大人ばかりが集められた集会から10日ほど経った朝、ルルーシュは硬い顔をした母親に強引に旅支度をさせられた。フード付きの外套を我が子に着せかけながら、彼女はこれからアディシェスを出てシェリダンに避難するのだと、ルルーシュに告げる。

「………シェリダンへ?」

 そう問いかけながら、ルルーシュはいつもより顔色が悪く落ち着きを欠いた様子の母親に、わずかに眉宇を顰めた。そんな我が子の表情を不安の表れと考えたのか、彼女は安心させるように笑顔を浮かべて見せる。

「ええ、そうよ。戦争が終わるまでね、避難しようってことになったの」

「………」

 ルルーシュは難しい顔で口を噤む。

(………避難だと? ここから、シェリダンへ?)

そもそも避難というが、一体何から逃げるというのだろうか。大人たちの噂では、戦場はホド周辺の海域からルグニカ平野へと移り、今はカイツール方面で一進一退の攻防が続いているという。ここ、ラーデシア大陸へはマルクト軍の現れる気配すらない。―――マルクトからの奇襲という可能性も皆無ではないが、その場合でも攻撃目標はキムラスカの武器供給庫であるシェリダンとなるはずだ。戦略的に攻める価値のないアディシェスから、より襲撃の可能性が高いシェリダンへ避難するのは道理がおかしい。

(何か別の理由があるな。………そういえば少し前にセシル家の夫人がバチカルへ行っていたはずだが。そこで何かあったか? それとも………)

 母親の言葉を額面通りに受け取るわけにはいかないことは明らかだったが、さすがに情報が少なすぎた。8歳児の自分では大人の噂を盗み聞きする以外に情報収集の伝手もなく、こういうときはかつての世界のネット事情が恋しくなる。

 とはいえない物ねだりをしても仕方がないと、ルルーシュはせめてもの情報収集に努めるべく、母親へと問いかけた。

「避難って、アディシェスの全員で行くの? 街が空っぽになっちゃうよ。シェリダンにも、そんなに一杯入れないんじゃないの?」

 どれくらいの規模で避難するのか、()から避難するのか、受け入れ先はどうなるのか―――ルルーシュは無邪気な子供の表情の裏で、母親の真意を探るように耳を澄ませていた。彼女は困ったように首を傾げて、それからゆっくりと首を振る。

「………行き先はね、シェリダンじゃないのよ。その近く。秘密基地よ」

 冒険とかできるわよ、と茶化すような発言には本を読むほうが好きだと言い返し、煙に巻こうとする母親をなおも問い詰める。

「どうして避難しないといけないの? マルクトの軍隊はこっちには来てないんでしょ?」

「それは………」

 彼女は言いづらそうに口篭った。

「母さん?」

言葉を捜して視線を彷徨わせた後、彼女は外套の紐を結び終えたのを幸いと、誤魔化すように立ち上がって声を上げる。

「………さ、できた。急いでいかないと、集合に送れちゃうわ」

「母さん!」

「………ッ、いいから! 早くしなさい!」

 悲鳴のような声で強引に問答を切り上げると、彼女はルルーシュの腕を引いて歩き出した。空いた手には、衣類や防寒具などが詰まったトランクを持ち、街の広場へと向かう。

辺りを見渡せば、同じように母や祖父母に連れられて広場へと向かう、旅支度に身を包んだ子供たちがいた。下は母親に抱かれた赤ん坊から、上は十代半ばまで、その数はおそらく200名近くに上るだろう。

(これは………街中の子供が集められたのか?)

 キムラスカでも辺境に位置し、綿花栽培を生業とするアディシェスの人口はそれほど多くはない。まして武を尊ぶセシルの家風もあり、家業を継ぐ者以外は十代前半になるとキムラスカ軍やダアトの神託の盾騎士団に入隊することが多く、また学者や技術者、商人を志す者も、十代の半ばをすぎる頃には街を出る。それを考えれば、集められた子供はほぼアディシェスの全住民と言えるだろう。

「ルルーシュ君………」

 難しい顔で行く手を凝視するルルーシュに、横手から声が掛かった。

「ニーナ」

振り返れば、祖父に連れられたニーナが立っていた。彼女もルルーシュ同様旅支度をしていたが、彼女の場合祖父も避難民に入っているらしく、外套を羽織り、大きな荷物を持っている。

