「―――」

 ジェレミアが目を覚ましたのは、柔らかな寝台の上だった。スプリングは固くお世辞にも上質の物とは言いがたかったが、野宿に慣れた軍人の身には十分な物だろう。

「ここ、は………?」

 ぼんやりと呟いたジェレミアだが、絞り出した声は随分と掠れていた。反射的に唇を舐めて湿らそうとするが、口腔内にも唾液がほとんどなく、舌の付け根がピリリと痛むだけに終わる。

 緩慢に視線を巡らせた彼は、寝台の横のチェストに水差しが置いてあるのに気がついた。蓋代わりにコップが被せてあるのだから、飲み水と見て間違い無いだろう。

 乾いた喉を潤すべく、上体を起こして手を伸ばそうとしたジェレミアは、しかしカクンとバランスを崩して寝台に倒れこんだ。

「な………っ?」

 身体を支えるために寝台についた手―――厳密にはつこうとした左手が、動かなかったのだ。それだけでなく、先程から視界がおかしい。妙に狭いのだ。

一体自分の身に何が起こったのかと訝るジェレミアだったが、彼がそれ以上行動に移すよりも早く、隣室に続く扉から現れた人影があった。おそらく物音に気がついたのだろう。

「………ああ、目を覚ましたみたいだね。あんた、ずっと意識が戻らなかったんだ。あんまりいきなり無茶するんじゃないよ」

 現れたのは、桃色の髪をした妙齢の女性だった。半ば上体を起こした不自然なジェレミアの体勢を見、起き上がろうとして失敗したのだと悟った彼女は、苦笑交じりに声を掛ける。彼女は再びジェレミアを寝台に横たえる手伝いをしながら、ジェレミアが取ろうとした水差しの水をコップに注ぎ、その右手へと握らせてくれた。

「私はノワールってんだ。第七譜術士でね、あんたの治療をした者だよ」

「そう、か。………かたじけない。ご厚意に感謝する」

 ジェレミアの堅苦しい礼の言葉にノワールは苦笑して、肩を竦めた。怪我人を前に放っておくほど情がないわけではないし、そもそも彼女に彼の治療を要請したのは彼女たち一味の指導者である。くれぐれも頼むと言い置いて席を外した様子から、よほど大事な人間なのだと思われた。

 と、その時のやり取りを思い出したノワールは、ジェレミアから空になったコップを受け取りながら問いかけた。目が覚めたら呼んでくれるように言われているのである。

「それで、気分の方はどうだい? もし問題ないようだったら、あんたに会いたがってる人がいるんだけどね」

「会いたい………私、に?」

 長い眠りのためか、ジェレミアはまだ意識のどこかが霞がかった心持ちでぼんやりと呟いた。

「そう。あんたをここに連れてきた奴なんだけどね、ルルーシュって言って………」

「ルルーシュ………ルルーシュ様!?」

 その名前一つで、ジェレミアの意識を覆っていた霞が瞬く間に晴れていった。

意識を失う前、暗く霞んだ視界に写った姿―――唯一無二と決めた、彼の主君。

「ルルーシュ様がいらっしゃるのか!? ここに!?」

 あれは死の間際、夢想の中で見た幻ではなかったのか。

 失った、守りきれなかった主が、ここにいるのかと。

 眠りの淵で取り戻したかつての記憶、そしてオールドランドでの記憶がぐちゃぐちゃに入り混じり―――ただ今の彼にとって大切なのはたった一つ、ただ一人のことだけだ。

「ルルーシュ様はどこだ!? あの方はご無事なのか!!」

 身を乗り出し、掴みかかるように言い募るジェレミアに、ノワールは慌てて声を上げる。

「ちょっ………、ちょっとあんた、落ち着きなって! あいつはちゃんとここにいるよ、今会わせてやるから!!」

 がっしりと掴まれた腕をようよう取り戻し、ノワールは寝台から距離をとった。大分取り乱しているようだし、さっさとルルーシュを呼んでこようと、扉の取手に手を掛ける。

「ちょっと待ってな、今呼んでくるから………」

「その必要はない」

 まるで見ていたようなタイミングで割り込んできたのは、当のルルーシュ本人だった。

「ルルーシュ………来てたのかい?」

「ああ、キリがついてな。ちょうど様子を見によったところだ」

 今彼らがいる隠れ家は、メジオラ高原の北側寄りの土地に、創世歴時代の遺構を利用して築いた集落である。いずれは彼らの本拠地とするべく今も整備と拡大が行われているが、何分現時点では秘された場所であり、ギルドや商会の運営に忙しく飛び回るルルーシュがここにいることは殆ど無い。オールドラントはかつての世界のようにインターネットや通信手段が発達していないため、隠れ家にいる状態では外部と連絡が取れず、ルルーシュはろくに動けないのである。必然的に、ルルーシュはケセドニアの事務所とシェリダンを行き来し、商談などのために他の主要都市を行き来していることが多くなる。

