ND2002年―――イフリートデーカン・ローレライ・41の日。

 国境線の小競り合いを発端とし、キムラスカ国軍元帥クリムゾン・ヘアツァーク・フォン・ファブレ率いるキムラスカ軍がホド島へと侵攻。

ここに第三次国境戦争―――ホド戦争が勃発する。

ホドの領主であるガルディオス伯爵邸ではこの日、伯爵家の嫡子ガイラルディアの5歳の誕生祝いの席が設けられており、警戒を怠っていたガルディオス家は呆気なく滅ぼされた。ファブレ公爵がガルディオス伯爵の首級を上げ、ホド島を制圧すべく動き出すも、同日ホド島では謎の崩落が始まり、間もなくホド島は海へと没し消滅する。

 

ホド島における初戦はキムラスカが制したが、その後戦乱は西ルグニカ平野からカイツールにまで波及し、以後教団の折衝によって休戦するまで、1年近くに渡って両国は抗争を繰り広げることになる。

長引く戦争の余波は戦場のみならず、マルクトの、キムラスカの諸都市へと徐々に広がっていった。物資が不足し、人員が次々と戦場へと送り込まれていく。

いつ終わるとも知れない戦争、すぐ間近に迫った飢えの恐怖。

それはキムラスカ領内では最も戦場から遠いアディシェスの街も例外ではなく。

 

 

そしてホド戦争勃発より3ヶ月の後、その知らせは齎された。

 

 

 

      ※※※

 

 

 

「食料配給が停止!?」

「そんな………私たちに飢えて死ねって言うの!?」

 領主館に集められた大人―――戦える人間は出征したため、老人か女性しかいない―――が領主夫人の告げた言葉に顔色を変えた。

「奥様、一体どういうことなんですか!? 食料が配給されないなんて………」

 口々に詰め寄る者たちに、夫人は顔を覆って項垂れる。

「………『キムラスカを裏切ったユージェニー・セシルと、裏切り者を輩出したセシル伯爵家。これに与える慈悲をキムラスカは持ち合わせぬ。故に、キムラスカ・ランバルディア王国はセシル家及びセシル家を領主に戴いたアディシェスに対し、一切の支援を打ち切るものとする』………半月前、バチカルから届けられた書簡です」

 夫人はカタカタと震えながら、穴が開くほどに読み返した宣告を諳んじた。そこに宿るのは絶望か、あるいは怒りだろうか?

 顔を覆った夫人の右手が握りつぶしていたのは、キムラスカ王家の御璽の入った手紙だった。そこに記されていたのが、先ほど夫人が諳んじた宣告である。

「裏切り者、って………ユージェニー様が?」

 どこか呆気に取られたような表情で問い返した領民に、夫人はのろのろと頷いた。

「ユージェニーはキムラスカ軍を招き入れる手引きをするよう命じられ、それを拒絶したと………だからキムラスカを裏切ったのだと、」

「馬鹿な………そりゃ、ユージェニー様はセシルのお家から嫁がれたけど………もう、16年も前のことじゃないですか! 何だって今さら………!!」

 恰幅のいい中年の女性が、堪りかねたように叫んだ。

彼女は件のユージェニーとは10歳近く年が離れており、敵国マルクトへとわずかな供のみを連れて嫁いでいったユージェニーの様子を、はっきりと覚えている。

預言に詠まれたからという理由で、顔も知らない、それも敵国の武人―――すなわち同胞であるキムラスカ人を何人も殺した男―――の下へ嫁いだユージェニー。休戦したとはいえ、両国の特権階級では交流などほとんどなく、彼女は孤立無援の状態にあっただろう。そこから16年もの間、一度として故国の土を踏むことはなく―――今さら、彼女にキムラスカ貴族として母国への忠誠を期待するほうが間違っているだろうに。

国の言い分に憤る者、キムラスカのためにマルクトを、家族を捨ててくれなかったユージェニーを詰る者―――にわかに騒然とする広間の中に、しわがれた声音が響く。

「………口実にされたのじゃよ」

「ウィリアムズ先生?」

 女性たちの一人が怪訝そうに問い返した。彼女の視線の先には、ジョゼフ・ウィリアムズ―――セシル伯爵家で教師を務める老人が、難しい顔で立っている。彼は老いて落ち窪んだ眼差しに憂いを湛え、口を開いた。

「皆も知っている通り、キムラスカ全土が物資………とりわけ食糧の不足に苦しんでおる。王都の知人の話では、バチカルの下層では餓死者が多く出ており、中層以上でも飢えや病が横行しておるとか。………バチカルの上層、貴族たちにその余波が及ぶのも遠い話ではあるまい」

 民が飢えに苦しむ間も、王城を始めバチカルの上層に住まう者たちは、衣食に不自由することなく暮らしていた。毎日十分すぎるほどの料理を食卓に並べ、美食に舌鼓を打つ。

 けれど屋敷の外では確実に飢えは広がっており、わずかずつではあっても、彼らの生活にも影響が出始めた。食事の質が下がり品数が減り、嗜好品が手に入りにくくなる。このままでは彼らまでも生活を切り詰めねばならなくなるだろう。あるいはその前に、不満の爆発した民衆が暴動を起こすかもしれない。

