ルルーシュの言葉に、スザクたちは思わず息を呑んだ。 目の前にいるのは質素な木の椅子に腰掛けた、ほんの10歳足らずの子供だった。けれどスザクや咲世子の目には、傲然と世界を見渡すその姿が、白い皇帝衣を纏った青年の姿とダブって見える。 覇気に満ちた主君の姿に咲世子は懐かしげに、あるいは誇らしげに目を細めた。 しかしその傍らで呆然とそれを受け止めていたスザクが、我に返るなり椅子を蹴倒して立ち上がる。 「何を………そんな、君はあちらの世界を見捨てるつもりなのか!? ゼロ・レクイエムはどうするんだ!」 そこに武器があれば切り付けていただろう剣幕で、スザクは叫ぶ。 ホドに孤児として生まれ、咲世子と会って記憶を取り戻し、ユーフェミアとも『再会』して―――日々を生きることに精一杯で、スザク自身、いつしか『かつての世界』は記憶の彼方へと追いやられつつあった。無意識のうちに。 けれどスザクの愛憎の根幹を占める存在との再会で、忘れかけていた焦燥と罪悪感、恐れと不安―――そうしたものが息を吹き返しつつあった。忘れかけていた自分が後ろめたくて、安息を得つつあった自分が赦せなくて、―――それをルルーシュにぶつけようとしたのは、間違いなく八つ当たりだった。あるいは無意識に甘えていたということかもしれない。 「………」 そんなスザクの内心の動きまでを理解したわけではないルルーシュは、スザクの罵倒に無言で目を細めた。 この世界に向き直ること―――それは、かつての世界を切り捨てることだと、ルルーシュにもわかっている。 彼らの死後、シュナイゼルが掌握した世界がどうなっているか―――ルルーシュはシュナイゼルが世界各国にフレイヤを落とす様を見ることなく落命したが、異母兄のやり口は想像がつく。かつての臣下や知己、親族すらもいたであろうペンドラゴンをあっさりと消滅させた異母兄が、その他大勢に温情を掛けるとは思えない。大人しく従えばよし、意に沿わない真似をすれば、あっさりとフレイヤを行使するだろう。恐怖と絶望に世界中が支配された未来が来る。 ルルーシュ自身、それがわかりきっていてあっさりと割り切れたわけではない。どうにかしてかつての世界に戻ることができないのかと、ニーナと二人、手がかりを探して文献を読み漁った時期もある。 だからスザクの言い分はルルーシュにも理解できた。 世界を見捨てるのか―――犯した罪を忘れたのかと。 今も、時折夢に見る。おそらく忘れる日は来ないだろうし、忘れていいことではないとも思っている。 だから、スザクの怒りをルルーシュは甘んじて受け入れようとした。無言で見つめ返す紫の瞳にスザクは一瞬だけ怯んだが、それを振り切るように頭を振る。 「僕たちは、罪を償わなくてはならないんだ………!」 「お黙りなさい!」 凛と響き渡ったのは、スザクの激昂にすら冷や水を浴びせるような強い声音だった。声音の主―――ユーフェミアを、スザクは呆然と振り返る。 「ユ、ユフィ?」 白い頬を紅潮させたユフィは、かつてないほどに怒りを露わにしていた。薄紫の瞳を爛々と輝かせ、かつての騎士を睨み付ける。 「まだそんなことを言っているのですか! なぜルルーシュが彼らを見捨てたことになるの! 彼を裏切ったのはあちらでしょう!?」 「で、でも………」 「でも、ではありません! どうして何もかもがルルーシュのせいになるのですか! 貴方といい、騎士団の者たちといい………! お姉様も、ナナリーまで!」 ルルーシュを諸悪の根源のように罵り、手のひらを返した者たちを思い出して、ユフィはわなわなと震えた。そこには怒りだけでなく、どうしようもない哀しみもある。 そんな彼女を驚いたように見やり、ルルーシュは無意識にその名を呼んだ。 「ユフィ………」 罵られることに慣れすぎて、それを肯定する声に馴染みすぎて、我がことのように憤るユフィがまるで別世界の生き物のようにすら見える。 同じくそれを『当たり前』と受け止めてきたスザクは、鈍器に頭を殴られたような衝撃に目を見開いた。パクパクと口を開閉させて、ようよう反論の糸口を手繰り寄せる。 