バチカルからナタリア王女の視察の知らせが届いた2日後―――視察団を出迎えるためシェリダン港に詰めていたミレイは、貼りつけた笑顔の影で頬を引き攣らせた。

(………そりゃ、話には聞いてたけど………)

 まさかほんとにコレで来るとは思わないでしょ、と見上げる彼女の視線の先には、たった今シェリダン港に入ってきた視察団の乗る船があった。

 プリンセスナタリア号―――先日就航したばかりのシェリダン製豪華客船である。

 これはキムラスカ王が溺愛する一人娘の15歳の誕生日に送った船で、彼女の王女としての最初の公務になるケセドニア訪問に合わせてシェリダンに発注し、製造させた物だ。その大きさ、装飾の美しさはオールドラント中探しても類を見ず、同時に軍艦でもないのにこれほどに財を注ぎ込んだ船もないだろうと思われた。

 父王からこれを贈られたナタリア王女は大層感激し、初公務であるケセドニア訪問からこちら、バチカルから海を渡る公務にはしばしばこの船を用いているという。王都バチカルからシェリダンに来るには海を越えなければならないから、王女がこの船に乗って視察に来ることは予想の範囲内ではあったのだが――――。

(だからって………視察の足に豪華客船って、どういう神経してるのかしら?)

 もちろん今回の抜き打ちに等しい視察はともかく、『王女の初公務』としてのケセドニア視察など、キムラスカという国の体面が絡んだ問題であることはわかる。ナタリア王女のために泊を付けたいという親心も、キムラスカの国威を見せつけたいという王としての考えも理解できないことではない。下手に王女が民間船やら老朽化の進んだ船で訪問してしまえば、キムラスカの台所事情を嘲られるだろうし、警備上の問題だって出てくるだろう。

 だからといって、何も豪華客船などというこの先使い出のないもののために、莫大な資金を国庫から工面する必要があったのだろうか。キムラスカ王家の専用船として、それなりのレベルの物を新たに製造するだけで十分ではないだろうか?

 国庫に金が唸るほど眠っているならともかく、キムラスカの台所事情はお世辞にも豊かとは言いがたい。ホド戦争の傷跡はようやく癒えつつあったが、そのために切り捨てられた貧しい者たちは多くいる。王のお膝元であるバチカルだって、下層に行けば貧民街が広がり、日々の食べ物にも事欠く者は存在するのだ。そんな無駄に絢爛な客船のために使う金があるのなら、彼らの就業支援や区画の整備など、もっと有用な使い道はあっただろうに。

 そしてこの豪華客船は、ただ動かすだけでもかなりの金を食うのだ。燃料は音素だからいいとしても、一回動かすだけで何人もの―――並の船の3倍だ―――整備士や航海士、機関士を必要とし、また内部の清掃や給仕などに携わる乗組員も必要になる。ちょっとそこまで、などという軽い気持ちで使用出来る船ではないのだ。―――まあだからといって、港で寝かしておくだけでも維持費に相当掛かるわけで、キムラスカの財務担当者にとっては頭の痛い物体なのではないだろうか。

 この船の製造にはミレイたちランペルージ商会は関わっていないが、キムラスカ王家がシェリダンに発注した物のため、彼女は実はキムラスカの予算も実際に掛かった金額も、この船のためにキムラスカのその年の国家予算がごっそりと削られたことも知っている。商人としての知識と経験が増えたために、この船の維持費にどれだけ掛かるかということも。

(どう考えても無駄な出費よねぇ)

 この船で買える『キムラスカの国威のアピール』と実際の建造費を考えると、明らかに釣り合っていないだろう。

 それらについて責められるべきはナタリア王女でなくキムラスカ王だろうが、正直これを視察に乗り回す王女の言動にもミレイは呆れを禁じ得ない。

彼女の公務の中には孤児院の視察などもあるし、今回王女が視察するランペルージ商会の工場は、いわば孤児たちに対する慈善事業の一環である。王女がどこまでその実態を把握しているかは怪しいが、彼女が思っているだろう“孤児たちをだまくらかして酷使している”工場だったとしても、そこに豪華客船でやってきた王女を孤児たちはどう思うだろうか。

(………なんていうか、どうにも危なっかしいのよねぇ)

 ミレイは今回の王女訪問にあたり、出来ればその人柄を見定めるようにルルーシュから頼まれている。おかしな先入観を持ちたくはないのだが、それでも視察前からこの有り様では、正直見る目は厳しくなるというものだ。なまじかつての世界の為政者―――皇族たちが、少しでも付け入る隙を見せれば蹴落とされるという過酷な状況にあっただけに(ユーフェミアのように一部例外も存在したが)、キムラスカ王家のお花畑な為政者親娘にはため息が出る。

(………ま、そんなことは言ってられないわよね)

 喉元までこみ上げたそのため息を噛み殺して、ミレイはすっと背筋を伸ばして顔を上げた。

彼女が豪華客船を前に悶々としている間に、どうやら王女が甲板まで出てきたらしい。ランペルージ商会の代表代理であるミレイ、シェリダンの知事、港の責任者―――直立して王女を出迎える者たちに向かって、ナタリア王女が近づいてくる。

 代表して進み出たシェリダンの知事が、ナタリア王女に対して歓迎の挨拶を述べる。

「ようこそお出で下さいました、ナタリア殿下。シェリダンを代表いたしまして、殿下のご訪問を歓迎いたします」

顎のあたりで金糸の髪を切りそろえた快活な王女は、それに対して鷹揚に頷き、出迎えを労う言葉を掛ける。

そうしてゆっくりと巡らされた視線を、ミレイは非の打ち所のない礼儀作法、そして柔らかな微笑を浮かべて受け止めた。

 