 事ここに至ってようやく危険を認知した貴族たちがしたことは、戦争を終結させるよう働きかけることでもなく、キムラスカの食糧事情を改善しようと奔走することでもない。

 彼ら―――バチカルの貴族たちがしたことは、地方へ配給する食糧を切り詰め、バチカルだけを潤すことだった。

食料の配給を完全に停止されたのはアディシェスだけだったが、ウィリアムズの知る限り、配給量を減らされた街は他にもある。例外は王妹を娶った大貴族・ファブレ公爵の治めるベルケンドと、キムラスカの主力産業であり、主力兵器である譜業を製造するシェリダンくらいだろう。その両都市にしろ、領民に十分な量には到底及ばない。

「少しでもバチカルの外に流出する食料を減らしたい貴族たちにとって、ユージェニー様の件は格好の口実だったのだ。アディシェスの産業は織物業だが、戦時にあっては不要不急と言わざるを得ぬ。まして、ここ数年は病害で落ち込んでおったからの………」

「そんな………ッ!」

「酷い………」

 ウィリアムズ老の説明に、領民たちは顔を覆って口々に呻いた。既にその可能性を指摘されていた伯爵夫人は、唇を噛み締めて項垂れる。

そんなことのために―――貴族たちの贅沢を維持するために自分たちが切り捨てられるというのかと、ある者は怒り、ある者は絶望も露わに声を上げた。

「奥様、何とかならないんですか!? このままじゃあたしら皆、干上がっちまいますよ! ………せめて、せめて子供たちだけの分でも………!!」

 切々と訴える女性の懇願に、セシル伯爵夫人はのろのろと首を振る。

「もう、バチカルには何度も訴えたのです。ですが私は陛下に謁見することも、それどころか王城に足を踏み入れることも許されず、門前払いで………。交友のあった貴族に口添えを頼もうにも、裏切り者のセシル家と関わるわけにはいかぬと………!」

 この半月、知らせを受け取ったセシル家は打てる限りの手を打った。夫人自らバチカルへ向かったし、王城で門前払いを食らってからは、縁戚関係にある貴族の家を訪ねては口添えを乞うた。―――誰もがセシル家の巻き添えを食うことを恐れ、首を縦に振ってはくれなかったけれど。

 夫人が精根尽き果て、アディシェスへと帰り着いたのが昨晩のことだった。夜通し残った者たちと話し合い、そして彼らは一つの決断を下したのである。領民の代表たちを集めたのは、それを知らしめるためであった。

「………国庫からの支給は停止され、私たちが独自に食料を買い入れようにも、流通量の激減と価格の高騰のため、金を積んでも微々たる量しか手に入りません。―――アディシェスに対するバチカルの決定は、周辺の領主にも周知されておりました。国の決定に逆らいアディシェスを支援し、バチカルの不興を買ってしまえば、彼らとてアディシェスの二の舞となります。………彼らからの支援は期待できないでしょう。このままでは早晩、アディシェスは滅びます」

 ウィリアムズ老の予測したとおり、『ユージェニーの裏切り』が口実であったというのなら、他の領主たちとて下手を打てば巻き込まれるだろう。アディシェスの民を憐れに思ったとしても、自らの領民を思えばこそ、助けの手を伸ばすことはできない。つまりはアディシェスのみでこの苦難を乗り越えねばならず―――そしてもはやそれは絶望的であった。

 アディシェスの領地の大半が固い岩盤と荒地であり、雨は少なく河らしい河もない。細々と畑を耕す者もいなくもなかったが、痩せた食物がわずかばかり取れるだけで、家畜の餌程度にしか使われていなかった。その家畜たちもとうに潰され、食肉となって久しい。鶏の卵も山羊の乳もとっくに手に入らなくなっている。何年もかけて領主館に備蓄していた分も、数年来の不作、そしてここ数ヶ月の戦争によって空になってしまった。

領内のみでは領民の糊口を賄えず、配給も援助もない。外部から買い入れようにも、物価の高騰でそれも侭ならない。―――バチカルの決定は、彼らに飢えて死ねと突きつけたようなものであった。

 それは集まった者たちにとっても自明の理であり、誰もが顔を覆って悲嘆に暮れる。それを眺めやり、夫人は口を開く。

「………今日、皆に集まってもらったのは、私たちの決断の是非を問うためです」

「決断?」

 誰かが鸚鵡返しに呟いた。夫人はそれに頷いて、それからゆっくりと領民たちへと視線を巡らせる。

「アディシェスは遠からず滅びます。………ですからせめて、子供たちでも逃がそうと思うのです」

「それは………でも、一体どこへ? ベルケンドはファブレ公爵様のご領地だし、シェリダンだって今は出入りも制限されてるんじゃ?」

 アディシェスのあるラーデシア大陸はキムラスカの南西の端にあり、最も近い都市がラーデシア北部にあるシェリダン、そしてその次に近いのが隣接する大陸にあるベルケンドである。

