神託の盾(オラクル)騎士団の主席総長であるヴァン・グランツの私室は、騎士団本部でも奥まったところにある。執務室で主席総長としての執務を取り、夜半も過ぎて私室へ戻ろうとした彼は、中庭に面した回廊の辺りで、ふと肌を刺すような気配に足を止めた。

 次の瞬間、物陰から飛び出してきた気配があった。振り返りざま、抜き放った剣を振るえば、気配の主は手に持った大ぶりのナイフでこれを受け止める。

「………ッ!」

 大きく跳び退った人影を見、ヴァンはわずかに眼を見開いた。

若くして主席総長の地位にある以上、妬みや恨みで、あるいは権力争いの思惑絡みで、命を狙われることは珍しくない。

それでも、ギラつく眼差しでこちらを見遣る人影は、ヴァンには予想外の姿をしていた。

「女………?」

 若い、それも美しい女だった。女の暗殺者がこれまでいなかったわけではないが、そうした者は得てして色仕掛けなど、絡め手を使ってくることが多い。こうして真正面から―――まあ、奇襲ではあるが―――命を狙ってくるのは珍しいと言えた。

 ヴァンの困惑を知ってか知らずか、女は間を置かず、ナイフを手に再び大きく踏みこんできた。

(む………)

 男と女、長剣とナイフ―――不利な条件であるにもかかわらず、女は強かった。力で劣る分敏捷さを生かし、右へ左へと切り込んでくる。おそらく、今まで切り伏せてきた暗殺者たちよりも腕が立つだろう。―――あるいはそれは、抱えた感情に後押しされてのことかもしれないが。

「………くっ!」

 それでも、次第に女の息が切れてきたのがヴァンの目にもわかった。ナイフを弾かれ、あるいは距離を取ってから再び仕掛けるまでの間が、確実に空き始めている。

「く、ぅ………!」

 ヴァンに弾かれ、飛び退った女が息をついた瞬間、ヴァンは初めてこちらから踏みこんだ。

「………ふん!」

「………ぅあッ!」

 獲物を弾き飛ばされて、女は押さえた悲鳴を上げた。痺れた腕を庇う、その一瞬の隙を逃さず、ヴァンは女の両手を捕らえて壁へと抑え込む。

「………くっ! 放せ!!」

 ギリギリと両手を後ろ手に捻られ、大柄な男に力づくで壁に押し付けられた女は、苦悶に顔を歪めて身じろいだ。容赦ない拘束は相当に痛むだろうに、女の眼光は緩むことはない。

「………女。誰の差し金だ?」

 ヴァンは女の動きを油断なく追いながら、そう問いかけた。自身に刺客を送りそうな心当たりを、一頻り挙げてみる。もちろん女が口を割るとは思っていなかったが、もしかしたら何かしらの反応を見せるかと思ったのだ。

「誰の、だと?」

 しかし女は、爛々と輝くアイスブルーの瞳でヴァンをねめつけた。

 そこに宿る感情に気づき、ヴァンは自身の勘違いを悟る。

 ―――そう、それは憎しみだった。ヴァン自身、覚えのある感情。

「弟を………あの子を殺しておいて、よくも!」

 女の血を吐くような叫びに、ヴァンはしかし首を傾げた。

「………弟?」

 何を、誰のことを言われているのかわからない―――明らかにヴァンの態度はそう語っていた。

 実際、目の前の女の言う弟など、とんと記憶にない。それは誰も殺したことがないからではなく、一々顔や素性を確かめることもなく屠ってきた敵も多いからだ。兜でも身に纏っていれば、尚更個人の識別は困難である。

 けれどそんなヴァンの反応が女には許しがたいことだったらしく、彼女は憤怒を浮かべて顔を歪めた。

「お前が! そう仕組んだんだろう!! 預言に詠まれているからと………全滅するとわかっていて!!」

「全滅………? そうか、特務師団の………」

 言われてまじまじと女の顔を見なおしたヴァンは、記憶の中から一つの顔を思い出した。

 確か、預言に詠まれていたがために、特務師団に配属になった年若い騎士団員。淡い金髪と薄青い瞳は、目の前の女のそれとよく似ている。

 名前は何というのだったか―――さして関心のなかった相手だけに、それを掘りだすのにも一苦労なほどだったが。

「どうしてあの子が死ななければならなかった!? あの子が何をした! 預言だからと………全滅するとわかっていて!! どうして、あんな無意味な遠征をする必要があった!!」

 女の血を吐くような叫びに、ヴァンはわずかに眼を見開いた。

 自分に対する深い憎しみ―――けれど、今、彼女が口にしたのは。

(………面白い)

