魔物の襲撃を辛うじて退けたアディシェスの一行は、生き残った者や物資を纏め、逃げるようにその場を離れた。襲撃してきたのは群れではなく一体だけだったが、血の臭いに釣られていつ新たな魔物が襲ってこないとも限らないからだ。またやむを得なかったとはいえ橋は落としてしまったし、その向こう側の襲撃された馬車にしても、全て崖下へと蹴り落とされている。生存者がいたとしても、今の彼らにはそれを捜索し、救助することは出来ないだろう。崖の下へ降りる手段もないのだから。

 冷酷と言われようと、せめて助かった者だけでも逃げ延びねばならない――― 一行の最年長者であり、実質的な指導者として同行していたウィリアムズ老が下した決断に、異を唱える者はいなかった。

 

 

 アディシェスを発った際には200名余りだった一行は、半数以下にまで減っていた。12台あった馬車も、今は5台しかない。

疾走する5台の馬車の内部はまるで葬列のような悲壮な空気に満たされていたが、一つだけ種類を異にした沈黙に満たされた馬車があった。

一行の先頭に当たるこの馬車には、ウィリアムズ老とその孫であるニーナ、セシル家直系最後の一人であるジョゼット、護衛の一人として同行している流れの傭兵、バダック・オークランド―――そして、魔物との戦闘後に倒れたきり、意識の戻らないルルーシュの姿があった。

年齢、そして経験にそぐわないレベルの譜術を連発して魔物を退けるのに一役買ったルルーシュだったが、彼は遅れて現場に辿り着いたウィリアムズ老とニーナ―――馬車に残るよう言われたが、それを振り切って追いかけてきた―――の目の前でばったりと昏倒した。当然ながらウィリアムズ老たちは慌てたが、ルルーシュの呼吸は正常で熱がある様子もない。バダックによれば、譜術を限界まで使いすぎたことによる疲労だろうとのことだった。バダック自身は譜術に適性はないが、経験豊富な傭兵だった彼は、仲間の援護や敵の弱点を突く必要性から、譜術士に関してそれなりに知識がある。その彼曰く、譜術を行使すると精神的にかなり消耗するのだという。そして精神的に消耗すれば、身体にも負担が掛かる。使いすぎればルルーシュのように昏倒することもあるのだと。

もっともたいていの譜術士は術を覚える過程で自身のキャパシティを把握していくものだし、繰り返し術を使えばそれだけ熟練し、精神的な負荷も減る。強力な術を扱えるようになる頃には譜術士としてのキャパシティも成長しているし、自身の現状を把握しているから、限界まで術を行使するようなことはしない。戦場などで命の危機に瀕していれば話は別だが、戦場ではそんな事態にならないよう、部隊を組んで連携して動くのが常道である。

しかしルルーシュの場合、本人も口にしていたが譜術を行使するのは初めてであり、自身のキャパシティを把握していなかった。通常なら指導者なり年長者なりがついているし、そもそも初心者の使える譜術レベルでは昏倒するまで消耗することは滅多にないものだが、ルルーシュはなぜか中級譜術を行使し、また連発できてしまった。結果、限界まで術を行使し、遅れてきた反動で昏倒したのだろう。―――高笑いのし過ぎで酸欠になり、倒れたのではない。多分。

そんなルルーシュがこの馬車に寝かされているのは、ゆっくり休ませるためというのもあったが、それ以上に譜術と、あの場で見せた言動について問い質すことが目的だった。ニーナがここにいるのも、まるで別人のようだったルルーシュの『豹変』に、動じなさすぎたせいである。

そうした事情からピリピリとした空気が横たわっていた馬車の中で、ルルーシュの小さな呻き声が上がる。

「………ぅ、」

 板張りの床に引いた毛布の上に寝かされていた―――これでも彼らの旅事情を考えれば破格の扱いである―――ルルーシュは、もぞもぞと身じろいだ。

 そしてゆっくりと、その紫の瞳が開かれる。

「………」

 ルルーシュは横たわったまま、ぱしぱしと目を瞬かせた。その表情は年相応に幼げで、ますます戦闘中との差異が際立って見える。

「ルルーシュ。目が覚めた?」

「………ジョゼット姉さん?」

 ジョゼットが覗き込んで声を掛ければ、ルルーシュはやや戸惑ったように首を傾げた。深すぎる眠りのせいもあって、とっさに前後の状況が繋がらなかったのである。

「一体何が………?」

 半ば習い性となった『猫被り』をしたまま置き上がり、ルルーシュは馬車の中を見回した。自分を挟むように陣取ったジョゼットとニーナ、そしてジョゼットの背後にいるウィリアムズ老は、安堵と心配の混じった顔をしていた。しかしよくよく見てみれば、ニーナ以外の二人の顔には、それだけでない感情も滲んでいる。最も近い言葉で表すならば警戒―――あるいは懸念、だろうか?