 その分、たまに戻ってくるとあちこちから様々な懸案事項が持ち込まれる羽目になる。大抵のことは、現在隠れ家の実務責任者であるバダックや相談役のウィリアムズ老らの判断で捌いているが、大掛かりな話になると彼らでは判断が下せないこともある。今も、ロイドが持ち込んだ発電施設の大幅な改定案について打ち合わせをしてきたところだった。

 その打ち合わせに一区切り付き、ジェレミアの様子を見に寄ったところ、ちょうどノワールがジェレミアを宥めていたのである。

「ま、いいけどさ。………それで、後は任せていいんだね?」

「ああ、予定を狂わせて済まなかったな。助かった」

 当初の予定ではノワールはとっくにダアトに戻っているはずだった。それをジェレミアが意識を取り戻すまではと、予定を変えて留まってもらっていたのである。

 謝罪と感謝を告げて頭を下げるルルーシュに、ノワールは笑って手を振った。パタン、と音を立てて閉じられた扉を見送って、ルルーシュは部屋の中に設えられた寝台へと向き直る。

 その寝台の上で、呆然と目を見開く男―――初対面のはずの旧知の男(・・・・・・・・・・・)。その左半身に刻まれた傷跡を痛ましく思いながら、ルルーシュは口を開く。

「………久しいな、ジェレミア」

「………っ、」

 主の声で紡がれた己の名に、ジェレミアは雷に打たれたように身を震わせた。

「ルル、シュ、様………」

 敬愛していた―――後にその死の真相も真意も知ったが―――女性の遺児、あの時悲劇を止められなかったがために、不遇の身へと落とされた皇子。

 その身を、その意志を何にも代えて守ると誓っていながら、またも守りきれずに失った主。不甲斐ない我が身への怒りと、再び相見えたことへの歓喜が、止めどなく湧き上がる。

「ルルーシュ様………申し訳、ございません。御身をお守りすることもできず、私は………ッ!」

 歯を食いしばって呻くように呟くジェレミアに、ルルーシュは首を振る。

「………お前のせいではない。あれは不確定要素を廃しきれなかった俺の失策だ」

 かつての世界、シュナイゼルとの決戦の時、ルルーシュが打ち込んだアンチフレイヤ・エリミネーターは間に合わなかった。紅蓮の妨害によって、打ち込み終わったそれをスザクが受け取るタイミングがずれ、コンマ4秒のうちに届かせることができなかったのだ。ルルーシュがそれを知ったのはこの世界でスザクと再会した後の事だったが、あの戦いを振り返って敗因を挙げるのならば、何としてでも早期にカレンを潰しておかなかったことだ。かつての黒の騎士団にとってのランスロットのように、紅蓮はルルーシュたちにとってイレギュラーとなりうる存在だったというのに。

 だからお前のせいではないと告げるルルーシュに、ジェレミアは頑なに首を振る。

「いいえ! 私が、私が………ッ!」

 今度こそはと刻んだ誓いを、ジェレミアは果たせなかった。だからこそ、その主自身の言葉であっても、やすやすと受けいれ甘んじることはできない。

「ジェレミア………」

 頑なな様子の臣下の名を、ルルーシュは困ったように口にした。寝台までの僅かな距離を、ゆっくりと詰める。

「………ジェレミア。後悔するなとは言わん。―――だが、全ては終わったことだ」

 そう、全ては終わったこと―――もう二度と、取り戻せないことだ。

 自分たちは敗北し、どういう力が働いたのか、全く違う世界に生まれ落ちた。再び『過去』と交わる日が来るのかはわからないし、それを望んで『現在』から目を逸らす真似はしないと、故郷を焼いたあの炎の中で決めた。

「ルルーシュ様………」

 決然とした言葉に何かを感じたのか、ジェレミアが顔を上げる。

その左目のあった場所には、額から頬の中ほどにかけて裂傷が走り、今もきつく閉じられたままだった。未だ混乱の中にいる彼は気づいていないようだったが、ジェレミアはあの魔物との戦いで左の眼球と左手の自由を失っていたのである。グミや低レベルのルルーシュの第七譜術では傷を癒しきることができず、けれど止血のために施された治療によって傷は中途半端に末端から塞がりかけ―――隠れ家に辿り着いた時には、ノワールの譜歌を持ってしても、完全に治癒させることはできなかった。だからといって、それらの応急処置を施さなかった場合、隠れ家に辿り着く前にジェレミアは失血で落命していただろうが。

 かつての世界と違い、医療技術に偏りのあるオールドラントでは、義眼や義手の技術は発達していない。あるいはロイド辺りに依頼しかつてのKMFの人工筋肉等を応用すれば、あるいはフォミクリーのレプリカ技術を流用すれば、何らかの展望は開けるかもしれないが―――それでも、ジェレミアがこれまでと同じように動き、戦えるようになる可能性は決して高くはないだろう。