 薄く唇を吊り上げたヴァンは、慎重に女の様子を観察しながら、口を開く。

「………仕方があるまい。それが預言だったのだ」

 ローレライ教団の詠師としては模範的な解答だ。多くの教団員も、頷くであろう言葉。

「ふざけるな! 預言など知ったことか!」

 それを、女は間髪いれずに否定する。

「………預言を、否定するか」

 内心を押し隠し、低く問いかければ、女はそれが何だと叫ぶ。

 大切な物を奪われた怒り、憎しみ。

 自分へと向けられるそれを、預言に向けることができれば、あるいは―――。

 ヴァンはくつりと喉の奥で笑った。

 笑って、そして言葉を紡ぐ。

「ならば、私と共に来い」

「………何?」

 あまりに予想外の言葉に、女は一瞬目を見開いた。そして次の瞬間、凄まじい怒りを浮かべてヴァンを睨みつける。

「ふざけるな! 誰が貴様などと………!!」

「預言が憎くはないのか」

 女の耳元で、ヴァンが囁く。

「この星はユリアの預言(スコア)の支配下にある。………さながら呪いのようにな。幾重にも張り巡らされた糸によって、例え我々が抗ったところで、定められた結末へと導かれてゆくのだ」

「なに、が………言いたい、」

 押さえつけられたまま、女は呻くように呟く。

 女にとってヴァンは仇で、憎むべき相手で―――それでも、強い口調で語られる言葉に、声に、我知らず気圧されていく。

「2000年―――覆されることなく、預言はこの星を支配している。疑問を覚えた者も、抗った者も、おそらく無数に存在したはずだ。それにも関わらず、預言は外れない。………なぜだと思う?」

「………」

「一つが外れれば別の一つが、それが外れればさらに別の一つが―――抗ったつもりが、所詮は預言に踊らされているからだ。全ては、ユリアの預言の下に」

 壁に抑え込まれ、耳元で注ぎこまれる言葉に、女は視線を彷徨わせる。

 きつく捻りあげられ、血流が阻害されてガンガンと痛み、眩みだした頭に、まるで毒のように吹き込まれる言葉。力に溢れ、自信に満ちたその声に、容易く紡げるはずの反論が出てこない。

「世界には、劇薬が必要なのだ。預言を覆すには。………そして、そのための手段を、私は持っている」

「………」

「私と共に来るがいい。お前の弟を死に追いやった預言を、覆したいのなら」

「預言………? なにを、お、弟、は………」

 お前が殺したのではないかと、そう必死に自分に言い聞かせる女に、先ほどまでの鋭さがない。

「だが、預言がなければ死ななかった。違うか?」

「だ、だが………」

 腕が痺れ、血が巡らずに、頭の中が朦朧として―――ここのところ、思い詰めてまともに眠れていないのも悪かったのだろう。耳元で繰り返し囁かれる言葉に、段々と女の思考があやふやになっていく。

 弟が、仇が、預言が―――ぐるぐると迷走する様子を見て取って、ヴァンはあと一押しだとほくそ笑んだ。

私室にでも連れ込んで、外の世界から隔離して、そして――――。

 そのための算段を始めた矢先、廊下の向こうで派手な物音がした。

 ヴァンが、そして女がはっとして視線を向ける。

「もっ申し訳ありません!」

 廊下の先に立っていたのは、まだ若いだろう神託の盾(オラクル)兵だった。彼は逢引の現場に居合わせたとでも思ったのか、真っ赤な顔で立ち尽くしている。足元に散乱している何本もの槍が、先ほどけたたましい音を立てた原因だろう。

「………ッ!」

 その物音、そして第三者の介入で我に返った女は、ヴァンの拘束が緩んだ隙に弾かれたように逃げ出した。それを舌打ちして見送ったヴァンは、立ちつくす騎士団員にその場の片づけを命じて、踵を返す。

 女の顔は覚えたし、弟が特務師団員という情報もある。装束からして女自身も騎士団員のようだから、身元はすぐに割れるだろう。だからそれ以上後を追うこともなく、彼は私室へと戻っていった。

 

 

 

 ヴァンの手を逃れた女―――ジゼルは、本部内に与えられた自室へ駆けこむと、ずるずると扉に背を預けて経たり込んだ。

「私は………私は、何を………!」

 自分が憎んでいたのはヴァンで、預言に詠まれたからと弟たちを死地に追いやった男で―――確かに預言がなければ起こらなかったことだけれど、けれど預言に抗わなかったからこそ起こったことで。