 そして一人、馬車の幌に背を預けるように腰を下ろしている大男は、露骨に警戒の色を浮かべていた。男の風貌と雰囲気に一瞬眉宇を顰めたルルーシュは、意識を失う寸前の出来事が、霧が晴れるように蘇る。

(………そうか、魔物と戦って………)

 大体の経緯を思い出したルルーシュは、同時にジョゼットたちが浮かべる表情の意味にも思い至る。

(明らかに8歳の『ルルーシュ・クロフォード』の言動ではなかったからな)

 緊迫した状況で『利発で内気なルルーシュ』を演じるのもまだるっこしく、ルルーシュは素のままで行動していた。しかも少しばかり箍が外れていた自覚もある。どう考えても、彼らの知っている『ルルーシュ』とは別人に見えたことだろう。付け加えるならば、人柄云々以前に8歳の子供の言動でもない。ニーナだけが心配そうとはいえ平常心を保ち、他の者たちが警戒を滲ませているのはそう言うことだろう。

「ルルーシュ、気分はどうじゃ? 何があったか、覚えてるかね?」

 様子を窺いながら訪ねてくるウィリアムズ老に、ルルーシュは口を噤んで考え込んだ。

(………どうする? いっそ記憶のないふりをしてとぼけるか? あるいは二重人格とでも―――いや、この世界で精神医学が発達しているとは思えんが………)

 困惑の表情を貼りつけながら、ルルーシュは素早く思案する。

アディシェスの住民は基本的に情に厚く義理固いが、そうした田舎らしい気質の者たちが『異物』に対して病的な拒否反応を示すことも多々あることだ。

そして異能の力、異能を持つ存在に激しい拒否反応を起こした者たちを、ルルーシュはよく知っている。

かつての部下―――そして最愛の妹。実妹ですらその有り様だったのに、間違いなく『異質』である自分が他者に認められ、受け入れられる姿を思い描けるほど、ルルーシュは楽観的にはなれなかった。

 それでもさすがに手のひらを返して置き去りにされるとまでは思わなかったし、迫害され排斥されることも慣れている。腫れもの扱いになったとしても、その程度ならやり過ごせる自信はある。―――まあ、ニーナを巻きこまないよう立ち回る必要はあるだろうが。

(―――だが、それでいつまでやり過ごせる?)

 ルルーシュの環境が、ではない。このアディシェスの一行のことだ。

 魔物の襲撃というリスクを冒してまで、大人たちは旧道を行くことを選択した。それはつまり、正規の街道に彼らを阻む『何か』があるということだ。

昨今のキムラスカの食糧事情、セシル家の置かれた状況、人目を避けるように旧道を通っての避難。そして避難する先がシェリダンではなく、母親の言葉を借りるならば、シェリダンの近郊にある『秘密基地』だということ。―――ルルーシュはかつての世界で指導者として、為政者として生き、支配する者の思考を知っている。身分の低い者を人と扱わない『貴族』たちの思考も知っている。それがそのままオールドラントにあてはまるとは限らないが、それでもこれだけの材料が揃えば、薄々見えてくる物もある。

アディシェスは、セシル家は、キムラスカから切り捨てられたのだ。この状況でキムラスカ軍を送りこんでくるとは考えがたいが、経済制裁だけでもアディシェスは容易く滅亡する。子供ばかりを逃がしたのも、せめて子供たちだけでもと、そう考えたのだろう。―――その結果がこれだ。