「だけど………ルルーシュはゼロで、世界を混乱させて………」 それはスザクにとって赦されざる罪悪だった。少なくとも、トウキョウ租界に大穴が穿たれるまで、それは彼にとって間違いなく真実だった。だから反射のように口をついて出た言葉を、しかしユフィは険しい顔で否定する。 「世界を混乱させたと言うのなら、そもそもブリタニア―――お父様方のことでしょう? その上に胡坐をかいていた私も、お父様の騎士になってそれに加担した貴方も、立派に加害者です。ルルーシュの、………少なくともルルーシュだけのせいじゃないわ」 ルルーシュがゼロとなる前、それどころか生まれる前ですら、既に世界は混乱状態にあった。 例えば日本はエリア11と呼ばれるようになったが、つまりはそれ以前に10ものエリアがブリタニアに平らげられ、ブリタニアはそこに平穏に暮らしていた人々に、数字の名を刻んだということである。 それの一体どこに、ルルーシュの責があるというのか。ブリタニア皇族だからと言うのなら、ユーフェミアもナナリーも同罪だ。軍人として、政治家として多かれ少なかれ関与したであろうシュナイゼルやコーネリアの罪など、どれほどの重さだろうか? 「………ねえ、スザク。ルルーシュがゼロとして立ち上がったことが間違っていたと言うのなら、世界はブリタニアに支配されていればよかった? 弱者が虐げられる世界が正しい?」 「そんなはずは………! ………だけど、ゼロは………」 スザクはゼロのやり方が認められないのだと言うのかもしれない。 けれど、ユーフェミアもスザクもナナリーも、ブリタニアを変えられなかった。努力も理想も美しいけれど、結果を出せなければ意味がない。スザクがフレイヤの跡地を前に思い知ったはずの現実を、今のユフィもまた理解している。 「それとも、お父様たちの欲した『嘘のない世界』が来ればよかった? ルルーシュが立ち上がらなければ、きっとそうなっていたわ」 「ユフィ………知って?」 皇女であった頃の彼女が知らないはずの出来事に、思わずルルーシュが声を上げた。 『嘘のない世界』―――Cの世界で決別した父と母が固執した、明日のない未来。 それをユーフェミアも知っているのだろうか? 「ええ、見ていたわ。ずっと、私の死んだ後の世界を」 ルルーシュの手で命を落としたユフィだが、彼女の意識はCの世界をゆらゆらと揺蕩っていた。ギアスもコードも持たない彼女の意識はいずれ集合無意識に溶けてゆく定めだったが、薄れゆく意識の中で、彼女なりに世界を、愛する者たちの行く末を見続けていた。―――自分の死が多くの人の道を誤らせ、多くの悲劇を生み出していく様も。 哀しげに瞼を伏せたユフィは、傍らで呆然としているスザクに向き直った。動揺して小刻みに揺れる緑の瞳を、真っ直ぐに覗き込む。 「ねえ、スザク。私の言葉は、貴方に届いていなかった? 私は貴方に笑っていてほしかった。ルルーシュに、ナナリーに、笑っていてほしかった。………決して、貴方達を引き裂きたかったわけではないのに………」 「ユフィ………僕は、」 何事かを言いかけて、スザクは口篭った。 ユフィがルルーシュたち兄妹を大切に想っていたことを、スザクも確かに知っていた―――それ以上にユフィの悲劇が大きすぎて、ルルーシュへの怒りが大きすぎて、ただ憎しみしか見えなかっただけで。 そんなスザクを見やって、ユフィは深くため息をついた。 「………いえ、違うわね。私はあまりにも浅はかで、いくつも間違えてしまったわ。目の前のことしか見ずに、思いつきで周りを振り回して………。特区だって、きっとあのまま実現していても、きっといつか滅茶苦茶にしてしまったでしょう」 「ユフィは悪くない! だって君は、日本人の事を考えて………!」 スザクの擁護に、ユフィは哀しげに首を振る。 善意でしたことが、必ずしもよい結果に繋がるとは限らない。相手の立場、心情を思いやることを怠ったために、あるいは理解しきれなかったために、結果として悪い結果に繋がることもある。―――ユーフェミアの行為はそれだった。 