 

 

 結論から言うなら、ミレイが為政者としてのナタリア王女に下した評価はよくて中の下―――と言ったところだろうか。

おそらく王女は『善人』の部類ではあるのだろう。

正義感が強く、曲がったことが許せない。理想に燃え、不正を嫌う潔癖な性分の王女。

―――しかし彼女はあまりにも思慮が浅く視野が狭く、また他人の言葉を鵜呑みにしすぎる人柄だった。

 ランペルージ商会の『不当かつ過酷な労働環境』を暴きに来ただろう彼女は、案内された工場の様子とミレイの説明に大層感銘を受けていた。最初の頃は言葉の真偽を疑い、粗を探すようなところが目立ったが、それでも子供たちと実際に会話を重ねた後には、すっかり信用していたようだった。孤児院や治療院の設置などの慈善事業に携わっている彼女には、孤児たちを集めて就業させ、教育を受けさせるこの施設は非常に興味深いものだったらしく、そのあたりについて熱心に質問を重ねていた。

 それらについては好感を持てるのだが、さっそくバチカルでも実施しなくては―――そう鼻息荒く意気込む姿には、一抹の不安を覚えずにはいられなかった。根回しだとか吟味検討だとか、そういった過程をすっ飛ばしそうな勢いだったのである。まあ、実際には国庫から金を出す以上、議会なり何なりに掛けられ検討はされるのだろうが。

 しかし、今回の工場に関しては赤字事業とはいえ孤児の就業・教育によって中長期的な治安の口上、人材の育成が見込めるとはいえ、孤児院の建設を始めとするナタリア王女の慈善事業はかなりの『ばら撒き』だという噂も小耳に挟んでいる。慈善事業や視察以外には、目立った功績や政策を上げていないということも。

 現在は父王が政務を執っているからともかくとして、父王がその座を退いた後、彼女がキムラスカを動かしていけるかと言われれば、まず不可能だろう。

父王インゴベルトも預言頼りで優れた為政者とは到底言えない人物だが、臣下たちのお陰でそれなりに国は回っている。ナタリアに代替わりしても玉座の主がすげ替えられただけ―――ではあるのだが、ナタリアがその臣下たちと衝突せずにいられるか。王宮では水面下では賄賂が横行し、利権や癒着なども多々見られるという。前述のとおり潔癖で正義感の強い彼女がそれを黙認できるとは思えないし、かと言ってそれらの臣下たちを廃してしまえば、ナタリア自身におそらく国を動かす能力はない。キムラスカという国はたちまち立ち行かなくなるだろう。

 それにもかかわらずナタリア王女に次代のキムラスカ女王として必要な教育を施していないということは、あくまで国を収めるのは王女の婚約者―――ファブレ公爵子息であり、彼女はいわば『飾り物』だということだろうか? だとすれば、慈善事業のように華々しく、かつ王女個人の政治手腕が必要とされない分野はうってつけではある。

(………でも、お飾りに満足できる人柄じゃなさそうよねぇ)

 王女を施設の外まで見送ったミレイは、ルルーシュへの報告のため王女の人柄を反芻しつつ首を傾げた。正義感が強い、の他に自己顕示欲が強いというのも入れたほうがいい気がする。話の端々、ふとした言葉尻に“私が”というオーラが溢れていて、頼もしいといえば聞こえはいいものの、少々どころでなく鼻についた。『飾り物』の役割と重要性を理解してそのように振る舞い、徹することはできないだろう。つまり彼女の伴侶ないし側近が、よほど上手く彼女を扱わなければ齟齬が生じそうである。

(………ま、とにかく注目すべきは王女でなくてその回りってことかしらね)

 繰り返すが、心根自体はそこまで悪くないのだ。

彼女を正しく導ける人間と巡りあう事が出来ればそれなりに真っ当な女王になれるかもしれないし、あるいは彼女を上手く操縦できる伴侶に、側近に恵まれれば、国民に愛される王妃として“王家の顔”でいられるかもしれない。

(つまり、鍵はファブレ公爵子息ルーク・フォン・ファブレ、ってことね)

 ミレイはナタリア王女の婚約者―――4年前に誘拐されて以来、王命で屋敷から一歩も出られなくなったという人物の名を思い起こす。残念ながら、その能力も人柄も、何一つ屋敷の外には聞こえてこないのだが。

 いずれ敵対するであろう人物として、見たこともない少年を思い浮かべた彼女は、これから1年も経たないうちにそれを根底から覆す情報が齎されるなど、思ってもみなかった。




Darkest before the dawn

ランバルディアの娘・2


 

※※※



うーん、元々書く予定だったバダックとのシーンが長引いたせいで、妙な区切り方になってしまいました。ミレイさんの独白? しかないという罠。

でもこのプリンセスナタリア号、正直引っかかってたので書けて満足です。
攻略本曰く『ナタリアが所有する大型客船。豪華でリッチな装飾が美しく、世界中の女性たちの憧れ。ナタリアはこの船を公務に使用することもあり、領内を視察して回っている』だそうですが、正直それってどの辺が国民思いの王女様なのか。王女所有の客船を庶民が利用できるとは思えないですし、そんな貴族だけの楽しみのために国庫から莫大な金を工面して製造させるとか………。さすがにナタリアがおねだりして〜とかより、親馬鹿インゴベルトが贈ったと考える方がしっくりきたんで↑ではそう解釈しましたけど、喜んで乗り回してるっぽいので微妙さは変わんないかなー。てか領内の視察とかで自分の納めた税金で造った豪華客船乗ってこられた日には、キムラスカ国民はキレてもいいと思うんですが。あんまり納税だとかピンとこない年頃のお嬢さんとかはともかく。
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