「ルルーシュ」

 ニーナの祖父から借り受けていた本を返却しようと自宅を出たルルーシュは、道端で呼び止められた。

 名を呼ぶ声に聞き覚えのあったルルーシュは、足を止めて振り向いた。そこに立っていたのは、淡い金髪を結い上げ、男物の衣服に身を包んだ11、2歳ほどの少女である。

「ジョゼット姉さん。どうかした?」

 精神年齢はともかく肉体年齢は8歳であるルルーシュは、子供らしい口調を心がけながら問い返した。別段狙ってやったわけではないが、少女のような容姿と相まって、大半の大人は相好を崩して微笑むだろう愛らしさがある。

 それを向けられた側の少女―――ジョゼット・セシルは、なんとも複雑な顔をした。それにルルーシュは気付いていたし、その内心も理解してはいたが、気付かない振りで見つめ返す。

「………またウィリアムズ先生のところに行っていたの?」

「ううん、違うよ。借りてた本を返しに行くんだよ」

 ついでに当のウィリアムズ氏の不在をいいことに、書斎に潜り込んで書籍を物色する気満々である。ちなみに老ウィリアムズ氏からは、演技の甲斐あって「向学心溢れる感心な子供」と好意的に捉えられているが、さすがにルルーシュがこそこそ持ち出している書物が、子供向けどころか大人でも読めない専門書の類であるとまでは気付いていないようだ。

「………そう」

 そんなルルーシュの返答に、ジョゼットは歯切れ悪く頷いた。おそらくそれは、武術の訓練に見向きもせずに―――もっともまだ8歳のため、目くじらを立てられるほどのことではないが―――日がな書物に没頭する様子に対するわだかまりだろう。

 セシル家は貴族ながら武門に秀でた家柄であり、キムラスカ軍にも多くの軍人を輩出してきた。現在の当主は退役した元軍人であり、次期当主となるジョゼットの兄も現在はキムラスカ軍に所属している。ジョゼット自身、刺繍やダンスよりも剣を揮うほうを好み、今のルルーシュの年には木刀を振り回していたという。そんな中にあって、ルルーシュは確かに異端児には違いない。

 それでも常ならば『セシル一族の変り種』で済んだだろうが、そうは行かないのが現在の国際情勢であった。

 

 

現在キムラスカとマルクトは一触即発の緊張状況にあり、もはや開戦は避けられまいというのが大多数の見解である。

元々マルクトがキムラスカより独立して以来、数百年に渡って対立し、戦争と休戦を繰り返していた両国だが、ここ1年ほどの間は急激に両国の関係は悪化していた。その根底には、3年前の不作でマルクトが食料の輸出量に制限を掛けたことがある。自国民の食料を確保すべく動いたマルクトの方針も全くの間違いではないが、食糧の大半をマルクトからの輸入に頼るキムラスカにとってもこれは死活問題といえた。事実、じわじわと食糧不足がキムラスカの民衆を圧迫している。

ルルーシュに言わせれば、キムラスカとマルクト以外には商業自治区ケセドニア、そして宗教自治区ダアトという勢力しかない世界で、自国の消費する食料の大半を輸入―――すなわち唯一食料の輸出が可能である敵国マルクトに頼っているほうがおかしいのだ。キムラスカが農耕に向かない土地なのはわかるが、それでも湿地帯などもあるようだし、手を入れれば質は悪くとも食料と呼べるものが収穫できるようにはなるだろう。それをなんら手を打たず、預言だのに無駄金をつぎ込んでおいて、いざ食料が足りなくなって顔色を変える―――というのは為政者の怠慢が過ぎる。

しかし現実にキムラスカでは食料は不足し、両国は一層の緊張状態にあった。あと一つ、何か切欠があれば間違いなく開戦に踏み切るだろうという一触即発の状態である。

そしてその切欠となりうる諍いの種は、至るところに転がっているのが両国の現状であった。国境線の問題で揉めているところなど片手に余るほどにあるし、真偽のほどは定かではないが、キムラスカ船籍の漁船が領海を越えたとしてホドの艦船に砲撃されたという噂もある。

ひとたび戦争になれば、キムラスカの中でも特に貧しい土地柄であるこのアディシェスは食糧難に苦しむだろう。同じラーデシア大陸にあるシェリダンは、キムラスカの主力兵器である譜業の製造拠点であるため国が最低限の食料を保障するだろうが、特産物が綿織物というこの地方は、少ない食料を割いてまで保護してもらえる可能性は低い。街の有力者たちが食料の備蓄に努めているが、既に食料の高騰は始まっており、折からの不作による流通量の激減のせいもあり、成果は芳しくなさそうである。

 そしてもう一つ、セシルの家が危惧することがあった。

 セシル家では現当主の姉の一人が、16年ほど前にマルクトに嫁いでいる。これは当時起こった小規模な争いを収める手段の一つとして、キムラスカ貴族とマルクト貴族の政略結婚が図られたからであり、当時のセシル伯爵令嬢―――ユージェニー・セシルが預言の導きの下、マルクトのガルディオス伯爵家へ輿入れした。

