霧が晴れるように開けた視界。

 飛び込んできたのは、まん丸に見開かれた灰色の瞳だった。

「ふふ、始めましてのご挨拶は? ルル」

 唐突な意識の浮上にぽかんとする『彼』の頭上から、明るい声が降ってきた。柔らかくて大きな手がぽんぽんと背を叩く。

 それに促されるように改めて目の前へと意識を戻せば、そこにいたのは2歳ほどと思しき子供だった。淡いピンクの服からして、女の子なのだろう。ややクセの強い黒髪と、灰色の瞳。そこにいつか見たような錯覚を覚えて、『彼』はことんと首を傾げる。

「ほら、ニーナちゃんも。こんにちはー、は?」

 ニーナと呼ばれた幼児もまた、自分を凝視して凍り付いていた 。

見詰め合うことしばしの後、どちらからともなく伸ばした手―――もみじのようなふくふくの手―――の指先が互いに触れた瞬間、まるで留め金が外れたかのように、記憶と感情の波が押し寄せる。

愛情、憎しみ、痛み、苦しみ。

裏切り、喪失、決意、そして―――。

『ルルーシュ・ヴィ・ブリタニア』として生きてきた、18年間の記憶。

脳髄を揺さぶり、心を掻き乱すその記憶は痛みすら伴い、『彼』―――ルルーシュを苛んだ。おそらく以前の彼であれば、頭を抱えて膝をつき、痛みを堪えたことだろう。

しかし今のルルーシュの肉体は以前の彼の物でなく、身体は勝手に身に染み付いた“傷みと感情の表し方”を実行する。今の身体―――2歳の子供がするであろう感情の発露。

要するに、大泣きしたのである。

「る、ルルちゃん? どうかしたの?」

 柔らかな手の主―――『今』の母親である女性の、突然火がついたように泣き出した我が子に驚き、慌てたような声が聞こえるが、ルルーシュとて意識して行っているわけではない。むしろ人前で大泣きするなど、彼のプライドに掛けても許し難い事態であり、止められるものならとっくに止めている。

 唯一の救いは、ニーナと呼ばれた幼児―――おそらくはルルーシュも知る『彼女』もまた、自分と負けず劣らずの勢いで泣いていることだろうか。釣られて反射のように泣き出したのか、あるいは彼女も自分と同様に記憶の痛みに苛まれているのかまではわからなかったが。

 その後、二人は揃って延々泣き続け、母親二人を困らせた挙句、泣き声を聞いた近所の大人までも駆けつける騒ぎとなり。

 ルルーシュ・ヴィ・ブリタニア改め、ルルーシュ・クロフォード2歳と3ヶ月。

 記憶の底に抹消したい黒歴史と共に、彼の第二の人生は幕を開けた。

 

 

 

      ※※※

 

 

 

 肉体年齢2歳児なりに情報収集に努め、5歳になる頃にはルルーシュ、そしてニーナも、自分たちの今いる世界のことを少しずつではあるが把握できるようになってきた。

惑星オールドラント―――世界中のあらゆる物質が、音素(フォニム)と呼ばれる元素によって構成される世界。

この世界には譜術、いわゆる魔法のようなものが存在しており、素質を持ち訓練を積んだ譜術士は、音素を操り様々な効果の術を行使することができるらしい。さらに譜業、つまり機械などの原動力にもなっており、音素とはいわば人々の生活の根底に根ざす物と言えるだろう。

 そしてオールドラントの世界情勢であるが、大きく分けて3つの勢力が存在している。

 惑星を南北に二分する二大国家―――北方に位置するマルクト帝国、そして南方を支配するキムラスカ=ランバルディア王国。

 ルルーシュとニーナが生まれたのは、このうちキムラスカ領に属するラーデシア大陸、その南部にあるアディシェスという街であった。

 ラーデシア大陸は岩と砂ばかりが続く荒地の大陸であり(もっともキムラスカの大半が緑の乏しい気候らしいが)、ラーデシア北部のシェリダンは大陸特産の砂や鉱物を生かした譜業産業が活発であり、また南部のアディシェスでは荒地にも強い綿花栽培による綿織物産業で栄えていた。

