ランペルージ商会の施設を出たナタリアは、知事が用意した馬車で港まで戻ってきた。急な視察でとてもではないが王女が泊まる場所の準備が追いつかなかったため、彼女はこのまま船に乗り込んでバチカルに戻る予定になっている。ナタリア自身も強引に予定を詰め込んだから、シェリダンに長居することはできなかった。

 父から贈られた豪奢な船に戻ってきた彼女は、船室に戻ると備え付けの椅子に腰を下ろしてぼんやりと物思いにふけっている。

 思い返すのは、幼い日に婚約者と交わした大切な『約束』。

 何度も心の中で、時には一人口にして―――支えとしてきた約束。これをくれた婚約者(ルーク)は誘拐事件を機にすべての記憶を失ってしまったけれど、それでもナタリアは忘れてはいなかったし、いつかルークが思い出してくれる日を心待ちにしていた。顔を合わせるたびに思い出してくれるように懇願して、邪険にされても通いつめて―――思い出すきっかけになればと、二人の想い出を口にして。

 幼いルークがナタリアにくれた『プロポーズ』の言葉―――ホド戦争の傷跡もまだ生々しかった頃、王侯貴族の彼らの目にすら悲惨な暮らしを送る者の姿が目についた頃に、二人で誓い合った言葉だ。

 あれから何年も経って、バチカルの上層部では暮らしに困る者が目につくことも無くなって―――それでもこうして公務に出、孤児たちを目にすれば、思い起こさずにはいられなくなる。

「………『いつか俺たちが大人になったらこの国を変えよう。貴族以外の人間も貧しい思いをしないように、戦争が起こらないように、死ぬまで一緒にいてこの国を変えよう』………」

 だからナタリアは、思わず口に出して呟いた。誰もいない自分だけの部屋だと、小さな窓の外は海しかなくて、誰にも聞かれないとそう思って。

 だから、それに低い男の声が返ってきたことに、ナタリアは飛び上がるほどに驚いた。

『国を変えよう、か。………それは父親への批判だと気づいているのか? 王女よ』

「………っ!? だ、誰ですの!?」

 慌てて椅子から立ち上がったナタリアは、立てかけてあった愛用の弓へと手を伸ばした。

ランバルディア流アーチェリーを嗜む彼女は、護身用に―――するには弓は向かないが―――弓矢を持ち歩くことが多い。さすがに視察などの場には持っていけないが、今も船室においてあった。

それを構えて視線を巡らせた彼女は、けれど部屋のどこにも人影がないことに眉宇を潜める。

 先ほど人払いをしてしまったから、扉のすぐ外に護衛はいない。到底人の出入りできない小窓しかない船室だったから、船内の出入口を固めれば問題ないと思ったのだろうか。それなりに大きな声を出したはずなのに、駆けつけてくる足音はまだなかった。

「………何者なんですの? 卑怯な………姿をお見せなさい!!」

 内心の焦りと恐怖を押し隠して、ナタリアは再び声を上げた。全身で警戒する彼女の耳に、カタリと小さな音が届く。

 そちらに視線をやった彼女は、しかし予想外の人影―――いや、人ですらない姿に、思わず言葉を失った。

「………と、鳥?」

 小窓にちょこんと止まっていたのは、小さな鳥だった。おそらくナタリアの手のひらに乗る程度の大きさだろう。一瞬この鳥が先ほどの声の主かと思いかけ、しかしありえないと否定した彼女は、まさしくその小鳥が男の声を紡ぐのを聞いて目を見開いた。

『王女。先ほどの問いの答えを。―――父王の治める国は醜いか?』

「な………っ!? 何て事を言うのです! お父様を侮辱するつもりですか!!」

 改めて問い直されて、ナタリアは目を吊り上げた。先ほどは唐突な声音にのみ気を取られていたから、問いかけの内容にまでは気が回っていなかったのだ。

 だから、小鳥の―――愛らしい姿に似合わない低い声音が紡ぐ『侮辱』に、ナタリアは顔色を変える。それが、彼女自身が口にし、大切に抱えてきた『想い出』のことだとは気付かずに。