守る者も術もなく、導く者も心もとない子供たちの群れ。魔物の襲撃で数を減らされたとはいえ、100名余りの子供たちがおり、それを庇護するべき大人は五指で足りるほどになってしまった。シェリダンへの旅、そして『秘密基地』での生活はおそらく想像以上に過酷な物で、数少ない大人たちで子供たちを御し、また守り切れるとは到底思わない。半分―――いや、三分の一も生き残ればいい方ではないだろうか? 避難先の状況次第では、さらに生存者数は削られるだろう。

「ルルーシュ?」

 口を噤んだままのルルーシュに、ウィリアムズ老が促すように声を掛けた。

「………」

かつての世界で『贖罪としての死』を選択し、そのための道を進んでいたルルーシュだったが、そもそも彼は生に対する執着心は強い。何より、『生きている』ことを否定され続けた彼だからこそ、死んだように生きることも、何事も為さずに死んでいくことには耐えられない。運命に流されるまま、惰性で生きていくことも。

(俺には、やるべきことがある)

 生きる理由があり、足掻く理由がある。いや、理由などなくともそうしただろう。彼が彼であるために、それだけは譲れないことだ。

 決して芳しくない、彼らの置かれた状況。―――100人余りの一行のほとんどが子供で、大人はもはや五指に入るほどしかいない。その彼らにしても、どれだけ頼りに出来るものだろうか。為政者でも、軍人でもない、少しばかり腕の立つだけの一般人なのだ。この世界ではたかだか8年(『ルルーシュ』としての自我が目覚めてからならさらに短くなる)、かつての経験を入れても20年程度しか生きていないルルーシュが言うのもなんだが、彼らを全面的に信用して命を預けるつもりには到底なれない。ウィリアムズ老ですら、人柄や知性に敬意を表してはいるが、いかほどの指導力があるのか懐疑的である。もちろんたった1度共闘しただけの傭兵など論外である。少なくとも、何が起きているのか、自分たちがどう振舞うのか―――それを把握できる場所に立つことは、今のルルーシュにとって最低条件と言ってよかった。

 そのためには、先ほどの一件を覚えていないふりをしてまで『ルルーシュ・クロフォード』として振舞い続けることは、決して得策とは言えない。幸いKMFのない今の自分でも、譜術という戦う術がある。今すぐ一行の道行に口を出すことはできずとも、譜術士として実力を示していけば、大人に守られるその他大勢の子ども、という立ち位置からは抜け出せるだろう。幸か不幸か、今の彼らの状況は子供を戦わせるわけには行けないなどと、口が裂けても言えないのだから。

(さて、となるとどう話を持っていくか―――?)

 ギアスがあればと、反射的に浮上した考えにルルーシュは内心で嘆息した。ギアスを手段、道具の一つと戒めてきたはずだったが、いつしか力に頼り過ぎていたのだろう。慢心故に手痛いしっぺ返しを食らった記憶を思い起こし、内心でひっそりと苦笑する。

(まあ、どちらにせよ無い物ねだりをしても仕方がない。出来ることをするだけだ)

 顔を上げたルルーシュは、ゆっくりと視線を巡らせた。8歳の『ルルーシュ・クロフォード』としての表情でなく、彼本来の表情で。

「………ルルーシュ?」

 ルルーシュの返答を待って視線を集中していた彼らは、まるで空気すらも変わったかのような錯覚を覚えて思わず身を引く。そんな彼らの警戒を一身に浴びながら、ルルーシュはゆっくりと微笑んだ。


 

 




Darkest before the dawn

転機・4


 

※※※



今回短めですがアップ。ていうか話が進んでない………(汗)。次回分の話が書きづらすぎてここでぶった切ったとも言います。あー今からびくびくモンです。
ただまあ、ホド戦争中の話をすっとばして、いきなりルルーシュが頭角を現してました! みたいなのはご都合主義がすぎるんで、何とか頑張ってみます。………自信ないけど(涙)。


あ、ところで前回ラストの高笑い、ちょっとコメ頂いたんで調子に乗って小話でも。というかIFバージョンの上会話だけ、しかもたった5行の小ネタですが。
















高笑い中ニーナがそこにいたらver.


「ふははははははは………ぐっ、げほっ、ごほっ………」

「ルルーシュ君、大丈夫? はいコレお水」

「す、すまな………げほっ、ぐっ………(んくんく)………ふぅ、」

「………今思うと、昔のルルーシュ君って体力なかったけど、肺活量はあったんだね。発声練習とかしてたの?」

「…………」
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