「ウィリアムズ先生………」

「………おお、ルルーシュかね」

 セシル家の老教師は、目を掛けている子供であるルルーシュに、わずかに目尻を和らげた。けれどそれだけでは覆いきれないほどに、その容貌には疲労と苦悩が滲み出ている。

「先生、一体何が起こっているんですか? マルクト軍ではないのでしょう?」

 ルルーシュは母親に手を繋がれたまま、ウィリアムズ老へと問いかけた。

 かつての世界で激動の18年を過ごし、大国ブリタニアの帝位すらもその手にし―――政治的、戦略的見識にも富むルルーシュだが、いかんせんこの世界はあまりに彼の培ってきた常識とはかけ離れていた。預言などという物が世界的に尊重されているのにも理解に苦しんだし、魔物が跋扈し譜術だのがごく当たり前に存在するのにも驚いた。幸い学問として体系立てて学ぶことのできるものだったため、おおよその原理は理解したが―――これが気力だの根性だので発動する超能力だったら匙を投げたかもしれない―――ルルーシュはこの8年で、かつての常識を基準にこの世界を図るには早計だと、そう結論付けるに至っている。何しろ辺境に位置する一都市で幼児として過ごした年数と、読み漁った書物だけが、今のルルーシュが得られた情報の全てなのだから。

 だから今回の避難にしても、例えば戦争の影響で音素バランスが崩れて魔物が暴走するのだとか、そういう事例を想像したりもしたルルーシュである。―――食料供給国であるマルクトを相手に戦争に踏み切った挙句食糧難に陥り、その尻拭いのために自国の街一つ餓死に追い込もうとするなど、斜め上過ぎて想像の範疇外だった。

 そんなルルーシュの問いかけに、ウィリアムズ老は疲れ切った、しわがれた声音でぽつりと呟く。

「………軍隊より、怖いものが来るのじゃよ」

「………え?」

 訝しげに疑問符を飛ばしたルルーシュから目を逸らし、ウィリアムズ老はきつく目を閉じた。

 軍隊より恐ろしい物―――飢えと渇き。逃げることも抗うことも出来ない災厄が、街を滅ぼしに来る。

「先生?」

「おじいちゃん………」

 ルルーシュが、ニーナが口々に問いかけるが、それに答える言葉が彼にはない。

 聡い子供たちだ―――言えば、何が起こるのか、起こっているのかを理解するだろう。街に残る者たちが、どうなるのかも。

「………さ、ルルーシュ。早く馬車に乗りなさい。ニーナちゃんも。そろそろ出発よ」

 子供たちのやり取りを見守っていたルルーシュの母親が、我が子とその友人の背を押して、馬車の荷台へと押し込もうとする。用意された馬車は10台ほどあったが、そのどれもが既にすし詰め状態になっていた。座ることはできても、横になることはできないだろう。そんな中にわずかに開いた隙間に、ルルーシュとニーナが押し込まれ、ウィリアムズ老も滑りこむ。

「………母さん!」

 思わず振り向き、声を上げたルルーシュに、彼女はにこりと微笑んだ。

「………大丈夫。私たちも後から行くわ。何も怖いことなんてないのよ」

 嘘だと、ルルーシュは悟った。彼女は―――彼女たちは、ここで死ぬつもりなのだ。

「母さ――――」

 上げかけた声は、見計らっていたかのように響いた警笛に遮られた。先頭の馬車からの合図に、間を置かず10台もの馬車が、車輪を軋ませながら次々に動き出す。

「母さん!」

 荷台の縁に捕まるようにして、ルルーシュは背後を振り返った。広場には街中の大人たちが集い、シェリダンへと旅立つ子供たちを見送っている。―――そんな様子を近所の子供たちが『母親と離れることを嫌がる甘えん坊の子供』と見なしてからかってくるが、ルルーシュは歯牙にも掛けない。

8年を過ごした街が、母親たちの姿が―――砂埃で霞んで見えなくなるまで、じっと険しい顔で遠ざかる街を凝視し続けた。

 




Darkest before the dawn

転機・2


 

※※※



今回は短めです。ほんとは前回更新分と合わせて1話にする予定だった場面なので。纏めるには伸びすぎたんで、別々にしましたけどね。
当初ホド戦争中の場面はさらっと流す予定でいたのですが、そうなるとルルーシュの今後の行動の動機部分がわかりづらくなりそうなので、きちんと描写することにしました。多分10話は越えないと思う………思いたい、けど、正直微妙です(苦笑)。あ、やっぱり無理な気がたった今ひしひしとしてきました。結構書くこと多いわ。
うーん、いつになったら本編軸に辿り着けるんだろう………。
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