 このアディシェスの領主は伯爵位にあるセシル家で、代々武を重んじる家である。ルルーシュの母親はセシル家現当主の従妹にあたり、嫁ぎ先であるクロフォード家は爵位こそ持たないものの、広い綿花畑と綿織物の製造所を運営するアディシェスの名家であった。

 一方のニーナはセシル家に出入りする教師の孫娘で、娘婿である父親もかつてキムラスカにある高名な研究所で学んでいた学者であり、地元では一目置かれる名士の一族と言えるだろう。

 母親同士が親しかった縁もあり、二人が初めて引き合わされたのが2歳の時。このときに二人揃って大泣きしたせいで相当相性が悪いと思われたらしく、2度目の顔合わせは1年以上経ってからだったが、それ以降、二人は時間を惜しむように顔をつき合わせては、互いの情報を交換し、自分たちの現状を把握することに必死になった。

 この日もルルーシュの家にやってきたニーナが、床に広げた紙の前に座り込んで、落書きをする振りをしながら(もちろんカモフラージュ用の落書きなども用意してある)知りえた情報を書き出していた。ちなみにオールドラントで一般的に使用されているのはフォニック文字と呼ばれる文字であるが、今ニーナが使っているのは彼らにとって馴染みの深いブリタニア語である。しかも筆記体なので、万が一大人が目にしたとしても、何やらミミズののたくった落書きにしか見えないだろう。

 手にしたクレヨンでさらさらと何事かを書きつけながら、ニーナは困惑したように首を傾げた。

「やっぱり、このスコアっていうのがどうにもなじめないよね」

「そうだな。スコアのとおりにくらせば、こうふくになれる、だったか。ありがたがるやつらの気がしれんな」

 紙を挟んで向かい側に座るルルーシュも、腕を組んでふんと鼻で笑う。―――もっとも5歳児が腕を組んでも大人ぶって可愛いだけだし、傲慢な台詞すら舌足らずのため微笑ましい。

 とはいえ、その言葉の内容を聞けば、さすがに大人も顔を顰めて窘めるだろう。熱烈な預言信者であれば、目を吊り上げて怒鳴りつけるかもしれない。

 それほどに、このオールドラントにおいて預言(スコア)とは絶対の物とされていた。

 オールドラントは数千年以上前から高度な文明が花開いていたが、およそ二千年前に新たに発見された七番目の音素―――人々の傷を癒し、未来を知らしめる第七音素(セブンスフォニム)の発見により、その音素の観測点を巡って大規模な戦争が起こっている。

この譜術戦争(フォニック・ウォー)と呼ばれる戦争によって、オールドラントは様々な災厄に見舞われた。大地は瘴気に汚染され、液状化し―――戦争と災厄によって当時の文明は著しく後退した。そのため譜術戦争以前を創世暦と呼び、以後の時代とは分けて考えるのが一般的なのだが、この創世暦時代の末期に現れ譜術戦争を終結に導いたのが、希代の譜術士ユリア・ジュエである。

音素は寄り集まると意識を持つと言われており、伝説によればユリアは第七音素の意識集合体―――ローレライと契約を交わした。そしてローレライの力を借りて預言―――すなわち星の記憶を詠む術を得、以後2000年以上に渡る未来を記す預言を残した。この預言の導きにより、人々は汚染された大地を捨て、新天地を築きそこに移住することとなったという。

そしてユリアの弟子たちが興したローレライ教団は、預言の成就を至上命題として積極的に布教に励み、ユリアの逸話と預言の高い的中率に支えられ、今日では『預言に従うこと』はオールドラントにおける常識に等しい扱いに至ったわけである。

これらはルルーシュとニーナが、ニーナの祖父の書斎に潜り込んでは読み漁った文献から知りえたことであり、書物などを目にする機会の少ない一般市民レベルでは、教団が広める御伽噺程度の知識しか持たない者も多い。

