譜石の元に呼び出され、騎士団員の誘いに乗って―――意識を失わされたジゼルは、目を覚ました時にはどことも知れぬ場所へと連れてこられていた。

 おそらく現在地を知らせないためなのだろう。目を覚ましてからこちら、未だ外の景色を目にすることができていない彼女は、ここがどこなのかが全くわからない。眠らされた際に薬か何かを用いられたらしく、時間の感覚もふっつりと途絶えていた。

 そんな状態でも気丈に振舞っていたジゼルは、引き合わされた弟を前に泣き崩れた。

 弟・マルセルは魔物との交戦中に頭を強く打ったらしく、一命は取り留めたものの、左手と両の足に麻痺が残ったのだそうだ。この集落―――ここがどこで、どういう素性の者たちが集まっているのか、彼女はまだ明かされていない―――の医療設備でリハビリを行なってはいるものの、以前通りに動けるようになる可能性は低いと言われた。特に、左手の方は少しずつでも回復の兆候が見られるが、足の方はほとんど動かないらしい。移動には車椅子が必須だった。

 生きていてくれたことを喜び、失ってしまった身体の自由を嘆き―――弟の身体を抱きしめて、ジゼルは子供のように泣いた。弟も気を張っていたらしく、一緒になって泣いて泣いて。

以前に比べて疲れやすくなったマルセルの身体は休息を求めており、ジゼルは弟が寝付くのを見届けたところで、案内の女性に呼ばれて部屋を出た。もう一人の―――彼女の『会いたい人』が待っていると言われたのだ。

 案内されてやってきたのは、飾り気のない部屋だった。寝台が一つと、書き物机と壁に作り付けられた本棚。どことなく、神託の盾本部の部屋―――軍人が寝起きする宿舎と似通った印象を受けるのは、棚に無造作に置かれた武器の手入れに使う品々のせいだろうか。

その壁を背景に立っていたのは、今も彼女が慕う、かつての上官だった。

「ジェレミア隊長………」

「………久しぶりだな、オスロー奏長」

 部隊とともに全滅したと聞かされていた彼―――ジェレミアは、しかし彼女の知る頃とは随分と様変わりしていた。最後に会ってから数ヶ月しか経っていないというのに、だ。

「隊長………そのお怪我は、」

 現れたジェレミアは、片目を眼帯で覆っていた。不自然に肘から下が揺れる袖は、おそらく片腕を失っているのだろう。

「うむ。魔物を相手にな。………それでも、命があるだけマシなのだ。生き残ったのは両手に足りるほどしかおらん」

 苦々しい呟きに、ジゼルは彼女を導いた騎士団員の言葉を思い出す。10名ほどを保護したといった―――50名近くいたはずの特務師団の、わずか5分の1だ。

「………隊長。一体何があったのですか? いくら魔物が手強くとも、全滅などと………それに、こうして教団から身を隠すとは、やはり預言が………?」

「そうなるな。我々特務師団には全滅の預言が詠まれていたようだ。そのためにメジオラ高原に送り込まれ、そして………多くの団員が殺された」

「殺され、た?」

 ジェレミアの口ぶりは、ジゼルが思っていたような見殺しにされた、というのとは違うニュアンスを持っていた。死地に追いやられただけではなく、そう、もっと積極的に、危害を加えられたように聞こえる。

「………案内役として付けられた情報部の者が、師団員の裏切りを誘導したのだ。おそらく………死の預言を仄めかしたのだろう。我々は崖下へと落とされて、―――入り口に残してきた半数も、何者かに殺害されていたそうだ」

「そんな………」

 何者か、と断定を避けてこそいるが、それが教団の意向なのはわかりきったことだった。預言通りに特務師団を全滅させるべく、確実に手を打ったのだろう。

「………オスロー奏長。預言によって、あるいは預言を鵜呑みにした者たちによって虐げられたのは、我らだけではない。………ここは、そうした者たちが集う場所なのだ」

「それは………そう、ここは一体どこなのですか? シェリダン………ではないのですか?」

 ジェレミアたちを助け、匿っているというのなら、メジオラ高原に最も近いシェリダンというのが順当なところだ。けれど、シェリダンの住民は確かに預言をあまり重視しない気風の持ち主が多いけれど、それをしてシェリダンそのものを『預言に虐げられた者の集まる場所』と言い切るのは無理がある。

「………それを知ってしまえば、後戻りはできなくなるぞ」

「………」

 ジゼルの問いに、ジェレミアは潜めた声音で逆に問い返した。

「今ならまだ、ここのことは忘れ、教団に戻ることもできる。私も、オスロー響長も教団に全滅を―――死を詠まれた身だ。公の場に出ることは適わんが、お前はまだ引き返せる」