「それに、ルルーシュだって同じよ。日本人のために立ち上がった。彼らの望みを叶えようとした。………だからこそ、あんなにもたくさんの人に支持されたんだわ」 恭順派のナンバーズ―――名誉ブリタニア人が穏健派のユーフェミアを支持する以上に、多くの日本人がゼロを支持した。それは、ルルーシュが彼らの痛みを知り、望みを理解し、それを成し遂げようとしたからだ。 「………買いかぶりすぎだ、ユフィ。俺は自分のために戦っただけだ」 自身を賞賛するユフィに、ルルーシュは複雑な顔で首を振る。実際、ルルーシュの行動の根底には、父と祖国への憎しみがあったし、行く末の不確かな自分たち兄妹の境遇への焦りがあった。ユフィの言うように、義憤だけに駆られて立ち上がったわけではない。―――ブリタニアのあり方、その歪みに対する義憤がなかったとは言わないが。 けれどルルーシュのそんな偽悪的な性質はユフィにもわかりきっていて、彼女はくすりと笑った。幼い容貌には不釣合いな―――けれど彼女にはよく似合う、花のような微笑。 「自分とナナリーのため、でしょう? 私だってそう。自分と、自分の大切な人のため。………ルルーシュが間違っていたのなら、私だって正しくはないわ」 「それは………」 ユフィは違う、間違ってない―――なおもそう続けたそうなスザクに、ユフィはふるふると首を振った。 「ねえ、スザク。私は聖人じゃないの。貴方もルルーシュも私を美化しすぎてるわ。………私は我が侭で、自分勝手な、普通の人間よ」 だからこそ、分不相応な権力を持て余し、道を踏み外した。姉のように『ブリタニア皇族』に染まりきることもできず、かといって自分を貫き通すには無知すぎて。 「あの頃だってたくさん間違えたし、きっとこれからだって間違える。………私が必要なのは、揺り籠みたいに守ってくれたお姉様でも、私を盲目に肯定してくれる『信望者』でもないわ。生身の私を見て、私を叱って、間違ってるって言ってくれる人なの」 ね、我が侭でしょう? とユフィは苦笑した。 あれほどに愛してくれた姉より、慕ってくれたスザクより、ルルーシュを取る。 愛してくれる人間より、愛する人間を。 自分を必要としてくれる人間より、自分が必要とする人間を。 これ以上ないくらい我が侭で、身勝手な―――それが、等身大の自分なのだと。 「ユフィ………」 赤裸々に語られるユフィの本心に、スザクは青褪めながらその名を呼ぶ。 実際、スザクはユーフェミアを聖女か何かのように美化していたきらいがあった。皇女という高い地位にありながら、ナンバーズの窮状に心を痛め、手を差し伸べてくれた女性。型破りなところがあって、けれど天真爛漫で憎めない女性。 実際彼女はあのブリタニア皇族の中にあって稀有な性質を持っていたが、同時に彼女の無垢さと天真爛漫な性質は、生まれながらの強者として『許される』ことが当たり前だったからでもある。 美点もあれば欠点もある。喜びもすれば悩みもし、嫉妬も、憤りもする。そんな当たり前の人間であることを、スザクはついに理解しなかった―――いや、悲劇的な死によって、生身のユフィが薄れていったのかもしれないが。 いつしか理想を押し付け、生身の『彼ら』を否定する。ルルーシュにそうしたように、そしてついには生身のルルーシュの手を離したように―――理想のユーフェミアを想えば想うほど、生身の彼女から遠ざかる。 呆然とするスザクを置き去りに、ユフィはルルーシュへと向き直る。 「あの時、貴方は私の手を取ってくれた。………今ならわかるわ。どんなに滅茶苦茶なことを言ってたのかって」 あの時―――特区の、薄暗い部屋でそうしたように、ユフィはルルーシュへと手を伸ばす。あの時と違うのは、幼い容貌と、そして一杯に伸ばされた両の腕、だろうか。 「だから今度は、私が貴方の手を取るわ。同じものを見て、同じ道を進みたいの。………大好きよ、ルルーシュ」 言うなり、ユフィはルルーシュに抱きついた。 真っ直ぐすぎる好意、重すぎる愛情―――けれど愛するばかりで愛されることを理解できずじまいだったルルーシュには、それくらいの重みが必要なのかもしれない。