ベルケンドは王家と姻戚関係にある大貴族・ファブレ公爵家の領地であり―――公爵本人はキムラスカ軍元帥として前線にいるが―――王家の決定に逆らうとは思えないし、シェリダンも望みは薄いだろう。シェリダンはキムラスカ軍の主力兵器である譜業を製造する都市であり、戦時下には譜業の生産と流通、そして軍への納入を管理するため、キムラスカ軍の監視下に置かれるようになっている。衣食住を保障される代わり、街の周りを軍人が固め、ひたすら馬車馬のごとく譜業製造を強いられるのだ。

アディシェスの領民もそうしたシェリダンの事情は知っており、子供たちを逃がそうにも逃げ場もないと問えば、夫人は大きく頷いた。

「秘密裏に、シェリダンの技術者の方々からご助力を頂けることになったのです。シェリダンは皆も知っての通り厳戒態勢にありますから、子供たちを移住させるのは難しいですが、隠れ家と、いくばくかの食料を工面して下さると」

 シェリダンの技術者たちは職人気質で義理堅く、また曲がったことを嫌う者が多い。その彼らにしてみれば、言いがかりをつけて街一つ餓死させようとするバチカルのやり口には反吐が出ることだろう。

「シェリダンの北西の岸壁の麓に、洞窟を利用した昔の研究所跡があるのだとか。何でも飛行………飛空挺? とやらを隠して研究していたとかで、まずまずの広さがあるそうです。―――シェリダンは現在厳戒態勢下にありますが、譜業の製造に使う鉱石などの採取のため、定期的に採掘には向かうそうです。護衛と称して2、3人の軍人が同行するようですが、入り口付近にいるだけで内部までは同行しないため、その際に食料を持ち出して隠しておき、彼らが立ち去った後に取りに行けば………」

 夫人の提案に、皆が思案するように周囲を顔を合わせた。その顔には、喜びや希望よりも、不安の方が大きい。ラーデシア大陸の自然環境、跋扈する魔物たち―――どれだけ無事に辿り着けるだろうか? どれだけ生き延びることができるだろうか。

「………もちろん、口で言うほどに容易なことではないでしょう。強制はいたしません。―――けれど、それでもこのままここに残るよりは、生き延びる可能性は高いと考えています」

「「「「………………」」」」

 じりじりと飢えていくだけの土地。戦争はいつ終わるとも知れず、そして戦争が終結したところで、おそらく数年に渡ってキムラスカは飢餓に苛まれるだろう。

「………あたしは賛成しますよ」

 ぽつりと誰かが呟いた。

「じい様が言ってたんですよ。前の戦争の時、戦争が終わってからも長いこと、食べ物に不自由したって………。子供たちに木の根の汁物しか食べさせてやれないなんて、真っ平ごめんですよ」

彼ら『下々の者』は、貴族や王族の勝手で戦争を起こされる度、木の根や草を食むような生活をして生きながらえてきた。幾度も繰り返され、語り継がれた戦争によって、彼らはそれをいやというほど知っている。

「そう、よね。うちのおばあさんの妹、何かの球根食べて、毒に中って死んじゃったって聞いてるわ」

 その発言を皮切りに、口々に賛同の声が上がる。少しでも望みのあるほうを選びたいと―――子供たちに未来を残したいと、そう願って。

「奥様、あたしらなら大丈夫ですよ。いざとなったら魚でも何でも獲ればいいじゃないですか。死ぬ気になったら魔物だって食べられますよ。………子供たち、逃がしてやりましょう」

 アディシェスの周辺は海流の関係で漁場には向かず、罠を掛けてもろくに魚も捕まらない。魔物だって、残った女ばかりでは捕らえるなど以ての外、ましてどこに毒を持っているかわかったものではない。

 けれどそれを知っていて、彼女はそう言った。集まった者たちも、気丈な笑顔で賛同する。

 せめて、子供たちだけでも助けてやりたいと―――ただその一心で。

 彼らの気持ちが痛いほどに伝わって、夫人もまた微笑みながら頷いた。

 




Darkest before the dawn

転機・1


 

※※※



ホド戦争編。触りみたいな状況説明が長引いたせいで、オリキャラ(むしろモブキャラ)しかいない話になってしまいました(汗)。
ちなみに↑で書いた日付ですが、これ実は曜日がおかしいです。考察サイトさんにあるガイの誕生日をそのまま使ったんで、本当はND1987年の日付です。ND2002年だと何曜日になるかわかんなかったのでそのまま使っちゃいました。突っ込まれる前に白状しておきます(爆)。

あとこの当時インゴ陛下は即位してると思いますが、食糧配給停止処分とかは一応貴族主導という設定です。ゲーム中のインゴ陛下とかは非情でもないし、むしろ決断力に乏しいという印象なので、自分からは言い出さないでしょう。まあでも了承してハンコ押してる時点で同罪ですが。
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