 何もかも忘れて、彼らが生きていることも忘れたふりをして。

 そう告げるジェレミアに、ジゼルはぶんぶんと首を振る。

 ほんの短い間でも、ジゼルの心はボロボロになった。早くに親を亡くして支えあって生きてきた弟を、思慕と敬愛を向けるかつての上官を―――大切な人たちを失くして、ただ無為に日々を過ごすだけの、人形のような生。教団に戻った彼女を待ち受けているのは、そんな生活だ。

 そうして必死に訴える気持ちが通じたのだろうか―――わずかにためらった後、ジェレミアは重々しく口を開く。

「我々は………あの方は、預言に支配されない国を創ると仰った。キムラスカでも、マルクトでもない国を創ると」

 ジェレミアの言葉に、ジゼルはひゅっと息を呑んだ。余りにも壮大な―――壮大過ぎる、夢物語だった。

「隊長は………信じておられるのですか。それが、可能だと?」

 だから、震える声音でジゼルは問う。

 何を馬鹿なことを、と一蹴するのは容易いことだ。もう何百年もの間、オールドラントにはキムラスカとマルクトという2つの国しか存在しなかった。宗教自治区であるダアトや、自治都市ケセドニアも存在するが、それらは厳密には国ではない。国家を建国する、あるいは滅亡させるというのは、オールドラントの人々にとっては物語の中の話に等しいのである。

 けれどジェレミアは、主がそれを成し遂げる未来を疑わない。戦うことすらできなくなった自分でも、主のために尽くす術があることが誇らしい。

「無論だ。あの方の元に、私の道はある」

 ジェレミアの声音には、強い力があった。同じ『夢物語』でも、ほんの数時間―――あるいは数日前に、熱に浮かされるように囁いたあの男とは大違いだと、ジゼルは頭のどこかで思う。

「隊長………」

 我知らず、ジゼルの唇が言葉を紡ぐ。

「そこは、貴方が………マルセルが、生きられる国ですか。隠れ住むこともなく、日の当たる場所で、生きていける国ですか………?」

 教団に、預言に―――この世界の『法』に生を否定された彼らが。隠れ、素性を偽らずとも、生きていける国なのかと。

 愛する者の未来を思って問いかける声音は、不安と一筋の希望とで彩られていた。

 

 

 

 

 

 任務の帰りにバチカルに足を伸ばし、ようやくダアトに戻ってきたヴァンは、ダアト港からダアトへの移動中に襲撃を受けた。

 鬱蒼と茂る木立の間から礫のように襲ってくる音素の弾丸に、彼は内心で舌を巻く。譜術かとも思ったが、それにしては詠唱しているような間がないのだ。間断なく飛来する弾丸を避けるのに手一杯で、反撃に転じる余裕が無い。

 ここは多少の被害を承知のうえで攻撃に転じるしかあるまいと、ヴァンはそう判断した。直線的な弾丸は襲撃者の居場所を容易に示しており、居場所を探る手間はない。

 しかしその矢先―――何者かの襲撃は、始まった時と同様唐突にピタリと止んだ。

「む………?」

 不審も露わに見守る中、木立の中から一人の女が現れる。

「お前は………」

 その女に、ヴァンは見覚えがあった。

 淡い金髪を結い上げた、まだ若い女。―――1年近く前に、ダアトの本部で自分を襲撃してきた女だ。あの後、騎士団員を調べて身元を特定したまでは良かったが、当の本人はダアトを出奔して行方が知れなくなっていた。多少惜しいとは思ったものの、血眼になって追うほどのこともなく、放置していたのだが―――。

 今、目の前にいる女は、1年前よりも格段に腕を上げていた。

女―――ジゼル・オスロー奏長は元々は譜術士で、しかし術士としての力量は並程度だったと資料にはあった。護身として始めたナイフ格闘の腕はかなりのものだそうだが、実戦ではナイフ格闘はリーチの短さもあってあまり効果的ではない。対魔物戦が主となる神託の盾騎士団では、使いどころが難しいというのが正直なところだった。情報部などの諜報部門へ移れば、その高い能力を活かすこともできただろう。

 しかしたった1年で、彼女は見違えるほどに力をつけていた。

おそらくは、両手に握った譜業の武器がその理由だろう。足りない火力とリーチを補う武器を手に入れ、彼女は高い状況判断力を活かす戦い方を身につけたのだ。

そうしてヴァンがジゼルを観察する間、彼女もまたヴァンを値踏みするような視線を向けていた。

「………ふん。口程にないな、ヴァン・グランツ」

 ジゼルは、防戦一方だったヴァンに冷たく声を掛ける。

「何?」

「預言を覆すなど、大口を叩いておいて………この程度か。これでは悲願を果たさずして野垂れ死にしかねん」

 辛辣な言葉に、ヴァンは顔を顰めた。様子見のために防戦一方だったあれだけを見て、自分の実力を全て知ったように言われるのは癪に障る。

 しかし同時に、ジゼルが口にした言葉―――自分がかつて彼女に告げた言葉に、ヴァンはギラリと瞳を輝かせた。『預言』という言葉に向けられた憎々しげな響きに、唇を吊り上げる。