 ヴァンを憎んで、殺そうとして―――なのに、いいように丸めこまれかけた自分がいる。

 耳元で聞こえる声に引き込まれ、仇にいいように転がされて―――あまりにも無様な己に、吐き気すら覚えるほどだ。

「マルセル………隊長………!」

 顔を覆って項垂れたジゼルは、愛する弟、慕った人の名前を呼ぶ。

 あんな―――仇の言葉に揺るがされた己を恥じ、憎しみを奮い立たせるために。

 歯を食いしばり、呻き声とも啜り泣きともつかない声を漏らしていたジゼルは、しかし頭上で響いた小さな音に、弾かれたように扉から距離を取る。

「………手紙………?」

 扉の隙間から見えたのは、白い紙きれだった。用心深く気配を探るものの、扉の向こうには既に何の気配もない。今の一瞬で立ち去ったのか、あるいは自分に気取られないほどに、気配を消しているだけなのか。

 全身で警戒しつつ、ジゼルはその紙切れに手を伸ばした。するりと隙間から抜き取った四つ折りの紙には、何ら仕掛けなどが施された様子はない。

 恐る恐る開き、目を走らせて―――ジゼルはひゅっと息を呑む。

 

 ―――失くした者を取り戻したくば、第八譜石までこられたし

 

 書いてあったのはそれだけだった。差出人も何もない。

 だが、その筆跡にジゼルは見覚えがあった。

 かつての上官―――メジオラ高原で、命を落としたはずの人物。

「………ジェレミア隊長………?」

 手紙を握りしめた手が震える。

 罠かもしれないとか、悪戯かもしれないとか―――思い至らなかったわけではない。

 けれど気がついた時には、くしゃりと手紙を握りしめ、ジゼルは駆けだしていた。

 

 

 

「お待ちしておりました」

 辿り着いた第八譜石の所にいたのは、先ほど―――ヴァン・グランツに捕えられた際に通りかかった、騎士団員だった。彼はジゼルの姿を見ると、恭しく腰を折る。その振舞いは、騎士団員―――それも経験の浅い新兵のものではない。

「お前は………? お前が、これを置いていったのか?」

 慎重に相手の行動を図りながら、ジゼルが問う。

「はい。それをしたためた方より、お預かりいたしました」

「………」

 返答に、ジゼルはこくりと唾を呑んだ。緊張で乾く口内を湿らせて、恐る恐る口を開く。

「したためた、方とは………」

「我が主がメジオラ高原にてお助けした方々です。送り主については、貴方もよくご存じかと」

「………! 生きて、いるのか? ジェレミア………隊長は、」

 ようよう絞り出した言葉に、彼は頷いた。そして、おもむろに付け加える。

「他、救助が間にあった10名程もの方々も保護しております。―――マルセル・オスローと仰る方も」

「………ッ!」

 付け加えられた名前に、ジゼルは目を見開いた。目の前の相手への警戒すらも吹き飛んで、その手に縋りつくように身を乗り出す。

「弟は………マルセルは生きているの!?」

 全滅したと聞かされた特務師団―――亡くしたと思った弟。

 その生存の可能性を前に、ジゼルは興奮を禁じ得ない。自然とその口調は、騎士団員―――戦士としてでなく、ジゼル・オスローという一人の女性のものになっていく。

「一命は取り留めました」

 含みのある言いまわしだった。つまりは、五体満足でない可能性が高い。

 それでも生きていてくれた、それだけでもジゼルには嬉しくて、かくんと糸が切れたように崩れ落ちる。

「………っふ、う………っ」

 顔を覆って嗚咽を漏らすジゼルを見下ろして、騎士団員は困ったように首を傾げた。年若いとはいえ成年男性のはずだが、そうした子供染みた―――あるいは女性的な仕草が、妙に板についている。もちろん、今のジゼルにはそんなことに気づく余裕はなかったが。

「それで、如何なさいますか? お望みでしたら、ご案内するよう申しつかっておりますが」

「………ッ、行くわ!」

 ジゼルは間髪入れずに声を上げた。泣き濡れて真っ赤になった顔を隠そうともせずに、亡くした者へと繋がる希望に縋りつく。

「承知いたしました。―――では、失礼いたします」

 頷いた声の主が、無造作にジゼルの首筋へと手を伸ばした。

「………ッ!?」

 ちくりと、小さな痛みが首筋に走る。

「何、を………」

 したと、最後まで言葉を紡ぐことすらできず、ジゼルは意識を失った。




Darkest before the dawn

冷たい棘・2


 

※※※



大分間が空きましたが閑話2-2。髭を襲撃したジゼルさんの巻。
………正直苦戦しましたよ。自分を憎んで殺しに来た人間を心酔させるって何すればそうなるのかと。ぶっちゃけ、薬だの監禁して洗脳だの、まあ男女でしかもリグレットが髭に惚れてるあたり、まあ年齢制限な調教説得でもしたんだとしか思えないわけですが。
なので途中で邪魔が入ったのでそんな事態にはなってません。もちろんいいところで邪魔した騎士団員は天然メイド忍者な咲世子さんです。
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