しかし預言は日常生活の隅々にまで浸透しており、よほど困窮した人間でもなければ、生誕の預言に始まり、毎年誕生日にはその1年の預言を、お布施という名の大金を支払って詠んでもらうのが一般的だった。裕福な貴族や商人などの中には、毎日の食事の献立にすら預言を求める者もいるという。正直、ルルーシュやニーナには理解しがたい慣習である。―――もっとも彼ら自身の心情はともかく、彼らの両親・親族はオールドラントではごく一般的な感覚を持っているため、彼らも年に1回程度の頻度でしかないが、それでも誕生日には預言士の下へと連れて行かれているのだが。

「だいたい、何もかもをスコアのとおりに生活するなど、あやつり人形みたいなものだろう? どうしてだれもぎもんに思わないんだ?」

  呆れた、と言わんばかりに肩を竦めるルルーシュには、諾々と何かに従って生きる人生など『生』とは呼べない物なのだろう。かつて―――ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアであった頃、実父によって生を否定されたルルーシュにとって、生きるとは息をすることと同義ではない。己が意志を示し、抗い、足掻いてこその生だ。

そのルルーシュにしてみれば、自分がすべきことを預言に詠んでもらい、その通りに日々を過ごすことをよしとする人々は、理解に苦しむことだろう。

「それがあたりまえだから、だろうね。みんなそうなんだもの」

「………そうだな」

 かつて、ナンバーズを差別し見下すのが当たり前になっていた、多くのブリタニア人がそうであったように。当たり前の『常識』に疑問を挟む者は少なく、彼らの声もまた、少数派として黙殺された。ましてこの世界ではたった一国のみならず、全世界がそれを肯定している。それに異を唱えるのは容易なことではないだろう。

 そしてルルーシュ自身、預言に反対の声を上げるつもりはなかった。

 人々が預言に従う有様に不快を覚えても、結局それは当人の選択の結果だ。ルルーシュがそれを不快に思うのが自由であると同じように、彼らが選択した結果預言に頼るのも、他者に被害が及ばない範囲内ならば自由だろう。少なくともそれを、かつての―――オールドラントではない世界で培った『常識』で否定し、掻き回すのは筋が通らない。

「………それに、わたしたちが口だししていいことじゃないと思う」

「………ああ。おれたちにそのけんりはない」

ルルーシュの―――いや、彼らの認識では、自分たちはどこまでもこのオールドラントの異邦人だった。シュナイゼルとの決戦の最中に志半ばで戦死した彼らの悔恨は、今もあの世界にある。

あの戦いが単なる権力闘争であったならともかく、ルルーシュたちの敗北は、そのままシュナイゼルによるダモクレスの恐怖に繋がっている。フレイヤの恐怖によって世界を統べる未来―――それは明日を望んだルルーシュにとっては認めがたい世界であり、そしてフレイヤを開発したニーナにとっては、自らの罪が最悪の形で具現した世界となる。

敗北し、生まれ変わった今も、彼が『彼』であり、彼女が『彼女』である以上、使命感と焦燥が、常に心のどこかにある。オールドラントでの生も家族も仮初めのもので、いつか―――どうにかして、あの世界に還らねばならないのだと、そんな強迫観念にも似たものを抱いていた。それが実現する可能性が限りなく低いとわかってはいても、諦めてしまうことはできなかった。オールドラントのことを必死で調べているのだって、突き詰めて言えば元の世界に戻る手段を探すためである。

ふ、と遠くを見つめながら、ニーナがぼんやりと呟く。

「………みんな………ミレイちゃんとか、だいじょうぶだったかな………」

「………」

 それに答える言葉は、ルルーシュも持っていなかった。

 




Darkest before the dawn

二度目の始まり・1


 

※※※



ちょっと追記というか。

↑で出てくるアディシェスなんて街、ゲーム中には出てきません(プレイ済の方はご存じでしょうが)。当然領主がセシル家云々も力の限り捏造です。あ、あと名前は他のキムラスカ領の都市と同様、クリフォト(wiki参照)から取りました。


ちなみにルルーシュの名字がオリジナルになってますが、基本的にギアスキャラの(生まれた時の)名字は生前の物とは違います。そのうち改名するはず。ルルーシュの名字も出てくるのは序盤の数話だけで、その後は別の名字になります。その辺はおいおいということで。
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