 けれど問いを放った声音の主は、容赦なく彼女にそれを突き付ける。

『王女よ、貴方自身が先ほど口にしただろう? 貴族以外が飢えぬよう、国を変えると。―――父王の治めるこの国は、貴族だけが肥え太っていると、そういうことではないのか』

「………っ!」

 その指摘にナタリアははっと息を呑んだ。幼いルークとナタリアが『変えなければならない』と心に刻んだキムラスカの有り様は、父が治める国の有りようなのだ。幼い彼らの『約束』は、確かにキムラスカ王―――ナタリアの愛する父王に対する批判に違いない。

 彼女は今までそれをおおっぴらに口にしたことはなかったが、それは大切な約束を軽々しく口にしたくなかっただけ―――それを口にすることで、他者が何を思うかを考えたわけではない。今更に気づいてしまったその事実に、ナタリアは目を見開いて視線を彷徨わせ、そうして必死で言葉を探す。

「………ち、違いますわ………お父様は、そんな………民のことを思って、」

 彼女の愛する父は立派な国王なのだと、声の主に―――そして彼女自身に言い聞かせるように。

 そんな弱々しい抵抗を、声の主の皮肉な苦笑が捻じ伏せる。

『民を思う王? このような無駄な贅沢に湯水の如く金を浪費しておいて、か』

「………え?」

 何を言われているのかわからなかったナタリアが、きょとんと目を瞬かせた。その様子が見えていたわけではなかったが、声の主が小さくため息をつく。

『慈善事業に熱心な王女ならば、キムラスカには未だ多くの飢えた子どもたちがいることは知っていよう? 王都の目につく場所には見られずとも、辺境に行けば行くほど、貧しい暮らしを強いられる者が増えることも』

「………」

 淡々とした声音だったが、そこに滲む皮肉と批判を否応なしに読み取って、ナタリアはきゅっと唇を噛んだ。

彼女はそれをキムラスカを統べる父への批判だとだけ受け取ったが、その陰には、それを目にしていながら“気付かない”ナタリア自身への皮肉すらも込められている。―――そう、今この時ですら、彼女は下らない見栄と浪費の結晶の中にいるというのに。

『―――この船。この、押しつけがましいほどに豪華な船に、一体どれだけ莫大な金がつぎ込まれているか考えたことはあるか? この船一隻造るのに掛かった金で、一体どれだけの貧しい者が、その飢えから解放されただろうな?』

「………ッ!」

 指摘されたことに、ナタリアは鋭く息を呑んだ。扉を背後に弓をつがえていた彼女の手から、ついにそれらが零れ落ちる。―――けれどそれらは上質の絨毯の上に柔らかく転がるだけで、立てる音すらも吸収された。

 幼い頃からバチカルの王城、キムラスカで最も壮麗で豊かな王宮で暮らしてきたナタリアには、上質の家具も肌触りのよい寝具も、足音を吸収する毛足の長い絨毯だって、ごくごく当たり前に身の回りにある物だった。当たり前だったから、それを用意して維持するだけで財を消費するものだということを、知ってはいても実感が伴っていなかった。

―――それを当たり前のように備え、美しく煌びやかに飾り付けられたこの船を造るのにどれだけの金銭が消費されたかなど、考えてみたこともなかった。ただ、こんな素晴らしい贈り物をくれた父に感謝し、喜びに浸るだけで。