 あの時以上に研ぎ澄まされた力―――凍てついた氷のような、鋭い刃の女。

「―――ヴァン・グランツ。貴様の意志は、今も変わりはないか」

「何だと?」

「預言を覆すといった、その言葉に変わりはないかと聞いたのだ」

 ジゼルの問いに、ヴァンは鷹揚に頷いてみせた。この女は同志足りうる存在なのだと、彼は確信する。

「無論だ」

 預言のくだらなさ、預言の無意味さ、それに従うことの愚かしさ―――滔々と語ろうとしたヴァンの口上を、しかし女は煩わしげに遮った。

「ご高説は結構だ。結果さえ出してくれればな」

「………ふん」

 ヴァンは気分を害した様子で彼女を睨んだが、彼女はそれに怯んだ様子もなく、アイスブルーの目を眇める。

「………私はお前を憎んでいる。弟を見殺しにしたのだからな」

「それは…………」

 預言が、と口に仕掛けたのを、ジゼルはギラリとねめつけ黙らせる。

「………だが、それ以上に預言が憎い。だから、お前が預言を覆すというのなら、私もそれに力を貸そう」

 慕い、慕われる協力関係ではない。憎しみと打算で繋がった、歪なそれ。

 そう告げるジゼルに、ヴァンは面白いと笑う。

「いいだろう。お前が、預言を憎むというのなら―――例え私を憎んでいようとも、お前は私の同志たりえる」

 ユリアの預言に縛られたオールドラントを救うために。

 預言を覆すために。

 共に来るがいいと、そう告げるヴァンに、ジゼルは無言で一歩を踏み出した。

 それを答えと受け取ったヴァンが、彼女の名を問いかける。

「女。―――ジゼル・オスローと呼べばいいのか?」

 事実上の脱走兵であるジゼルだが、総長となったヴァンに掛かれば、その程度の隠蔽工作は可能だった。だからその名を使うのかと問いかければ、ジゼルは不快げに眉宇を顰める。あの襲撃の後、身元を調べられることは想定内だったが、だからと言って気分のいいものではない。

「その名は、弟の下に置いてきた。………私はリグレットだ。そう呼べ」

『ジゼル・オスロー』は死んだのだと、おそらくヴァンはそう受け取っただろう。彼はジゼルの弟が、預言通りに死んだと信じて疑わないのだから。

 だから、今も彼女の心は愛するものと共にあるのだと―――そのためにこそ、『ここ』に在るのだと。

 自らの大望に酔いしれるまま、ヴァンは同志の誕生を確信する。

 ―――それが、身の内に食い込んだ冷たい棘だと気付かないまま。

 冷たい氷に覆われた、赤よりなお強い、蒼炎の刃と知らぬままに。

 彼は、氷の棘を抱え込んだ。




Darkest before the dawn

冷たい棘・3




※※※



取り合えずリグレット誕生秘話な閑話はこれで終わりです。ジェレミアとジゼルさんの会話はグダグダしちゃうんでごそっと削りました。あの後色々お話ししたんだと思いますええ多分きっと(おい)。


で、ヴァンとリグレットの関係はこんな感じで殺伐としてます。ゲームみたいにリグレットが髭に心酔してったりはしませんよもちろん。任務中とか公的な場とかではきちんと上司と部下として振舞いますが、同志(笑)しかいなくなると途端にギスギスします。毒舌で容赦ないおねーさんです。

あ、そう言うわけなのでリグレットはヴァンの副官ではないですし、ティアの教官にもなりません。ユリアシティの特別指導とか頼もうものなら何の冗談だ髭、みたいに返されると思います。一応このポジションには別のキャラが入るのですが、ティアは性格的な相性が合わず(いや、合う相手がいるかは置いておいて)、ものすごく反発します。で、ひっそりクールでカッコいい、みたいに憧れてたリグレットの振舞いとかをこっそり真似ているという………。てかゲーム中の口だけ軍人っぷりって、きちんと指導されたというよりそっちの方がしっくりくるんですがダメですか(聞くな)。




ちなみに↑でちらっと捏造してますが、リグレットが譜銃を覚えたのは、失踪してからのことです。ヴァンの下にスパイに行くことにして、でも今のままだと幹部に食い込むには決め手に欠ける、ということで譜銃を訓練したわけです。
ゲーム中で、モブ兵とかでリグレット以外の銃使いと戦った記憶がないので、一般的じゃないのかなーという気がするんですよね。なのでシェリダンが発掘した遺物を、ロイドとかがマイナーチェンジしたような感じです。実はルルーシュ陣営ギアス組は護身用に一丁常備してたり。
inserted by FC2 system