愛されていること、必要とされていることを理解するには。 自分に飛びついて、ぎゅうぎゅうと抱きついてくる小さな身体を、ルルーシュは呆然と見下ろした。けれどやがてその顔に、ゆるゆると苦笑が湧き上がる。 「………君には敵わないよ、ユフィ」 あの時もそうだった。憎しみすらも越えて、その身一つで飛び込んできた。その手を取ることを、最後には受け入れられた。 自らの過ちによって潰えた機会を、汚名と犠牲を擦り付けすらした自分を、今もまだ彼女が必要だというのなら―――今度こそ。 「………ようこそ、漆黒の翼へ。歓迎するよ、ユフィ」 ルルーシュの言葉に、ユフィは破顔した。
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※※※ うーん、何やらユフィが出張り過ぎて微妙な展開になってしまいました(汗)。でも枢木さんがあの台詞聞いたら、絶対こうなると思うんですよね………。 ユフィがここまで出張ってくるのは、多分大分後の方にに1回くらいじゃないかと思います。それ以外は基本腕力担当&メロン凹まし要員、かな。主に譜歌的な意味で。 で、自分的ユフィ像………というより、こういうユフィならまだよかったかな、という感じで書いてみました。聖女キャラだと思うとイラっとするんで。まあそれでもやらかしたことが全般的に場当たり過ぎて、裏目に出まくってる事には変わりないと思いますけど(苦笑)。 あ、次回はダアト編で〜みたいなことを零してた気がするのですが、予定を大幅に変更してセントビナー編になります。ラルゴ参入とかで色々弄った結果、現時点でダアトと接触しても意味がないことになっちゃったんです。もうちょっとゲームの時間軸に近づかないと、ダアトに関係するキャラがいないですしね。というわけで、ダアトにいるはずの某氏の参入が大幅に遅れることになりました。多分5年くらいは当初の予定より遅くなります。………だって大人キャラも親父(失敬)キャラも当面は間に合っちゃったんだよ………。 でもって最後までシリアス展開で終わってますが、当初の予定では↓のようなオチがつくはずでした。なんだかノリが違いすぎて上手く繋がらなかったので、一応台詞だけ上げておきます。地の文つける気力はありませんでした………。 オマケ(むしろこっちが本編)
「私、いいお嫁さんになるよう、たくさん頑張るわね、ルルーシュ! ………お料理はまだ、あんまりだけど………あ、そうだわ、ルルーシュがお嫁さんになってくれればいいのよね! 私頑張って鍛えるわ! スザクを倒せるくらいになれば合格かしら? ザオ砂漠にいるっていうサンドワームのほうがいい?」 「は………ちょ、え?」 「ちょっ、何言ってるの、ユフィ!?」 「あら。………言っておきますけど、スザクにルルーシュは渡しませんよ? 私よりルルーシュを愛してる人でなければ、ライバルとは認めません! スザクなんて論外です!!」 「いや、そうじゃなくて! 何でいきなりそんな話になってるの!? 今すごい真面目な話してたよね!?」 「私はちゃんと真面目です。ルルーシュのお嫁さんになるのは子供の頃からの夢だったんです! ………何だかルルーシュのほうがいいお嫁さんになりそうですけど、この際どっちでもいいわ。ずっとずっと、一緒にいるって決めたんです!!」 「ななななな」 「あら、どうしたんですか、ルルーシュ」 「何を言っているんだユフィ! 俺は嫁にはならな………ではなくて! 俺と君は兄妹だろう!?」 「今は赤の他人でしょう? 問題ないじゃない」 「大有りだ! 少なくとも精神的には兄妹なんだ、倫理的に問題があるだろう!!」 「精神的に兄妹でも、他人に生まれ変わったんだからいいじゃない。子供だって作れるわ」 「ユユユユユフィ!! なんてはしたないことを!!」 「もう、ルルーシュったら相変わらず頭が固いんだから。さっき私のプロポーズ、受けてくれたじゃない」 「ププププロポーズ!!?」 「はい。一緒に幸せになりましょうね、ルルーシュ!」 |