「あ………わ、私、そんな………そんなこと」

 そんなこと、気付かなかった。考えてもみなかった。

 言葉にならない続きを読み取って、男の声が呆れ混じりのため息を零す。

『考えたこともなかった、か? ………まあ、大方そんなことだろうとは思ったがな。少しでも考えていれば、こんなものを視察の足になどできまいよ』

「………っ、」

 悔しそうにそして恥ずかしそうに、ナタリアは唇を噛んで俯いた。そうして指摘されて恥じ入るだけの分別があったことだけが、せめてもの救いだろうか。

『………王女よ。もう一度問おうか? “そなたの父の治める国は、醜いか”―――』

「―――やめて下さいませ!」

 繰り返される問いを、ナタリアは悲鳴を上げて遮った。

「お父様はただ、私の初公務のために………っ! キムラスカのっ、権威を示すために必要だと………!」

 この船を造るにあたっての動機、そして建前。父から娘に対する愛情の賜物だと片付けるにはあまりに公私の混同が過ぎて、そして王として国の体面のためと言い繕おうにも、粗があり過ぎる言い分。

 それをどこまでナタリアがわかって言っているかは定かではなかったが、それでもどこまでもナタリアが父を庇い、肯定しようとすることは声音の主にも理解できた。父を『間違っている』と否定してしまうには、ナタリアの世界は狭すぎた。父と、王宮と、それからほんの少しの外の世界―――あまりにも、彼女にとっての父王は絶対に過ぎたから。

『………、』

 だから、頑是ない子供のように首を振ってへたり込んだナタリアに、彼はそれ以上を口にすることはしなかった。このやり取りで打ちのめされたのは彼女だけでなく彼も同様で―――それ以上を口にするだけの気力が、もはや彼にも残っていなかったから。

 だから、『小鳥』はばさりと翼をはためかせた。はっと顔を上げたナタリアの目に、小窓をよちよちと伝って踵を返す小鳥の姿が目に映る。

 一体『何』だったのか、どうしてあんなことを口にしたのか―――それを問い質すべきだと頭のどこかが思っても、立ち上がって駆けよって、取り押さえるだけの気力が今のナタリアにはない。

 そのまま小窓から飛び立とうとした小鳥が、最後に一つだけと、どこか疲れたように言葉を零す。

『………王女。そなたが思うほど、キムラスカは美しくもないし、誇り高くもないぞ』

「――――」

『預言を盲信するまま、キムラスカに、貴族どもに踏み躙られた者はごまんといる。いずれ―――それが牙を剥く時が来るだろう………』

 そのための布石を着実に重ねていくルルーシュ、それに共感し、加担する者たち。彼自身、キムラスカに―――いや、『ナタリア王女』と呼ばれる存在に思うところはあれど、もはや後戻りする気もない。

 だからそれだけを言い捨てて、『小鳥』は小窓から飛び立っていく。

 それをナタリアはただ、茫然と見送ることしかできなかった。

 

 

 

 ばちゃんという水音を最後に、操作していた機器が耳障りな雑音を立てて沈黙した。先ほどまで彼が声を届けるのに使っていた『子機』―――小鳥の形をした譜業の機器が、海面へと落下したからだ。

元々使い捨てとしてあの船に忍ばせたものだから、予定通りではある。小鳥の姿をしてはいても飛行能力はほとんどないに等しかったから、海上を行く船からここまで飛んで戻ってくることは不可能なのだ。

 だからジージーと音を立てる譜業を停止させて、彼―――バダックは深いため息をついた。大して長い時間でもなかったはずなのに、酷く疲労した気がする。

「………バダック」

 そんな彼の背に、躊躇いがちに掛けられた声があった。

「………ノワールか」

 声の主は、ノワールだった。普段からダアトとメジオラの隠れ家を行き来している彼女は、数日前からこちらに滞在していた。またすぐにダアトへ戻ると聞いていたが、おそらくナタリア王女来訪の噂を聞いて、帰還を延ばしたのだろう。あるいはルルーシュの指示でバダックに譜業の小鳥を用意した咲世子が、バダックの様子を気に掛けてくれるように言付けていったのかもしれない。

「アンタ………よかったのかい? あんな………せめて、せめて………」

 ノワールはバダックとナタリアの―――彼女の本来の名前であった『メリル』との関係を知っている。

 バダックがキムラスカに奪われた、たった一人の娘―――メリル。我が子を奪われた妻は錯乱して港から海へと身を投げ、娘を取り戻そうと王城に押し掛けた彼は、諍いの末誤って殺人を犯し、バチカルを追放された。

