メジオラ高原に派遣された特務師団・全52名が消息を絶つ―――齎された報告に、神託の盾騎士団は騒然となった。他の地域に派遣された討伐部隊の多くはさしたる損傷もないまま、続々と帰投しているのだから尚更である。

 軍人である以上任務中の負傷や死は珍しくないとはいえ、部隊の壊滅となればさすがに他の団員たちも動揺を禁じ得ない。ましてその死者の中に旧知の人物がいる者たちは、思いがけない悲報に項垂れる。

 彼女―――ジゼル・オスローもまた、そうした者の一人だった。あるいは残された者の中で、最も深い悲しみに暮れていたのは彼女だったかもしれない。消息を絶った特務師団には彼女の最愛の弟、たった一人の家族がおり、その師団を纏めていた特務師団長は彼女にとって縁深い―――淡い思慕を向ける相手であった。それを一度に失って、何を支えに生きていけばいいのかわからないほどだ。

 だというのに、軍人として叩きこまれた性質故に、彼女は機械的に起床し、食事を取り、訓練に出る。それが精彩を欠いた動きであろうと、口数が減り能面のように動かない無表情になっていようとも変わりはなかった。あるいは、彼女は『歯車』に徹することで、崩れ落ちそうな自らを繋ぎ止めていたのかもしれない。

 


 その日―――知らせが齎されてからおよそ1ヶ月後。

 いつものように1日の訓練を終え、ジゼルは自室へ戻るべく回廊を歩いていた。同僚たちが沈み込んだ様子の彼女を気遣い声を掛けてきたが、それに応える余裕は今の彼女にはない。食事の誘いにも首を振り、人気を避けて回り道をして―――いつの間にか、滅多に人の通らない裏庭まで足を伸ばしてしまっていた。騎士団本部の外れも外れ、裏庭を挟んだ反対側は教会の一部である。ここから自室に戻るのはいくらなんでも遠回りだが、人の気配すらも煩わしく感じられる彼女が、無意識に静寂を求めてさまよい歩いた結果だったのかもしれない。

 どうせ明日は非番だと、しばらく時間を潰していくのもいいかもしれない―――そんなことを考えたジゼルだったが、その彼女の耳に、抑えたような話し声が届く。

「………よろしかったのですか? 師団一つ壊滅したとなれば、さすがに何らかの処分をせねば内外へ示しがつかないでしょうに………」

(………ッ!)

 聞こえてきた言葉、その内容に、ジゼルはひゅっと息を呑んだ。声の主が言う壊滅した師団とは、すなわち特務師団のことである。彼女にとってそれは癒えぬ傷跡を抉るような、痛みを感じずにはいられない言葉だ。

 思わず口元を押さえて悲鳴、あるいは呻き声を堪えたジゼルだったが―――続いて聞こえてきた言葉に、彼女はさらなる絶望へと叩き落されることになる。

「仕方あるまい。アレ(・・)は預言に詠まれておったのじゃ。グランツは預言の導きに従ったまでのこと。それを罰するわけにはゆくまい?」

(預言に………詠まれて、いた?)

 飛び込んできた言葉に、ジゼルは言葉を失った。

 彼らは何を言っているのかと―――こめかみの当たりで脈打つ血管が、ガンガンと割れ鐘のように耳障りな音を立てる中、彼女は必死で耳で拾った言葉を追う。

 師団が一つが壊滅したのだと、なぜその責をヴァン・グランツに、主席総長に負わせないのかと―――そう問う声に、預言に詠まれていたからだと言った。ヴァン・グランツはそれに従ったのだ、とも。

(知って………いたと、いうの? 特務師団が壊滅すると………生きて帰れないと知っていて、彼らを送り出したというの………!?)

 怒りのあまり、ジゼルは目の前が真っ赤に染まったような錯覚を覚える。指先は氷のように冷たく、それどころか足の爪先すらも感覚がない。倒れこむこともなく立っていられることが奇跡のようだった。いや、そもそも自分が二本の足で立っているのかすらも今の彼女にはわからない。

 一方声の主たちは、物陰で怒りと衝撃に震えるジゼルの存在に気づいた様子もなく、なおも会話を続けている。

「そもそも、特務師団なぞ最初から厄介者どもの掃き溜めではないか。死んだところで痛くも痒くもない―――むしろ万々歳というものだて」

「は、………」

「とは言え、そなたの懸念もわからぬでもない。………そうじゃな、罰則として神託の盾の予算の削減などはどうじゃ? 日頃からいささか目障りであったからの」

 二人のうち、目上と思しき男の声が、愉悦を滲ませてくつくつと震える。彼女にもう少し冷静さがあれば、声の主が詠師の一人だと気がつけたかもしれない。

「それはようございますな。あのグランツの小僧めは、最年少の主席総長などと持て囃されて少々増長がすぎるようです。ここらで鼻っ柱を叩き折っておくのもよろしいかと」

「何事も最初が肝心と言うからの」

 くつくつとひとしきり愉快そうに笑ってから、彼らの声は遠ざかっていく。おそらく教会の方に戻っていったのだろう。

 その嗤いの余韻すらも消え失せた裏庭に、掠れた呟きが落ちる。

「………どうして?」

 どうして弟が死ななければならなかった?

 預言に詠まれていたからと、全滅するとわかりきった遠征になど行かされなければならなかった?

「どうして………どうして!」

 まだたった17歳の弟だった。士官学校を出たばかりで、理想に燃えて―――たった一人の家族だったのに!

「………マルセル………ッ!」

 弟の名を呼び、慕うかつての上官を呼び―――ジゼルはひたすらに泣き続けた。立っていることもできなくなって、へたり込んだ地面にうつ伏せ爪を立てて。

 涙を零すほどに、愛する者たちの名を呼ぶほどに、彼らを失ってから空っぽになっていた胸の内にドロリとした物が満ちていく。かつて暖かな愛情と思慕で満ちていた場所が、悲しみが覆い隠していた痛みが、真っ黒な感情で塗り替えられていく。

 ――― 一体、どれほど時間が過ぎただろうか。泣きすぎてカラカラに掠れた声が、ぽつりと一つの名を紡ぐ。

「――――ヴァン・グランツ………」

 預言だからと弟たちを見殺しにした男。

 それどころか、積極的に死地に送りさえしたかもしれない男。

 ―――彼女の、憎むべき仇。

 爪の奥まで泥の詰まった指先が、きつく拳を握りしめる。その拳を支えに緩慢に起き上がったジゼルの顔は、土と涙で汚れていた。怜悧に整った美貌を憎しみで歪め、彼女はうわ言のように呟く。

「許さない………絶対に」

 殺してやる―――。

 冬の湖面の如く凍りついた瞳を冷たい憎悪に滾らせて、ジゼルはゆらりと立ち上がった。




Darkest before the dawn

冷たい棘・1


 

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ジェレミア加入話関連の閑話です。リグレット誕生秘話。当初前後編くらいで考えてたんですが、どうにも次の場面と繋ぎにくくなっちゃったんで、短いですけどここで切ります。多分3話で終わるはず。
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