 このガルディオス伯爵家の領地がホド島であり、キムラスカ軍の動向を見るに―――軍では軍艦等の整備が進められているらしい―――現在最も戦場となる可能性の高い場所なのである。

ユージェニー本人は、おそらく敵国に嫁ぐ以上それなりの覚悟は持っていただろう。そして嫁いでから16年も経過し、二人の子供にも恵まれて―――彼女は既に『キムラスカのセシル家令嬢』ではなく、ホドのガルディオス伯爵夫人となっているはずだ。

 無論セシル家としては、肉親の情に流されキムラスカ貴族としての務めを疎かにするつもりはない。領民を危険に晒す恐れがあるとなれば尚更だ。例え親族の嫁いだ土地であろうとも―――いや、だからこそセシル家は先陣を切って戦わねば、キムラスカにおけるセシル家の、ひいてはアディシェスの立場が悪くなる。

 領主館では、既に出陣の準備が着々と進められているという。元々軍籍にあるジョゼットの実兄はもちろん、一度は退役した現当主も、セシルの私兵を率いて参戦することになるだろう。一族でも若い男、武術の心得のある者たちは、出兵の準備に追われている。剣などろくに持ったことのない、ルルーシュの『父親』すらも。

 そんな中、若年ゆえ、そして一族と領民を守るため残されるのが、ルルーシュとジョゼットだった。まだ成人すらしていない従兄の一人でさえ、親族と共に出陣するという。

 直系の最後の一人となるだろうジョゼットは、ここしばらくのうちに明らかに顔つきが変わってしまっていた。以前は生真面目な性質ではあっても、もう少し子供らしいところがあったというのに、今や使命感で雁字搦めになっている。自分こそが、セシルの家とアディシェスの街を守るのだと―――そしてだからこそ、マイペースすぎるほどに勉学に勤しむルルーシュを見、複雑な心境になるのだろう。

「………勉強もいいけど、剣の鍛錬もしなきゃだめよ。貴方もセシル家の男なんだから」

 ルルーシュが両手一杯に抱えた本から数冊受け取りながら、ジョゼットはため息混じりにそう零した。ついでのように表紙に目を向けて、その小難しいタイトルに顔を顰める。

「『地形に対応した植生分化とその変遷』『植物の種子発芽特性の解明と植生回復への転用について』『救荒植物大全』………何の本、というかルルーシュ、こんなの読めるの?」

 およそ8歳の子供の読むものとは思えない本に、ジョゼットは怪訝そうな顔になる。

「うん。まだ難しいけど、なんとなく読めるよ」

「そ、そう?」

 本を読むより身体を動かすほうが得意なジョゼットが、若干引き気味ながら頷いた。それににこにこと『子供らしい』笑みを返しながら、ルルーシュは口を開く。

「お父さんにね、どうしてキムラスカではご飯―――えっと、食べ物が作れないのって聞いたら、土地が貧しいからだよって言われたんだ。でね、ウィリアムズ先生にどうして土地が貧しいと食べ物が作れないのって聞いたら、自分で調べてみなさいってご本を貸してくれたんだよ」

「それがこの本なの?」

 子供向けには難しすぎるのではないのかと、自身の教師でもある老人を思い浮かべたジョゼットだが、ルルーシュはこれに首を振る。

「ううん、先生の貸してくれた本はもう読み終わったよ。でね、じゃあどうしたら貧しくなくなるのか、貧しい土地でも作れる食べ物はないのかって思ったんだ。なんかね、お芋とか、貧しい土地でも栽培できるのもあるんだって」

 子供らしさを装って零された言葉に、ジョゼットは表情を改めてルルーシュを見下ろした。彼女ももちろん食料の不足する現状は理解しており、だからこそ少しでも事態の改善に繋がるかもしれない事に、無関心ではいられない。

「貧しい土地って、アディシェスでも?」

 ジョゼットの問いに『書物から得た』知識を得意げに披露して見せながら、ルルーシュはひっそりと息をつく。

(………どうやら関心を持ってくれたみたいだな)

 それでこそ、無邪気な子供を演じて見せた甲斐があるというものだ。

 ルルーシュがオールドラントに転生を果たし、ニーナと二人で知識の吸収に努め―――どうにも気にかかっていたのが、為政者たちの行き当たりばったりの施策である。

前述の通り、キムラスカは食料自給率が低いにもかかわらずその食料輸入を敵国マルクトに頼っており、しばしば飢えに悩まされてきた。それにもかかわらず、歴代のキムラスカ王の治世を紐解いていっても、この問題に本気で取り組んだ様子が感じられない。

あるいはマルクトと戦争し、あわよくばその領土を奪い取って―――と考えていたのかもしれない。しかし豊かな穀倉地帯である北・西ルグニカ平野はマルクトの首都グランコクマに程近い場所であり、当然マルクト側も易々とキムラスカの侵入を許しはしない。そもそも軍馬や譜業兵器、譜術が飛び交い、数多の遺体が埋葬された『戦場』を手に入れたとしても農地として使い物になるはずがないのだから、キムラスカが良質の農業用地を手に入れようと思うなら、マルクトに対し相当のアドバンテージを握り、無傷の土地を割譲させねばならないだろう。