 それでも、力でなく、手駒などでなく―――その意志こそがルルーシュには必要だった。

 命じられたわけでもなく、誰に強制されたわけでもなく、自分へと向けられる、その忠義。

 そこにある無言の肯定は、否定され続けたルルーシュにとって、確かにある種の救いであったのだから。

「ジェレミア。俺はこの世界で生きる。―――ついてきてくれるか」

 この世界で戦い、抗う。ルルーシュの『生きる』とはそういうことだ。

 今生でもまた、その一助となってくれるかと問いかける声音に、ジェレミアは先ほどまでとは違った涙で目頭を熱くする。

 這いずるように寝台から降り、ジェレミアは主の足元に膝をついた。頭を垂れ、かろうじて動かせる右の手を掲げ、臣下としての礼を取る。

「イエス、ユア・マジェスティ。………この身の果てるまで、ルルーシュ様と共に」

 時を、世界を隔ててさえも朽ちることのなかった鋼の忠義。

 ようやくあるべき場所を取り戻したその背は、酷く誇らしげなものだった。

 

 

 

      ※※※

 

 

 

ND2013年の晩秋―――ヴァン・グランツが主席総長に就任したおよそ半年後、神託の盾(オラクル)騎士団は大規模な魔物討伐を行った。その派遣先はダアトのあるパダミヤ大陸に限らず、マルクト・キムラスカの両国に及び、第2から第5までの4つの師団の半数が、そして特務師団全52名が、オールドラント各地へと派遣されている。

ロニール雪山の麓に派遣された部隊、ザオ砂漠のサンドワーム退治に借り出された部隊―――そして、ラーデシア大陸に広がるメジオラ高原に向かわされた部隊。

 このうち、メジオラ高原へと向かわされたジェレミア奏士率いる特務師団は、未帰還率10割―――全滅という結果となる。他にも全滅は免れたものの、かなりの損害を出し、満足な結果を得られぬままに帰還した師団もあった。しかし大きな戦果を収めて帰還した部隊の話題ばかりが取り上げられ、壊滅、あるいは半壊した部隊のことは不自然なほどに話題に上がらなかった。

 それだけでなく、帰還しなかった部隊についてはなぜか(・・・)ヴァンの責任が追及されることはなく、直属の上官である師団長らの首が飛ぶ始末であった。そして教団の資料や人々の噂話すらも巧妙に操作され、壊滅した師団など『なかったこと』にされていく。当時マルクトとキムラスカが国境で小競り合いを繰り広げていたこともあり、『消息が不明な者』は両国の争いに巻き込まれたことになっていた。

 ―――こうして後に残ったのは、ヴァンを批判しない従順な部隊と、空位となったいくつものポストだった。ヴァンはここに自身の息の掛かった者たちを据え、徐々に騎士団を私物化していってしまう。

 この数年後には、ヴァンは明らかに十代半ばと思しき少年たちを師団長に据え、仮面で顔を隠した者、経歴の定かでない者を次々と取り立てていったが、もはや騎士団内にそれに異を唱えることのできる者は存在しなかった。唯一残っているヴァン陣営でない第六師団長も、ダアトから遠く離れた辺境の地に(必要もないというのに)駐屯軍として追いやられ、ダアト内の人事に干渉するほどの力もない。

 騎士団のみならず教団内部においても、詠師テオドーロと大詠師モースと関わりが深く、さらにキムラスカの有力貴族とも誼を通じ発言力を有するヴァンを軽々に批判することは叶わず―――まさにやりたい放題だった。いっそグランツ騎士団と改名してはどうかと、酒に紛れて皮肉る声すらあったほどだ。

 

 いずれ訪れる『その時』のため、自らの手足となる軍隊を着々と築いていくヴァン・グランツ―――そこに食い込んだ冷たい棘が、いずれ鋭い剣となることを、自らの理想に酔いしれる彼は理解することはなかった。




Darkest before the dawn

鋼の忠義・6




※※※




大分間が空きましたがようやく再会です。この後お互いの近況報告とかするんでしょうが、だらだらと締りがなくなるのでざくっと削りました。
ちなみに文中でも書いてますが、ジェレミアはこの件で片眼と片手が使い物にならなくなるので、今後戦闘要員として出てくることはない予定。義手とか義眼とかはどうしようかなーと思ってますが。どっちにしろ神託の盾で死亡扱いになってるので、下手に外をうろつけないんですよ。なので当分隠れ家で待機組。ジェレミア&特務師団生存組には隠れ家で『軍隊』の編成というか、そういう方向で働いてもらう予定です。ギルドの主要メンバーのうち、軍隊の指揮とか統率とかに向いてるキャラがいないんですよね。スザクとユフィは論外ですが、バダックも(少なくともこの話の流れだと)傭兵としてある程度の人間を動かすことは出来ても、軍隊とは勝手が違うでしょうし。ジョゼットさんあたりは出来るかもしれませんが、彼女今キムラスカ軍に潜入してアディシェスの生存者探ししてる所なので、当分戻ってこれないんですよね………。



取り合えず次の話は今回の話に関連する閑話になる予定です。リグレット誕生秘話的な。今回彼女はこっち陣営ですので。

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