだと知りつつも、ついにルルーシュはそれに値するものを返すことができなかった。『前世』の記憶故に今の生を仮初めのものとしか感じられず、『母親』である彼女のことも、どうしても距離を置かざるを得なかった。

 それでもその死を前に、ふつふつと湧き上がるものがある。

 仮宿のつもりだった、通り過ぎていくはずの故郷、国、世界―――けれど。

(俺は………)

 瞼の裏に、懐かしい顔が浮かんでは消えていく。

 残してきた者たち、裏切り、裏切られた相手―――たくさんの、愛おしい者たち。

「俺は………ッ、」

「ルルーシュ!」

 咽喉元まで出掛かった言葉は、乱暴に肩を揺すられ霧散した。はっとして振り向けば、険しい顔をしたバダックがこちらを覗きこんでいる。

「………これ以上は危険だ。逃げ遅れる」

 辛うじて息があった先ほどの老女を抱き上げながら、バダックは苦渋に満ちた顔でそう言った。確かに、明らかに先ほどよりも火の勢いは強まっている。心なし、息苦しさも感じられる。これ以上、ここに留まるのは無理だ。

「………」

 母の亡骸に視線を向けたルルーシュは、固く握り締めた彼女の指先にそっと自らの手を重ねた。冷たくなった指先が、ルルーシュの幼い手を握り返すことはもうない。

「………わかった。行こう」

「………ああ」

 ルルーシュの言葉に、バダックは気遣わしげに頷いた。立ち上がり、振り向いたルルーシュは、母の亡骸に突っ伏して泣きじゃくる又従姉の姿を目にする。

「母様………母様、目を覚まして………」

 激戦区に送られただろうセシル伯爵とその息子―――ジョゼットの兄たち。彼らの生還は絶望的だった。唯一残された直系であるジョゼットは、相当に気を張っていたのだろう。背伸びをして、自分が家を、アディシェスを背負うのだと自らに言い聞かせて。

 その張りつめた細い糸は、母の亡骸を前についに断ち切られてしまった。彼女は年相応の、あるいはもっと幼い少女のように泣きじゃくり、母の亡骸に縋り付いている。

「………ジョゼット。ここを脱出するぞ」

「母様………母様ぁ………」

 ルルーシュの言葉など聞こえていないように、ジョゼットは泣きじゃくる。

「ジョゼット!!」

「………っ、」

その腕を掴んで間近でその名を呼ばわれば、ジョゼットはびくりと肩を震わせた。茫洋としていた空色の瞳が、ゆっくりと焦点を結んでいく。

「………ここを出るぞ、ジョゼット。じきに火が回る」

 もう一度、言い聞かせるように口にする。たった11歳の子供に過ぎない彼女には酷なことだとわかってはいたが、それでも早く脱出しなければ、自分たちも逃げ遅れてしまう。

「でも………っ」

 いやいやするように首を振り、掴まれた手を振り払おうとするジョゼットを、ルルーシュは襟首を掴んで一喝する。

「悲しむのは後にしろ! 死にたいのか!!」

「………ッ!」

 非情とすら言える叱責に、ジョゼットが反射的に覚えたのは反感だった。

 所詮他人事だからそんなことが言えるのだと―――そう罵って、殴りかかろうとした彼女は、息が触れるほど近くで爛々と輝く紫の瞳に言葉を失った。

(………怒って、いる?)

そこに宿るのは激しい怒り―――憎しみにも似た色。

アディシェスに対する仕打ち、無残に殺されていく人々を、ルルーシュは悼んでいる。そして憤ってもいる。

「………」

 毒気を抜かれ、振り上げかけた彼女の右手がのろのろと下ろされた。

「………?」

 180度様子の変わったジョゼットにルルーシュは不審そうな顔をしたが、疑問や追及は後回しにすることにしたようだった。ジョゼットの腕を引いて立たせると、尚も生存者を探していたバダックを振り返る。

「バダック」

「ああ。………やはり他に生存者はいないようだ」

「そうか………」

 苦虫を噛み潰したような表情で呟いたルルーシュだが、小さく頭を振って思考を切替えた。

「………行くぞ」

 短く言い置いて、走り出した。バダックに背を押されたことで、ジョゼットもようよう動き出す。

 懸命に走る小さな背を追いながら、彼らは炎の中を駆け出した。




Darkest before the dawn

礎の街・4


 

※※※



大分終わりに近づいてきたかなーという感じです。ホド戦争編。多分あと1話か2話くらいで終わるかと。ルルーシュブチ切れは次回に持ち越しです。
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