しかし国力の拮抗した両者の間で大敗・大勝が記録されたことはなく、数十年おきに繰り返される戦乱の果てにあるのは、いつも痛み分けのような結果、そして飢餓と貧困だった。それでも今度こそはと同じことを繰り返すのだから、この世界の為政者はよほど預言とやらで頭を侵食された馬鹿揃いではないのだろうか。

 とはいえ、この世界に本気で関わる気のないルルーシュたちは、クーデターだの国の乗っ取りだのを試みるつもりはない。しかし現実にこの世界に生まれ、名家の子として不自由のない生活を与えられた以上、多少なりともそれに報いるべきではないかと思う気持ちもある。

 セシル家が武門の家とはいえ、ルルーシュの認識ではそれは自分のジャンルではない。生まれ変わって体力がついた―――らいいなあという願望にも関わらず、どうやら自分の体力は引き続き残念賞決定らしいと、剣の稽古の前振り的なチャンバラゴッコの際に思い知ってもいた。そもそも、仮に自分がかつての幼馴染のような人外魔境の体力を持って生まれ、目覚しい働きをあげることができたとして、結局自分がいなくなってしまえばそれで終わりである。

 それよりももっと多くの民を救い、また自分たちがいなくなった後にも残せるものはないか―――自問するまでもなく、その答えをルルーシュたちは持っていた。

 オールドラントの、少なくとも現在の文明の及ばない水準にある知識、そして技術。

 そして何より、預言という殻に押し込められたオールドラントの人々が思いつかないだろう発想の数々。

 無論悪戯に危険な知識を持ち込んで戦争被害を増大させるつもりはなかったし、そもそも物質の構成要素のレベルから異なるこの世界には生かせない知識が多すぎる。ニーナが取り組んでいたウランの研究などもそうだ。

 けれど、かつての世界の人々が連綿と紡いできた歴史、その経験の中には、オールドラントにおいても転用できるものは多くある。

 例えば、土地の緑化事業や灌漑の技術。

 砂漠の緑化等は彼らの過ごした世界でも成功率の低い事業だったが、灌漑などなら―――オールドラントにも全く例がないわけではないらしいが、土地等に大きく手を入れることをオールドラントの人々は好まず、また預言に阻まれることが多いようだった―――十分に有用である。またシェリダンあたりで海水を真水に変える譜業を開発することができれば、目ぼしい川や水源のない土地にも水路を引き、農業用地にすることができるかもしれない。

 また、農業用譜業の開発なども有用だろう。オールドラントの食物庫と言われるマルクト領・エンゲーブですらも、農耕は人と家畜による手作業に終始しているという。ここに耕運機や散水設備等を投入すれば、大幅な効率化を図ることができる。

幸いにして、キムラスカには譜業製造の中心であるシェリダンがあり、音素学等の研究が盛んなベルケンドもある。ゼロからのスタートではないのだから、為政者を動かすことさえできれば、食糧事情の改善も決して夢ではないだろう。剣の鍛錬などに励むよりもよほど、キムラスカに―――そしてオールドラントに有用な物を残すことができるはずだ。

そんな考えの下、ルルーシュは本を読み漁る傍ら、ニーナと共にキムラスカに提出する草案を纏めていた。もちろん子供がこんな物を出したとしてもまともに取り合ってもらえないだろうから、上層部への伝手を作ることから始めないといけないだろうが。

向こうから話題を降ってきたのを幸いと、ジョゼットにあれこれと喋ったのだってその一環だ。

(………いずれ、この土地を治めるのも彼女だろうからな。意識改革は必要だろう)

 その時、自分が彼女を支えてやれないことに罪悪感を覚えてはいたけれど。

 全てを抱える余力がない以上、新たに抱え込んだ『オールドラント』を切り捨てるしかない。

 ―――それは間違いなく、今このときのルルーシュの真実には違いなかった。

 




Darkest before the dawn

二度目の始まり・2


 

※※※



ルルーシュ幼少期編、かな? セシル家の遠縁に当たるという設定なので、当然ジョゼットさんとは親戚です。
ちなみにこれがホド戦争直前なのでゲーム開始時の16年前(=ND2002年)。この時にルルーシュが8歳なのでゲーム開始時には24歳です。本編開始時には既に色々暗躍してる設定なんですが、そうなるとその時に18歳だと厳しいんですよね。現代世界と違ってネットとか存在しませんから、株で資金稼ぎとかソフト作ったりハッキングしたりとか(おい)、そういう真似ができないですし。代役立てるにも限界があるので、やっぱり年齢底上げしとかないとなーと。なのでギアス側の主要キャラは本編時には20歳越えしてます。あ、ジェレミアとかその辺は三十路に行ってますが(笑)。
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