 キムラスカを憎み、自暴自棄になって放浪して。それほどに愛していた娘を前に、父として名乗りを上げることもせず、名乗りもせずに―――それでよかったのかと。

 そう問いかけるノワールに、バダックは首を振る。

「いや、………いいんだ。メリルは………俺の娘は、もういない。あれはキムラスカ王の愛娘―――ナタリア王女だ」

「バダック………」

 案じるようにその名を呼んだノワールが、そっと彼の背後から腕を回した。抱きしめるような、縋りつくようなその腕を感じながら、バダックは静かに目を閉じる。

 娘を奪われたことを憎み、キムラスカ王を恨んで―――けれど、あの時は頭に血が上って娘を取り戻すことしか考えられなかったが、今の彼は、キムラスカが直接関与したわけではないことを知っている。妻の母であったキムラスカ王妃の乳母が、預言に導かれるままに死産の王女とメリル―――自身の孫をすり替えたのだと。

 かつての盲目的な憎しみはなくなったけれど、それでもバダックは、キムラスカに弓引くルルーシュたちの同志としてここにいる。汚名を着せられ滅ぼされた街を前に憤りを覚えたのはバダックも同様で、そして預言に支配されない国を造ると豪語した『王』たる少年の行く先を見たいとも思う。

 その結果キムラスカと―――娘の『父』が治める国と敵対するのだとしても、今更引き返すつもりはない。

 それでも、ろくに腕に抱くこともないまま失ってしまった娘への愛情と罪悪感、そして寂寥の気持ちが常に心の中にあった。思慕を向けてくれるノワールに向き合うことに、娘への、そして亡き妻への裏切りであるような気持ちを覚えもした。

 けれどメリルは―――『ナタリア王女』は、父王を愛している。そしておそらく愛されてもいるのだろう。

 それをはっきりと思い知って、どこかで糸が切れたような気がする。未練か、執着か―――あの娘はもう、キムラスカ王の娘なのだ。バダックのメリルは、赤い髪の赤子の亡骸と共に、とうに土の中に埋められてしまったのだから。

「………」

 いつか、彼らはキムラスカに牙を剥く。キムラスカ王に―――そしてその娘、ナタリアにも。

 父を愛し、キムラスカを愛する娘だ。おそらく相容れることもなく、また手を取り合うこともなく―――けれど。

(………すまん。シルヴィア………メリル)

遠ざかる亡き妻の、娘の面影に別れを告げて、バダックは後ろから回されたその腕に、応えるように手を伸ばしたのだった。

 




Darkest before the dawn

ランバルディアの娘・3




※※※



というわけで一応バダックとナタリアの(実りのない)親娘会話は終了。これで吹っ切れたことになってるかはぶっちゃけ微妙ですが、うん、ふっ切って下さいバダックさん(おい)。

てか2話を書きあげた時点でナタリアとの会話部分は書いたはずだったんですが、結局それ全部没ったんですよね。どうにも会話に脈絡がなさすぎるというか、バダックさんどっから電波受信してんだよと言いたくなったので。
ちなみにゲーム中では戦争云々やらでナタリアはインゴベルトに反抗? 否定? してましたが、この時点ではまだほんとに公務に付き始めたばかりですし、ゲーム中での『旅』もしてませんからね。お父様へのちょっとした反抗程度ならともかく、完全に『間違ってる』と認めるのはまだ無理だと思います。


あ、そしてバダックさんがくっつく相手は↑の通り、ノワールさんになります。てか逆かな。ノワールさんの相手役が欲しくて、誰にしようかなーと考えた結果バダックさんにお鉢が回ってきたようなものです。
………ゲーム開始時点で彼女、妊娠中の予定なので。そして某ピンクな薄幸少女のお母さんに。
ギアス世界の荒れっぷりを思うと、彼女に救済入れたかったんですよ………。
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